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煩悩その012「BOZZ、浦島太郎を救出しに竜宮城へ行く」

今回は、竜宮城へ行ってみました。

 仏教・宋櫂宗(そうかいしゅう)の住職、大槻雲海は、太陽の光の届かぬ海底で目覚めた。海草が潮の流れにゆらり、ゆられ、魚たちが回遊していた。


「ここはどこだ。海の中か。だが、なぜだ。不思議と息が苦しくないぞ」


 雲海の呟き。


≪ここは海底異世界。竜宮城前だ≫


 渦の中の低い声。


「ふむ。竜宮城。浦島太郎の世界というわけか」


 雲海は大きな門構えを眺めながら言った。


≪竜宮城をはじめとする海底異世界パークは、容姿麗しい人魚たちによる接客と引き換えに、人間の男から「時間」という対価を支払わせるシステムで成り立っている。彼らにとって「時間」はカネであり、食事のようなものだ≫


「いわば、キャバクラのようなものですか」


≪その通りだ。本来、異世界風営法で、人間から奪って良い時間は生涯で2時間までとされているが、そこにある竜宮城は、法を破り、男たちから何十時間と言う月日を搾取している≫


「ふむ。困りものですね」


≪竜宮城での1時間は人間界での1年に相当する。もうかれこれ3時間ほど、竜宮城に入り浸っている怠惰な青年・浦島太郎を救出するのが、今回の仕事だ≫


「ふむ。人助けはいいが、本人に帰る意思がない場合、どうしたらいいものか。この海底の異世界に、現実を持ち込めないのが難点ではあるな」


 雲海は右手を顎に押し当て、考えるそぶりをした。


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 海底に輝く「竜宮城」という、ケバケバしいネオンサイン―。


 フロアレディ募集の張り紙には「時給30分から」とあった。

 1時間=60分を、単純に6000円に換算すれば、時給30分は3000円にあたる。

 1時間6000円のテーブルチャージに時給3000円。

 これは人間界の水商売と同等の比率だった。


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 どう動くべきか思案しながら、雲海は「竜宮城」の前で突っ立っていた。

