煩悩その004「BOZZ、どこかの惑星へ行く」
今回はどこかの惑星に行ってみました。
仏教・宋櫂宗の住職、大槻雲海は、切り立った岩場の一角で目覚めた。
視界に違和感。
自分がヘルメットを被っている事に気づく。厚みのあるポリカーボネートによって丸く歪んだ景色。
淡い光を含みながらも白濁とした空に聳える、眩い群青色の尖塔岩と大小の岩山。峡谷を削り取る河川は、ズドドドと音を立て翠色の渦を巻きながら滑り落ちていた。
踏みしめる瑠璃色の地面が、踵をなかなか離してくれない。身体がいつもよりも重い。
「ここはどこだ」
空も大地もある。しかし彩りが不自然。それが素直な感想だった。
もちろん雲海は、地球上の全ての景色を把握しているわけではなかった。「ここは●●という国の●●という国立公園だ」と説明されれば素直に納得しただろう。
しかし、これまで自分の身に起きた「渦」による珍事の数々。ヘルメット。重力。知る限り見たことの無いおかしな景色。
自分なりの予想。推測。
「ふむ。宇宙の彼方のどこかの惑星だろう」
総じて出た答え。
「いつもの夢だろう」
事実、仏教の経典には「三千大千世界」「須弥山」「四劫説」など、宇宙観そのものを仏の真理と捉える教えがあり、僧侶である雲海は、この未知の惑星すらも大毘廬舍那如来の管轄する一部として、自然と受け入れることができた。
「夢とは言え、宇宙を介して他の惑星を探索した僧侶は私だけだろう」
少年時代の宇宙への憧れが、四十路を越えた心に呼び戻された瞬間だった。
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「しかし、生き物がまったく見当たらないではないか」
時間にして数十分の探索のちに雲海から出た言葉だった。
「水と光はある。こうした苔、あるいは微生物どまりで進化が止まっているのだろうか」
川岸の岩場にある、群青色の苔をグローブで撫でながら言った。
「どうだい、見つかったかい」
ヘッドセット内の通信機から女の声がした。
「はて。あなたは?」
「クルーの仲間の声も名前も忘れたのかい?あたしはマリア・ソポッツア・バニーニ・ツンゴルグ・ミミンゴ・ミズタ・オーツキ・タナカ・スズキ・マスダ・オカダ・ヤマシタ・ヤマダ・ミウラ・タカオカ・ヨシダだよ」
「ふむ。マリアさんですか。こちら何もありませんよ。生物はいませんし、どこを歩いても川しかありません」
「なに?川?水があるのかい。ちょっと待ってて!あんたの位置を確認したらクルー全員でそっちへ向かう。あんた日本からやってきたクルーの雲海だよね」
「あの」
雲海は何かを言いかけたが、通信中になってしまった。
「ふむ。聞き覚えがある声だ」
雲海は呟いた。
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数十分のちに4名のクルーが探査用小船舶に乗ってやってきた。雲海は、ヘルメットごしに全員の顔を確認した。
フィガーロ船長―。白人の40代半ばと思しき男性だった。「ご苦労さま。君は人類存続に関わる偉大な発見をした最高のクルーさ」と彼が言ったという事が、英語の数十秒後に日本語で翻訳されたので理解できた。(翻訳する前、汚いスラングは直訳しません、とアナウンスが念を押していた)
ドドポッポ搭乗員―。黒人のおそらく20代か30代の青年。「最高のキンタマを持ってやがるな、アンタ」と翻訳された。(キンタマは汚い言葉のうちには入らないらしい)
チャン搭乗員―。おそらく中国系の50代の柔和な男性。「よっしゃ、そこの川で泳ごうぜ!もちろんお前だけでな」と翻訳された。
そして
マリア搭乗員―。20代のアジアと西洋のハーフ風の女性だった。「先こされちゃった。あたしが先に見つけたかったのにさ」と翻訳機を使わず流暢な日本語で語りかけてきた。
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他のクルー3名が地質と水質の調査をしている最中、雲海とマリアだけは専門外のようで、探査用小船舶で小休憩を取らせてもらえる事になった。
「マリアさん、ちょっといいでしょうか」
雲海はヘルメットだけを外し、宇宙服のままチェアに腰掛けた。
「なんだい?」
仮眠中だったマリアが目を開けて応対する。
「今は西暦何年でしょうか?そして私はなぜここにいるのでしょう」
雲海はマリアを見つめて言った。タンクトップから伸びた華奢な腕。長い睫毛。唇の形。やはり彼女には「ある人物」の面影があった。
マリアは愉快そうに、雲海を見つめ返す。
「おかしな事きくね。今は2115年。地球では1月下旬だろうね」
「だろうね?とは」
「あたしら皆そうだけど、宇宙で生まれて宇宙で死んでいくだろうから、地球の暦にはそれほど興味はない。あんただってそうだろ?」
「ふむ。でも私の場合は、興味ある、なしではなく、知らないと困るので把握はしていますよ。檀家さんの1周忌、3回忌、7回忌は忘れてはいけませんし」
「ジョークにしては面白いね。あんた、あたしの先祖が寺の坊主だったって誰かから聞いたの?」
「いえ。そうなんですか?」
「知ってて言ったんじゃなかったのかい。ちょうどあたしの名前にはその坊主を含む100年間の先祖の名前を全部入れてあるんだけどさ…あんた、あたしのフルネーム覚えてるかい?」
「いえ…すいません」
「まぁ、いいさ。名前なんかじゃない、あたしが今ここに存在してるっていうのが、ご先祖様一人ひとりが生きた証だからね」
「ふむ。いい事いいますな」
「あんたと、あたしがこうして話をできてるって言う偶然。運命。因果。すべてが必然なのさ」
「ふむ。では質問の本題に入ります。マリアさん、あなたのご先祖様のひとりに、水田さんという方は…」
≪すまん。雲海…間違えて…≫
渦の中から聞こえてくる低い声が、そう言った。
「ちょっと黙ってなさい」
雲海は「渦」に向かってぴしゃりと言った。
≪あと5秒で戻っちゃうよ…≫
「あ、さっきの質問はもういいです。マリアさん。これからもお身体には気をつけてください。ご先祖様もそれを望んでらっしゃると思い…」
雲海の視界からマリアが消えた。彼女は、最後まで雲海の言葉に笑顔で、うんうん、と頷いていた。
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雲海は湯船の中で目を覚ました。
「ふむ。マリアさんのフルネーム…。マリア・ソポッツア・バニーニ・ツンゴルグ・ミミンゴ…あとは何だったか。はて…。年は取りたくないものだな」
ひとり呟いた。
次回は、どこかのご夫婦の浮気現場に転送されます…ま、まさか…マリさん…?そんなはずは無いですよね…ねぇ、ねぇってば…?!