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煩悩その003「BOZZ、夜(ホスト)の世界へ行く」

今回はホストクラブに行ってみました。

 仏教・宋櫂宗(そうかいしゅう)の住職、大槻雲海は、目覚めた。


 白と黒を基調とした店内。


 幾何学模様があしらわれた壁紙を、煌々と照らす幻想的かつ耽美な暖色の間接照明。


 直線的な鋭角のテーブル。


 柔らかそうなホワイトのソファ。


 ブルーライトに照らされた水槽では、電気ナマズが雲海を一瞥したのち、くるりと方向を変え泳いでいた。


「ここはどこだ」


 若い女たちの嬌声。


「グイ、グイ! グイグイ、よしこい!グイ、グイ!グイグイ、よしこい!」


 若い男たちの掛け声。


「トウヤくん!誕生日おめでと~!ドンペリもう1本頼んじゃうよぉ~。今日だけはナンバー2じゃなくて、1位になってね!」


 ふくよかな女性客がトウヤと呼ばれるホストにそう叫んだ。


 雲海はなぜかスーツを着こなしていた。


 ポケットにあるはずのスマホはかなり昔の機種、今で言うガラケーへと摩り替わっていた。画面を開く。


 日付けは、2005年1月29日―。時間は、18時を回っている。


 雲海は頭上を見上げた。「渦」め…。恨み言を引っ込めて状況を把握しようと思案すること、実に10秒。


「ふむ。また、いつもの夢なのだろう。そしてここは、いわゆるホストクラブ…に違いない。仏の導きはまた妙なところへ私を誘うな」


------------------------------------------


「おい、そこのスキンヘッド」


 さきほど騒いでいたナンバー2のトウヤというホストが話しかけてきた。顔は悪くない。しかし目つきが粗暴だった。


「はて。私のことですか」


「そうだよ、お前だよ。新人。3番テーブルで俺の客のヘルプにつけ」


 雲海に対し顎でジェスチャーを取る。さっさと動け、と言いたげに。


「ヘルプ…?救いを求めてるのでしょうか。私には経をあげることしかできませんが」


「くだらねぇギャグ飛ばしてねぇで、さっさといけ。俺は自分のバースデーイベントで忙しいんだ」


 トウヤの歯茎が剥きだしになる。歯はヤニで黄色く薄汚れていた。


「ふむ。お誕生日なのですね。おめでとうございます」


 雲海が祝辞を述べて頭を下げても、トウヤの表情が和らぐ事はなかった。


「おい、3番テーブルの女を、俺がつくまで帰すんじゃねぇぞ。あの女には今日、借金してでも300万は落としてもらう」


 トウヤが嗤う。嗤った。はじめて笑顔になった。しかしその微笑みは邪悪に満ちていた。


「300万落とす、とは?」


 雲海が問いただす。


「いいから行け」


 トウヤは問いには答えず3番テーブルを指差し、雲海を促した。


------------------------------------------


「新人さん?はじめまして」


 3番テーブルの女性客は、水割りを飲みながら雲海に話しかけてきた。


 雲海は鼻をひくつかせる。懐かしい香りがした。


「なぜかここでアルバイトさせられる事になりました、雲海です。以後お見知りおきを…というか、あなたは」


 言いかけながら雲海が女性客の顔をじっと覗き込んでいるのを、本人も気づいたらしく視線が合った。


「ん?」


「水田マリさん…いや、でもこの前、夢でお会いした時より若いな。年齢的にまりゑさんに近い」


 雲海は独り言のように呟いた。


 無理もない、今は2005年。目の前のマリはゾンビ世界の時よりも8歳若かった。


「え?なんで、あたしの名前知ってるの?しかも…お婆ちゃんの名前まで」


「あ、いえ。こちらの話です。マリさん、はじめまして」


 雲海は右手を差し伸べた。


「はじめまして…ってさっきも言ったし2回目だね。はじめまして言うの」


 マリはおどおどしながら、握手を交わした。


「でも、なんか始めて会った気がしない…なんでだろ」


 マリの視線は泳いでいる。最初に会ったのは8年後の世界。


 しかし、夢の世界では過去と未来が連続、交差しているのだろうかと雲海は思った。


「ふむ。よくある顔なので、はじめて会った気がしないと、いつも言われます」


「そうなんだ。ホストはじめてどれくらい?」


「私はホストではありません。住職、寺の坊主です」


 雲海の言葉にマリが目を丸くする。やがて、それを冗談と捉えたのか笑顔になった。


「おもしろ~い。だからそのヘアスタイルなんだ」


「まぁ、そうですな。ところでマリさんは、こうやって定期的にホストクラブに通ってるんでしょうか?」


「お正月明けに、大学の後輩とキャッチされたのがきっかけなの。まだ3回しか来てないよ」


「ふむ。だとすれば週に1回ペースですね。ところで、さきほどのホストの方…トウヤさんは誕生日イベントであなたに300万落としてもらうと仰ってましたが…トウヤさんはお金に困ってらっしゃるんでしょうかね」


