煩悩その010「BOZZ、イエスキリストが磔になる日へ行く」
今回はイエスキリストが磔にされる現場へ行きました。
仏教・宋櫂宗の住職、大槻雲海は、丈高い山脈に囲まれた街中で目覚めた。
身体が重い。
鎖帷子に、いぶし銀の板金鎧。その下には、山吹色の一枚布の上着と赤い腰巻が身に着けられている。革の軍靴はサンダルのようで、指が露出していた。
「ここはどこだ。この格好はなんだ」
≪西暦30年。古代イスラエル・ユダ王国エルサレムだ。向こうに見えるのはゴルゴタの丘だ≫
「ゴルゴタの丘…。仏教徒の私でも知っているぞ。高校時代の世界史で習ったのを覚えている。ここは…」
≪察しの通りだ。明日の朝ゴルゴタの丘にて、イエス・キリストが、盗賊らと共に磔にされる。彼が神格化される歴史的瞬間だ。お前は、ローマの兵士ロンギヌスと名乗り、イエスの処刑を見届けろ≫
渦の中の低い声。
「ふむ。夢とはいえ、先日のお釈迦様に続き、偉大な人物イエス・キリストに会えるのは嬉しくはあるが…処刑を見届けろというのは…ちょっと…」
≪心配するな。お前は思うがままに動けばいい≫
渦は言った。
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牢獄。
雲海ことロンギヌスは、囚人たちの見張りを仰せつかった。
明日、死を迎える盗賊たちはうな垂れ、小窓から差し込む月明かりから遠ざかるように闇に身を隠して泣いていた。
その中にあって、只一人。月明かりに向かい話しかける青年の姿を、雲海は見た。長身痩躯。長い髪は埃にまみれてはいたものの、瞳の美しい男だった。
「我が父、神よ。これでいいのですか」
男は言った。
「ユダの裏切りも、弟子たちが私を見捨てた事もすべて知っていました」
沈むように、言った。
「明日、私は処刑されます。この私の死で、すべての人類の罪を償います」
覚悟の響き。
「神よ。感謝します。怖くありません」
怯えの色はない。
「偉大な愛を感謝します」
男は手を握り締め目を瞑る。
「神よ」
雲海は確信した。この男こそが「イエス・キリスト」なのだと。
「明日、処刑されてしまうのか」
雲海は、彼を見て呟いた。
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雲海を含む16名の兵士に、ゴルゴタの丘まで移送され、罪人と共にイエスは磔にされた。
雲海はそれを見守るしかできない。
「彼を見殺しにするのか」
雲海は言った。
≪彼が処刑されなければ奇跡は起きない。キリスト教が生まれないのだ≫
渦の声に、雲海は苦悩の表情を浮かべる。
「神よ。感謝します」
血の滲む荊の冠をさせられた、磔のイエスは天を仰ぐ。
処刑の時刻は迫り来る。
その時だった。
「イエス様!助けに参りました!」
兵士12名が叫んだ。
他の3名の兵士たちが慌てふためく。
よろめく雲海。
「貴様ら!罪人の手合いの者だったのか!」
「ホンモノの兵士たちは牢屋で眠ってるぜ!みんなこいつらを縛れ!」
多勢に無勢。
3名は殴り倒された。
「お前もか」
弟子の一人が、雲海に怒鳴る。
「あ…いえ。私はイエス様の味方ですよ。処刑には元々、反対でしたし」
その言葉に、別の弟子がウンウンと頷いた。
「昨晩からの、お前がイエス様を見つめる、その視線で分かっていたぞ。さぁ、お前も手伝え」
肩を叩かれた。なりゆきで雲海は彼らの仲間に加わってしまった。
「イエス様!」
鎧を脱ぎ捨てた弟子たちが、十字架を囲む。
「お前たち、なぜやって来たのだ」
イエスは言った。
【助けてはならん。この私、神の子としてイエスは復活するのだ】
頭上から低い声がする。
イエスと雲海だけが、その声に反応した。
「何か言ったか?渦よ」
成り行きを唖然として見守っていた雲海が問う。
≪俺じゃないぞ。別次元からの声だ≫
渦は答えた。
「ふむ。私はどうしたらいいのだ」
雲海は手を顎にあて考える仕草をする。
≪お前は何もしなくていい≫
渦は答えた。
「私を助けてはならない。帰りなさい。私は神の子として死なねばならないのだ」
イエスは弟子たちに言った。
【イエスを助けてはならん】
頭上からの声が弟子たちには聞こえていないらしい。イエスと雲海だけが天を仰ぎ見る。
「神よ。この者たちをお赦しください」
イエスは涙を流して言った。
「はやくイエス様を十字架からおろせ!」
叫ぶ、土は掘り返され十字架が傾く。
あっという間に十字架が地面に横たえられ、イエスの戒めは解かれた。
「神よ…」
長時間の磔で、歩く力を失ったイエスを大柄な弟子が背負う。
【愚か者たちめ】
声。
暗闇。
雷鳴。
神の逆鱗によって、神殿の垂れ幕が上下に裂けた。
この現象こそ、聖書に記される事となる「十字架の死」である。
「イエス様を救出したぞ!みんな来い!」
弟子たちが叫ぶ。
殴り倒された3名の兵士は、天変地異を眺め、畏れ慄く。
「イエス様を処刑後に埋葬したことにしておけ。でないとお前らも処罰をくらうぞ」
弟子の一人が、兵士たちに言った。
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やって来たのは洞窟。