 パネルには、肌も顕な人魚たちの宣材写真が、人気順に並べられている。


「いらっしゃいませ。ご指名はありますか」


 自動扉が開き、店頭からひょっこり現れたのは、揉み手に、笑顔の亀。

 黒いスーツに、赤い蝶ネクタイ。

 雲海の言葉を待つ。

 ニコニコしながら待っている。


「ふむ。いえ、あの私こういったところは初めてでして」


 雲海は、たどたどしく言う。


「ご新規様、1名」


 亀はインカムでそう言うと、新規のためのシステム案内をした。


「当店、海底異世界パークとなっております。人間の男性にときめきと潤いを与えるべく、美しい人魚たちがご奉仕させていただいております」


 糸のように目を細めながら亀は前足でパネルを指す。

 人気ナンバー1「乙姫」を薦めているようだ。


「ふむ。内容についてはよく分かりませんが、料金はいかほどでしょうか」


 雲海は、とりあえず訊ねてみる。


「金銭による料金は発生いたしませんが、別の対価をお支払いいただくシステムとなっております」


 雲海の問いに、ゆっくり首を前後に動かしながら亀は答えた。


「その対価とは、時間ですね?」


 雲海による、単刀直入な確認。


「左様でございます。こちらでの1時間が、陸上での1年に相当いたします」


 亀は、事実を答えた。

 ここで50時間もいれば、大半の男たちが老人に変わる。

 残酷な事実を、滞りなくサラっと告げた。


「最高、何時間までいられますか」


「無制限です」


 糸のような目が獲物―、雲海を捕える。

 バカな人間が、ここで生涯の時間を使い果たす算段をはじめていた。


「ふむ。では乙姫さん指名でお願いします」


 雲海は言った。


「ご新規様、乙姫さん指名です」


 亀は、追加でインカムに報告を入れる。


「お席の方、ご用意できましたので、お足元、気をつけてお上がりください」


 亀が竜宮城の扉を開けると、エスコート役の、品のいい初老の亀が笑顔で立っていた。


------------------------------------------


「どうぞ、こちらへ」


 初老の亀に案内されるがまま、大広間を抜ける。

 そこには、2階へと続く中世ヨーロッパ調の装飾が施された大きな階段と、大聖堂を思わせる壮大な天井画が広がっていた。


「ふむ。描かれてるのは、海底世界の歴史か」


 雲海は天井画を見上げ呟く。

 描かれている内容―。


 神に楽園を追放された海神ポセイドンは、海底世界を創造し、人魚たちを生み出した。

 人魚たちは、人間の男と恋に落ちては裏切られ、泡となって消えた。

 人間との恋に絶望した人魚たちは、海底世界に生涯、留まる事を誓い、亀や魚たちに知性を与え人魚に仕えさせ、海底世界は地上に劣らぬ文明で栄えた。

 人魚は、地上の男を誘惑し、次の世代の人魚を生み続けている。


 それらすべてが、絵画だけで語られていた。


「ふむ。いろいろあったのだな」


 階段を昇りきると大きな扉。

 初老の亀は、扉を開く。

 現れたのは、高級クラブを思わせる大フロアだった。


 室内灯は暖色。

 柱は天井と繋がり、その中で透明のガラス越しに、若く美しい全裸の人魚たちが尾ひれを優雅に動かし、回遊していた。


「こちらのお席になります」


 初老の亀が前足を席に向けて跪いた。


 雲海はソファに座る。

 不思議極まりない空間だった。

 海水に満たされた空間にも関わらず、呼吸ができて服は濡れておらず、地上とさほど変わらない。

 ムリヤリ違いを探せといわれれば、視界が多少、青みがかっているといった程度か。


 ガラス越しに人魚と目が合う。

 豊かな乳房と魚の下半身をもつ笑顔の女たちが、尾ひれと手を振ってきた。


 待つ事、数分。


「どうも、はじめまして。お・と・ひ・め・で~す」


 純白のドレスを纏った乙姫が現れた。

 回遊する人魚たちとは明らかに違うものがあった。


 二足歩行。

 下半身は人間のものだった。


「両足、手術済みの人魚は珍しい?」


 乙姫は笑った。

 目じりに小皺が刻まれてはいるが、年齢不詳と言ってもいい、落ち着きと瑞々しさが同居したような、そんな女だった。


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「ふぅん。太郎ちゃんを連れ戻しに来たんだ」


 雲海の事情説明に、乙姫は煙草を吹かしながら言った。

 「太郎ちゃん」とは浦島太郎のことだろう。


 海中にありながらも、乙姫がつけた煙草の穂先は燃え、煙が立ち上る。

 現実とは思えない状況だが、雲海の思考は単純だった。


「ふむ。おかしな現象だが、夢だから仕方がないか」


「ん?何か言った?」


 乙姫はグロスで濡れ光った唇をすぼめ、煙をゆっくり吐き出す。


「いえいえ。先ほどの話に戻りますが、浦島太郎さんだけと言わず、ここでの制限時間を越えた人たちを皆、解放してあげてくれませんか」


 雲海による、単刀直入な交渉。


「解放?人聞きが悪いこと言わないで」


 乙姫は眉を顰めた。美人だが、棘がある。

 雲海はそう思った。


「ふむ。気を悪くされたのなら謝ります。しかし異世界法によって、人間が海底世界に滞在できるのは生涯で2時間まで…と定められているはずです」


「だから何?お客さんたちは、皆ここに望んで残ってるの。個人の自由意志まで奪える法律なんてどこにもないはずよ」


 乙姫は、両足を投げ出す。

 痛々しい手術の痕跡―。

 ブラウンのストッキング越しに、人間の両足を手に入れるために、切断し、鱗を削ったであろう無数の傷跡が見て取れた。


「ふむ。ですが、ここの1時間は、地上の1年にあたります。人の生涯は儚いもの…。彼らの人生を海底世界での享楽だけに費やさせるのは、あまりにも…」


「私たち、人魚はね…このお店…竜宮城の中でしか恋ができないの。地上で人間の男に嫁いだ人魚のすべてが泡となって消えたわ。ここでしか交わせない愛もあるのよ。それを奪う権利が、あなたにあるの?」


 乙姫の理屈―。

 これは法外な時間搾取による営業ではなく、自由恋愛なのよ。


(ふむ。これはやっかいだ。論理や計算ではなく、感情で語る相手には、感情論で答えねばならない)


 雲海は、子供の頃のアンデルセンの童話を思い出した。


 海底世界を捨て、地上に嫁いだ人魚は海神ポセイドンと「契約」を結び、二つの足と引き換えに人間の男の愛を、生涯独り占めしなければならなかった。

 人間の男が、人魚の愛に背けば、人魚によってその男が殺められない限り、彼女たちは絶望の果てに泡となり消えてしまうのだ。


 だが、人魚姫は恋が叶わず泡と消えた―。


「人間の男は海底でしか人魚を愛せないのよ。地上に行けば人間の女にいってしまうもの。だから、彼らにはここに留まってもらって、愛してもらうしかできないの。いつだって恋のリスクは男が負うべきでしょ」


 乙姫の愚痴は続く。

 彼女も若かりし頃、人間の男に騙されかけた経験があったのだろうか。


「ふむ。しかし全てがすべて、そうなのでしょうかね。彼らにも地上に親兄弟がいます。残された家族の気持ちはどうなるのでしょう」


 雲海の問い。


「私たちの気持ちはどうなるのよ。みんな地上へ帰ってしまったら私たち人魚はどう過ごせばいいの?人ならざる者でありながら、人としか愛を育めない、そんな中途半端な物の怪に生まれついた私たちは、海底で孤独に過ごすしかなくなる。そんなのあまりにもむごいわ」