「たぶん、お金には困ってないとおもう。ここのナンバー2だもん。今日はカレの誕生日イベントだから、売り上げ2000万目標にしてるんだって」


「ふむ。2000万ですか。そのうちの300万をマリさんに使ってもらおうと。そういう事でしたか」


「うん。でも、あたし300万なんて用意できないよ…学生だし」


 マリは下を向く。まるで300万あればトウヤに遣ったのに、というような口ぶりだった。


「マリさんはトウヤさんと交際されてるのですか?」


「そういうんじゃないよ」


 マリが慌てて否定する。しかし、その焦りのせいで余計にトウヤへの思い入れが伺えた。


「ではなぜ、こういったホストクラブに足しげく通われてるのでしょうか」


 雲海は真剣な眼差しでマリを射抜く。マリは俯いていた。


「寂しかったから。大学では目立たない方だし、両親は死んじゃっていない。唯一の肉親だったお婆ちゃんは、あたしが子供の頃に…一緒にゲームをしてる最中に…うぅ…」


 マリの頬を濡らす、涙。


「変なことを聞いてすいません」


 雲海は酒が嫌いだった。


 しかし、今のマリには水割りのお替りを作ってあげることくらいしかできなかった。


------------------------------------------


 19時―。


「イエ~イ、マリちゃん今日は来るの早いね~。あ~、トウヤさんの誕生日イベだからか!」


 ナンバー3ホストのミツルがやって来た。マリと雲海の間に割り込むようにして座り、雲海に「あっちへ行け」という手振りを見せた。


「ミツルくん顔、赤いよ。もうけっこう飲まされたの?」


 マリも多少酔いが回ってきたのか、愉快そうに、そう訊ねた。


「トウヤさん、コールはんぱないからね。あ、それはそうとさ、今日はマリちゃん、300万くらい遣う予定なんでしょ?トウヤさんから聞いたよ」


 ミツルは粘つく視線をマリに注ぐ。


「え、あたし、そんなこと言ってないよ」


 マリは手をパタパタとさせ否定のポーズをとりながら言った。


「だ~いじょうぶだって。カードも使えるし、売り掛けしたって、女の子はいいバイト先があるじゃん」


「いいバイト先?」


「うん。マリちゃん今、コンビニのバイトでしょ?もっと儲かるバイトした方がいいと思うな~」


「バイトかぁ」


 マリは俯く。儲かるバイト、という響きに何かが引っかかっているのだろう。


「ぶっちゃけAVとか風俗とかどう?俺の知り合いに頼めば紹介してもらえるよ。マリちゃん、可愛いし、月に300万は稼げるって」


「え…あたし…そういうのできないよ」


 マリの顔が青ざめる。酔いが一気に醒めたらしい。


「いいから、いいから。ね?実はその知り合いが偶然、事務所にいるんだ~ちょっとウラで契約書にサインしてよ!ね?」


「むりだよ」


「いいじゃん、いいじゃん。バイト始めればさ、トウヤさんのために月に100万から300万は使えるようになるよ?」


 ミツルは、マリに顔を近づけて屈託のない笑みでそう言った。


「ふむ。ちょっといいですか?いやがってる女性に対して、人生を変え兼ねない決断を強引に迫るのは、いかがなものかと。それも個人の利益追求の目的で、となると…」


 雲海はマリからミツルを引き剥がしながら、そう言った。


「あ?なんだテメェ、今俺がマリちゃんと話してるだろうがよ」


 ミツルが吼える。


 雲海は顎に手を充てて、困ったような顔をした。