「お前たちは間違っている」
イエスは疲れた目で諭した。
「私を助けた事で、人類の罪が赦される機会が失われたのだ。神に背いたのだ」
弟子たちを憐れむようにして言った。
「イエス様を見殺しにはできませんでした」
「ここには来れなかったユダも、イエス様を密告した事をいたく反省しています」
弟子たちは偉大なる師を守り抜いた作戦を後悔していないようだった。
【馬鹿なことをしおって…死んでも、私の力を以って3日後に復活させられたのだぞ】
「誰だ、この声は」
「ここにいる者の声ではないぞ」
「神の声なのか?私にも聞こえたぞ」
やっと神の声が耳に届いたのか、弟子たちが騒ぐ。イエスはうな垂れたまま祈りを捧げていた。
「神よ…神の意思に背いた彼らをお赦しください」
イエスは震えていた。
「イエス様」
弟子たちは自らの行いが神の怒りを買ったことに気づき、涙した。
「もう泣かなくていい。お前たちをそうさせたのは私の罪だ」
それからしばらくの間、誰も言葉を紡ぐことができなくなった。
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「ふむ。処刑されたという事にしてはいかがでしょう」
洞窟の中、静寂を破ったのは雲海だった。
「人々を欺くというのか」
弟子の一人が涙混じりに言う。
「神様。本来、イエス様は処刑された後に、3日後復活するはずだった。そうですよね?」
【その通りだ】
雲海の問いかけに答えたのは、神の声。
「ならば、処刑され、神の力で3日後に墓から復活したことにしましょう。その話が広まれば、神の子たるイエス様の命を奪う者は、もう現れないと思います」
雲海は言った。当然のことのように。
「理由がどうであれ欺く事はできない」
良識ある者が食ってかかった。イエスは成り行きを見守っている。
「では、イエス様をこの場で殺生し、復活させますか」
「それもできない」
雲海の問いかけに弟子は首を振った。
「仏教には、ウソも方便という教えがあります」
「なんだ、それは」
「法華経の七つの喩え話にあるように、人が救われるためにつく嘘は大義であり、罪と見做されないのです」
「嘘に大義などない。罪は罪だ」
「では、論点を変えましょう。あなたたちはイエス様のために罪人になる覚悟はないのですか」
弟子たちが一斉に雲海を見た。
「仏教でもキリスト教でも共通の概念だと思いますが、不完全な人間は、必ず罪をおかすものです」
雲海は傷ついたイエスを見た。苦しむ弟子たちを見た。
「あなたたちは、敬愛するこの男のために罪人になりなさい。そして生涯を罪滅ぼしで過ごすのです」
(人は誰もが罪滅ぼしという名の苦行を積んでいくものです。それは仏教、キリスト教など関係ありませんよ)雲海は思った。
誰もなにも、言い返せなかった。
「神よ、この者たちの欺きを、罪をお許しください」
イエスの涙。尊い雫が洞窟の暗闇を照らした。
【私からは何も言えない。好きにしろ】
神の言葉は、冷え切った空気に深く染み渡る。
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3日後、イエスは処刑から復活したという体裁で、洞窟から出ていった。
神の声は聞こえなくなっていた。
「私たちは神に背いた罪を忘れません。生涯を求道者として費やし、神の言葉を布教します」
12人の弟子たちは、この日のウソをうしろめたく思い、生涯、神への赦しを乞うために布教活動に励むことを誓った。
雲海の説法により、結果として世界20億の信仰「キリスト教」が生まれた瞬間だった。
「ロンギヌスと言ったか。あなたも私たちと一緒に来ないか」
「私には私の信じる道があります。しかし、道は違えど、光射す方向は同じといえましょう」
イエスと固い握手を交わし、ロンギヌスこと雲海は「ある残務処理」のため兵士として牢獄へ戻った。
「罪人イエスを処刑後、そのわき腹に槍を突き刺し、問題なく死の検分を務めました。3日かかりましたが彼の近親者たちが、洞窟に埋葬を終えたところまでしっかり見届けました」
「うむ。異端者は死んだ。見届けご苦労だった」
ローマ帝国の祭司長は満足そうに頷く。あの日、罪人イエスを奪われた兵士たちも、責任の追及から逃れるため口を噤んでいた。
この雲海のなにげない証言こそが、後世にのこる「ロンギヌスの槍」の逸話へと繋がる。
イエスは死んだ。
そして3日後に、埋葬先の洞窟にて復活を遂げた。
世界の常識は、雲海の提案によって保たれた。
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雲海は、自宅のパソコンモニターの前で目を覚ます。
十字架モチーフのシルバーアクセサリーをネットショップで買おうか迷っていたら、寝ていたらしい。
「ふむ。十字架には深い意味があるのだな。これを身に着けている者たちはその意味を理解してるのだろうか」
雲海は結局、仏教に根ざした梵字デザインのペンダントを購入することとなった。
次回、桃太郎の世界へ…?