 乙姫は煙と同時に、本音を吐き出す。


「ふむ。これはやっかいだ」


 雲海は坊主頭を搔いた。


「あんた、お坊さんなら私たちを救ってみてよ」


 乙姫は潤んだ目で、雲海に言った。


「あなたが囚われているのは、愛ではなく、独占欲です」


 雲海の言葉に乙姫の目が大きく開かれた。

 図星なのだ。

 乙姫は自覚している。この錯誤に満ちた愛の楽園の不毛さを―。


「だから何」


 乙姫は煙草をもみ消して、長い髪を乱暴にかきあげた。


「傷つく覚悟で、敢えてすべてを委ねる。たとえ泡となってもいいではないですか。報われずとも、人魚姫は本気で人を愛することができた。幸せな事ではないですか」


 雲海の言葉に、乙姫は何も言い返さなかった。


「仏教の教えには無所悟という概念があります。我々、坊主は、修行により悟りを開くことが目的であれ、結果に捕らわれず、修行そのものを気づきの時間として大事にしなければいけません。本質は結果ではなく、そこに至る経過に含まれています」


 雲海の言葉。


「どうしたらいいの、私」


 乙姫は震えていた。


「たとえ裏切られて、泡になってもいいという相手が現れるまで、愛を大事になさい。駆け引きや打算で繋ぎ止めるような独占欲、執着から離れなさい」


 乙姫の目に一筋の涙。


「私…太郎ちゃんと一緒になりたい」


「ならば、共に、地上に行きなさい。そして他のお客さんたちも解放してあげなさい。手放す事で得られるものもあるのですよ」


 乙姫は静かに頷いた。


 ナンバー1ホステスの彼女は竜宮城の経営者でもある。

 人間の男たちが夢から醒める時がやってきた。


------------------------------------------


 30分後―。

 雲海は海岸の人だかりを見て、満足そうに頷いた。


 そこにいたのは―。

 竜宮城から解放された数百人の男たち。

 彼らに嫁ごうと、地上にやってきた人魚たちがいた。彼女たちは二本の足を手に入れていた。


「太郎ちゃん。他の女のところへいかないでね」


 乙姫は、浦島太郎の厚い胸板に寄り添いながら言った。

 二本の足は手術によるものから「契約」による綺麗な足へと変わっていた。彼女は「泡」になる覚悟を決め浦島太郎の胸に飛び込んだのだ。

 太陽の下では、乙姫の顔には小さな小皺が目立ったが、浦島太郎は乙姫を愛しそうに抱きかかえていた。


「もちろんだ。オラ、おめぇの為に漁師の仕事がんばるど」


 浦島太郎の答え。

 決して美男子ではないが、目よりも太い眉毛を上下して快活に笑う好男子だった。


 乙姫を指名していたにも関わらず、浦島太郎に彼女を取られた数十名の男たちも、他の人魚たちと村へ消えていった。


「太郎ちゃん。もし、私と別れたくなったら、この箱を開けてね」


 乙姫は玉手箱を浦島太郎に手渡した。


「なんだぁ、これえ?別れるつもりなんか、ねぇど」


 浦島太郎は玉手箱を不思議そうに見つめていた。


「別れてない状態で、これを開けたら絶対ダメよ。いい?」


 乙姫の言葉に、浦島太郎は素直に頷いていた。


 雲海は理解した。

 あの玉手箱は、竜宮城での時間を清算する為の装置なのだと。


 本来、浦島太郎は50時間ほど竜宮上に滞在し、玉手箱を渡された。

 そして、地上で玉手箱を開けて50年分の時間を吸い取られ、清算完了。


「ふむ。浦島太郎さんが、あれを開けないまま、生涯、乙姫さんと寄り添うことを願うばかりだな」


 雲海は呟いた。


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 午後2時―。

 雲海が、こたつで目覚めると、テレビでニュースがやっていた。


 室町時代の文献「御伽草子」が民家で発見され、そこに書かれた物語「浦島太郎」を解読したところ「浦島太郎は乙姫と生涯ともに寄り添い、玉手箱は開けられなかった。玉手箱の中身は謎のままであった」と記されていたと報道された。


「これが最古の浦島太郎の文献であれば、私たちの知る浦島太郎の、あの結末はいったい何なんでしょうね?」


 司会の中年アナウンサーが言った。


「きっと女の怨念は怖い、という教訓でしょう。あの結末を、どの時代の誰が考えたかは知りませんが、よくできた話です。ははは」


 数年前、不倫報道で職を失いかけたコメンテーターの男が笑いながら言った。


「ふむ。恐ろしいですね」


 雲海は考え込んでからそう言うと、テレビを消した。

次回は金太郎の世界へ。

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