「ふむ。あなたに問いたい。あなたは私より年下ですよね。そういった話し方はよくないと思うのですが。いかがでしょう」


 雲海は目の前の若者、ミツルの非礼を哀れむように言った。


「あ?俺はナンバー3なんだよ。お前はおっさんだけど新人。これが現実。俺を黙らせたいなら売り上げ500万以上あげてみろよ。な?」


「ふむ。私が売り上げ500万以上達成すれば、あなたも、トウヤさんも、マリさんを困らせるようなことは言わないと約束できますか」


「お前がどの立場でそれを言ってんのか分からないけど、お前、ちょっと天然ぽいからバカ正直に答えてやるよ。まぁ、たしかに初日で500万あげたら、俺もトウヤさんも、お前を認めざるを得ないわな。でも、それができないのが現実だしお前は俺に意見できないわけ。な?そういうもんだろ!だから、さっさと別のテーブルにヘルプいけ。俺はマリちゃんと話があるからよ」


 ミツルは雲海を体よく追い払ったつもりなのだろう。言い終えると背を向けてマリに話の続きをし始めた。


「ふむ。それではいったん失礼します」


 雲海のこめかみに青筋が走る。しかし、それは一瞬の事だった。


 すぐに元の柔和な顔に戻り、雲海は席を立った。


------------------------------------------


 19時半―。


「おい、聞こえるか?聞こえているだろう。返事しなさい、渦」


 雲海はホストクラブのある雑居ビルの踊り場で宙に向かい、話しかけた。


≪なんだよ…お前から話しかけてくるなんて。俺がお前をこんな場所に転送した事を責めるつもりか?…お前が考えてる通り、そうだ。手違いだよ、これは。すまなかった。もう元の世界に戻してやるよ≫


 渦の中から聞こえてくる低い声が、そう答える。


「ちょっと待ちなさい」


≪何だよ≫


「本当に私にすまないと思うなら、ある場所へ転送しなさい」


≪ある場所?≫


「あなたが一番最初に私を転送したあの世界、異世界です」


≪ヴァニシングファンタジーの異世界か。いいだろう…だが、なぜ?≫


「理由は後です。さっさと転送しなさい」


≪お前にしては珍しくイライラしてるな。まぁ、いいだろう≫


 雲海は渦に吸い込まれていった。


------------------------------------------


 20時―。


 11番テーブル。


 雲海と、雲海を指名した女―マリの祖母で、ヴァニシングファンタジーの異世界に転生したまりゑ―がいた。


 異世界暮らしが21年になるまりゑは、あの日と同じように、相変わらず裸の上に水着のような銀色の鎧を纏っていた。


 ホストたちは金を落としてくれる女性客のファッションに口出しできない。


 まりゑが入店した際に店内は一瞬、凍りついたが誰もその出で立ちを咎める者はいなかった。


 今から30分前、雲海は「渦」に頼み、ヴァニシングファンタジーの世界まで再び赴き、まりゑと再会し、金貨を持参してもらい、この2005年のホスト世界に共に戻ってきたのだった。


「では、まりゑさん。ヴァニシングファンタジーの世界から持ってきていただいた金貨1万枚を遣って、この私を指名し、売り上げ1位にしてください。彼らに分からせてあげたいのです」


「可愛い孫のためだ!どんどん高いボトル頼むよ!限界の限界の限界までね。ボトルが足りなきゃ、ビールにあたしが勝手に値段をつけて支払ってやる。誰にも追いつけない売上額を叩き出して、孫娘をたぶらかす連中に目にものを見せてやろうじゃないか!」


