ロイ視点:前編
隣国の進攻をがむしゃらに最前線で防いだ数年間。
数多くの友人と部下、そして右目を失った。
気付くと辺境伯として名を馳せていたが、元から醜くい顔は傷痕により更に醜くなり果て、『狂った怪物』と呼ばれている。
勝利を治めた戦も終わってみれば虚しいだけ。
領主の仕事を優秀な弟に任せ放浪の旅に出ようとしたところで、周りに止められた。
まるで俺が死に急いでいるように見えたのだと後々弟は語った。
全てにおいてやる気が湧かない日々を送っている中で、とある友人から結婚をしてみてはどうかと奨められる。
嫁を貰うなど考えたこともない。
そもそもこんな怪物に嫁に来たい女などこの世に居ないと断言出来る。
大抵の女は自分の容姿に嫌悪と恐れを抱き、気の弱い者など顔を見た途端失神してしまうこともある。
いずれ弟に家督を譲るとしても辺境伯の自分。
確かに嫁自体は用意可能だろうが、それは相手の意思を完全に無視したものだ。
初めて娼館へ足を踏み入れたあの日。
相手の女が途中で震えながら泣いてしまった姿を見て、自分は女には触るまいと誓ったのだ。
あれほど情けない思いをするのはもうごめんだ。
だというのに、友人は俺の言葉など聞かずに、とある子爵主催の夜会へと引っ張っていった。
立場を忘れて嫁探しに集中出来るようにと自分の正体を伏せ友人の親戚として潜り込まされたのだが、辺境伯という肩書きのない醜男に誰が近寄るというのか。
惨めったらしくなってトボトボ帰るのがオチだと思っていたその夜、俺は運命を見つけた。
没落寸前の男爵家の姪、ジェーン。
美の女神に愛されし麗しき令嬢。
彼女をひと度目にすれば脳裏に焼き付き、夢の中でも逢いたいと願うほどの美貌らしい。
彼の男爵は本来ならば今回招待されるような家ではないが、どこの家も彼女を夜会へ招待したがった。
彼女の存在が自分の主催する夜会にあることは一種のステータス、居るだけでその場が華やかで幻想的になるのだ。
評判を聞き付けた子爵も彼女を呼んでいた。
一方彼女の方も大抵の場合は招待を断らず、男爵夫妻付き添いの元かなりの数の夜会をこなしているらしい。
傾いた男爵家の為により良い条件の結婚相手を探しているとの噂だ。
まるで身売りだな。
噂を丸ごと信じたわけではないが、容姿を無条件に褒め称えられる女性が見せ物として連れ回される様を想像すると愉快な気分には到底なれない。
とは言え、自分には美女も結婚も全く関係ないものだと信じて疑わなかった。
実際にジェーンを見るまでは。
遠巻きに俺の容姿について嘲笑している男や眉をひそめ怯える女の中で少しでも存在を薄くすべく、デカイ図体を小さくしようと無駄な努力をしていた時だ。
例の美女がやって来たようで、周囲の空気が浮わつくのが分かる。
好奇心に勝てず注目の先をチラリと覗けば男爵夫妻が目に入る。
彼ら自体はなんてことのない中年であったが、後ろを歩く彼女を見て息を呑んだ。
噂に違わぬ、いや噂以上の美貌だ。
本当にただの人間なのかと疑うほど頭の天辺から足の先まで輝いている。
脳内で勝手に妖艶でセクシーな美女を思い浮かべていたが、実際には少女と女の間を揺れる年頃で婀娜の中に成長しきっていない蕾を思わせる危うさも持っていた。
思わず彼女に吸い寄せられそうになる自分に驚く。
周りに居る男も皆同じようなもので少しでも彼女に近づこうとしているが、自分がそれをしては不味い。
彼女に不快な思いをさせるだけだ。
全く自分と正反対な容姿の彼女に堪らなく惹かれるが、同時に畏れも覚える。
美しい者ほど自分のような醜さに耐性がなく衝撃を受けやすい。
彼女に気絶されたり、あまつさえ蔑む目で見られれば暫く立ち直れないかもしれない。
戦場を駆け抜けた大男が情けなくビクビクしながら様子を窺う。
多くの男が彼女の気を引こうと躍起になっている中、とある人物が彼女の前へと進み出る。
それはデップリとした丸みのある体格の冴えない男だった。
暑くないはずだが真夏のように額に汗を掻き、団子っ鼻に肉に埋もれた細い目。
自分が言うのもなんだが、女性に嫌われそうな容姿だ。
「ご、ご機嫌麗しゅうジェーン嬢。一曲踊って下さいませんか」
緊張の為か走ってもいないのにハァハァと荒い息で彼女に喋りかける男。垂れる汗をハンカチで仕切りに拭う。あまり清潔感はない。
周囲の人間は男に馬鹿にしたような生暖かい視線を向ける。
『お前など相手にされるものか』
嘲笑が今にも聴こえてきそうだ。
だがしかし周囲の予想に反し、彼女は美しい顔に笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、喜んで」
魂が抜けるほど素晴らしい笑顔に陶然とする周囲を残し、固まっている彼を引っ張り踊り始めたではないか。
緊張しながら踊る男は何度もステップを間違えていたが、彼女は嫌な顔一つせずそれどころかクスクスと楽しそうに笑い相手の緊張を解すように優しく導いている。
俺はそんな彼女から目を離すことが出来なかった。
自分より遥かにマシとはいえ、冴えない容姿。
そんな者にも他と変わらぬ丁寧な対応に一つの希望が湧く。
もしかしたら―――彼女ならば醜い怪物な自分を受け入れてくれるのではないか。
生まれて初めて胸が高鳴った。
自分の隣に並び微笑んでくれる彼女が頭に浮かぶ。
一度想像するとあり得ないと分かっていながらも願望が溢れだして止まらない。
気付くと踊り終えたらしい二人。
彼女は紅潮する男の顔にソッとハンカチを当て流れる汗を拭っていた。
それを目にした瞬間、胸に怒りと吐き気が込み上げる。
何故あの男だけあんな風に触れて貰えるのか。
彼女の笑顔が俺も欲しい。
つい先程まで多くの男に口説かれている彼女を目にしても大して何も感じなかったのに。
一度妄想が膨らめばもうこの気持ちを抑えられない。
甘酸っぱく照れ臭く、そしてドロリと粘着質な禍々しい不細工で歪で純粋な想い。
それが空虚だった俺の中を満たし支配する。