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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、ロボットに命を授ける

作者: 神西亜樹

 ギベナは現在この川一帯を統べる主である。彼は天然鮎でありながら寿命の壁を越え、捕食者の手を逃れて一年以上生き続けていた。初夏の時点で既に30cmを優に越えているその体は雄大で美しく、また古兵の証である傷を鱗の裏に秘めており、若い魚達に羨望と畏敬の念を抱かせた。ギベナは自分が長く生きていることには何か理由があると考え、その理由を模索するため、決して殻に籠ることなく積極的に川を周り、仲間を助けたり、知恵を授けたりすることに努めた。「持てる者の義務」というのが彼の信条であった。ある日彼は若い魚にこう尋ねられた。

「生きるってどういう事ですか?」

 とても難しい問いだ、とギベナは思った。彼自身、夏が過ぎ、秋を越え、冬を閉じ、仲間が次々に死んでいく様を川に見せつけられ、一時期はそのことを毎日のように考えた。母の胎のように深く優しい水の中を当て所なく往復しながら、彼は一つの結論に辿り着いた。そうだ、生きるとは、当て所なく泳ぐことなのだ。何がなんだか分からずとも泳ぐ。すると腹が減り飯を食べ体は大きくなり、筋肉が動いて身は引き締まり、魚や蟹達と出会い繋がっていく。我々は泳ぐことでどんどん自分というものを強く、大きく、広くしていくのだ。それこそが生きた証となるのだ。ギベナは若魚にそう言うと、聴き入っていた衆目は感嘆しエラをパクパクさせた。

 ギベナはその時のことを思い出しながら、我ながら臭いことを言ったかな、とこそばゆそうに尾びれを震わせた。川の主の寵愛を得ようと群がるメス達をひと掻きで振り切りながら、ギベナは今日も力の限り泳ぐべく、水の流れに乗り、目の前の虫に勢いよく食いついた。



「おー!凄いじゃんタクミ!」

 坂東蛍子はタクミが釣り上げた魚を見て目を見張った。それは体長30cmはあるだろう大きな川魚だった。初夏の太陽の光を浴びてキラキラと輝いている大魚の鱗を撫でながら、昼食が楽しみだな、と蛍子はニヤリと笑って唇を舐めた。

「・・・あれ?大物釣った割にはなんか浮かない顔だね」

 本来ならばこの話はここで終わって良いはずなのだが、蛍子は天才肌ながら妙に鈍い所があったし、タクミもロボットらしい柔軟性に欠ける思考を持っていたため、遺憾ながらもう少しこの物語は続くことになる。こんなことだから蛍子はいつも余計なトラブルに巻き込まれるのである。タクミもタクミで頭の回路をもう一捻り出来たら、高性能人型アンドロイドとしての立場を確立し、製作者に使いっぱしりにされることなどなかっただろう。

 タクミは嬉しいという気持ちを上手く理解出来なかった。キュウリウオ目アユ属の回遊魚のサイズに関心が無かったからという意味ではなく、そういったことを越えた根本の部分を理解しかねていた。感情についてタクミは一通りの原理を把握していたし、他者がその感情を抱いているかどうか判断することは出来たが、しかしそれを自身に当て嵌めるとなると話は全く変わってくるのであった。現行のロボットは例えAIにより知性のようなものを獲得していたとしても、行動原理は理性によって決定され、そこに感情は介在しない。タクミは「Aを得た。Aを得たということは嬉しいことだ。だから嬉しい」という思考の順序は理解出来たが、人間の感情の抱き方を見ているとそれとは全くの逆順序のように思えた――つまり「嬉しい」が先にあり、その後で何故嬉しいのかその理由を発見する、そんな反射的な回路が透けて見えたのだ。タクミにはその感情による思考順序が理解出来なかった。感情は何処からやってくるのか。どうやって生まれているのか。何を基準に判定しているのか。そして何故人はそのことを疑問に思わないのか。そんなことを考える時、タクミはいつも同じ結論に辿り着くのであった。

「それは恐らくワタシに心がないからでしょう」

 それが分からないのは、自分に心と呼ばれるものが無いからだ。タクミは自分の胸元の奥を透視し、空洞の隙間を見つけてそこを心置き場と名付けた。その穴が埋まらない限りは、自分に感情は理解出来まい。

「心が無い?」

 蛍子はタクミの言葉に首を捻り、すぐに腑に落ちた顔を作った。なるほど、タクミは誰かに「心がない」なんて言われて落ち込んでるのね。そんな心無いことを言う人の方こそ「心がない」のよ。

「ゴメンゴメン、喜んでないわけないわよね。感情表現は人それぞれだもの。どんなに薄くても生きてる以上感情は湧くし、喜びもあるわね」

 坂東蛍子は場を和ませようとおどけた調子で笑い、励ますようにタクミの肩をポンポンと二回叩いた。

「生きている?ワタシが?」

 タクミは蛍子の言葉に不意を突かれ、処理に手間取って目蓋を何度か開いたり閉じたりした。蛍子も同じようにパチパチとまばたきする。

「生きてるに決まってるじゃない。今だって話してるし。ていうかこれだけ私の休日の時間奪っておいて生きてる実感わかないとか言ったら怒るわよ。強く殴るわ」

 その時タクミの思考は生の新たな可能性について思い至っていた。もしかしたら生きるということは、生物として生命活動を行うということが全てではないのかもしれない、とタクミは思った。生きるとは、他者から「生きている」と認証されることで成立するものなのかもしれない。現象が認識によって成立しているという考え方がある。「確かなのは自分が認識している光景だけだ」という思想だ。それと同様に、命というのも誰かに認識されることで成立しているのかもしれない。今ワタシはケイコに認識されることで、ロボットでありながら生を獲得したのだ。タクミは急に体が軽くなったような違和感に襲われた。その違和感は違和感でありながらも不思議と不快では無かった。

 タクミは自分の隣で間の抜けた顔をして川面に垂れる釣り糸を眺めている蛍子を見て、感謝の代わりに命の宿る魔法の言葉を送った。

「ケイコも生きている」

「当たり前でしょ」

【タクミ前回登場回】

ロボットと心を賭ける―http://ncode.syosetu.com/n2789ca/

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