 まりゑはそう言いながら、11番テーブルのそばの柱から顔を出し、3番テーブルに座る孫娘、マリを見つめていた。


「マリさんが、鎧を着た自分ソックリのあなたを見たら混乱してしまうと思います。わざわざ11番テーブルにしたのも、顔が見えないようにです。なので…」


 雲海は申し訳無さそうに言った。


「分かってるさ。でも、ついつい嬉しくてねぇ。久しぶりの現実世界。21年ぶりに見た孫の顔…涙が出てきそうだよ」


 まりゑの目には光るものがあった。


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 22時―。


 まりゑは金貨の入った袋を会計係に渡した。


 金貨での支払いは例が無く、会計係は懐疑的だったが別室で「鑑定できる」ツテを呼び出し、枚数と金の材質を確認するのに都合、1時間。


「金貨1万枚…1枚10万…売り上げ10億…。客が自らボトルや酒に値段をつけて、金貨で10億を支払うなんて…この雲海っていう新人ホスト…たった一夜にして、うちの店…いや歌舞伎町…いや、日本のホスト界の歴史を塗り替えやがった!」


 会計係のホストは店内に戻ってくるなり、雲海とまりゑの座る11番テーブルに向かって叫んでいた。


 ホストクラブの店長は涙目で雲海の手を握る。君のような逸材を探していた。そう言っていた。周囲のランキングホストたちも羨望の眼差しで雲海を見ていた。


「お前…何者だ」


 一部始終を目の当たりにし、トウヤはこの日の自らの売り上げ、1760万を遥かに越えてしまった新人ホスト、雲海を見つめ戦慄いていた。


「お金とは虚しいものです。あるところには、ある。しかし…欲する者は、何としてでも得ようとする。とは言え、若いお嬢さんの人生を本人の意思とは別方向に狂わせてまで、手に入れる価値があるものでしょうか?お金は人生を豊かにします。しかし、お金のために自分や誰かの人生、自由を蔑ろにするのは決して許される事ではありません」


「ナンバー1に言われちゃ何も言い返せないっすよ、トウヤさん」


 ミツルが青ざめた表情で言った。


「改心なさい。改心して、お金ではなく、真心で接客なさい。私が言えるのはここまでです」


 雲海はお辞儀をした。周囲のホストたちはその所作に感服したかのように、深いお辞儀を返す。トウヤとミツルもそれに続いて、深く頭を垂れていた。


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「マリさん。寂しいと言いましたが、あなたは決して一人ではありません。亡くなったご両親や、お婆さん…いえ、それだけではない。先祖代々の皆さんは、マリさんのことを見守ってくれていますよ」


 雲海は、ホストクラブの店の外でタクシーを待たせたまま、マリにそう言った。


「雲海さん…」


「マリさん。あなたは強い方です。私はあなたの本当の強さを知っています。これからは誰かに守られるだけでなく、自分自身が強くなり、誰かを守ってあげられるような女性になってください」


「うん。今すぐにはむりでも、毎日その言葉を胸に…少しずつ変わっていきたい」


「それと、私はもうすぐ帰らなければなりませんが、私の友人の一人が、マリさんと握手したいと言うので握手してあげてください」


 雲海がこっそり用意した「魔法ガール★マジックえみりん」のお面つけて、まりゑが現れた。


 アニメのお面に要所だけを覆った銀色の鎧。彼女は歌舞伎町の大通りの中にあっても、恥じることなく悠々とマリの傍へやってきた。


「この鎧はコスプレです。気になさらないでください」


 まりゑは無言で、マリを抱きしめた。


「お婆ちゃん?」


 マリの声と共に、まりゑが消えた。


 そして雲海も…徐々に頭上の渦へと飲み込まれていった。


「雲海さん」


 マリは目の前で起きている事が信じられず慌てふためいていた。


「また会いましょう」


 雲海は、ぼやけていく視界の中、マリにそう言った。


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 気がつくと、雲海はこたつで寝ていた。


 つけっぱなしのテレビでは、深夜番組が流れている。


 時計の針は23時を過ぎていた。


「最新ホストトレンド―丸坊主に真心接客がブーム」


 番組司会者のインタビューを受けていたのは、丸坊主のトウヤとミツルだった。


「人間、真心が一番です。こう見えて私、お寺に修行に行って本物の僧侶の資格も取得したんですよ。お店では、ひたすらお客さんの悩みを聞いてあげています。売り上げは半分に減りましたが、お客さんが悩みを乗り越えていくのを見るのがとても幸せです」


 雲海は「ふむ。そうなったか」と頷くとテレビを消して再び眠りに就いた。

次回は、どこかの惑星に転送されてしまいます。果たして何が起きるやら…。

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