中編
その後、宣言通りロイはジェーンを逃さぬよう見張った。
ロイは部屋の扉の前を陣取り動かないのだ。
食事は店の人間らしき者が二人分運んで来たし、風呂とトイレは部屋に付いている。
ロイの方がその場を離れる時にはジェーンは縄で縛られた。
夜は一つしかないベッドにジェーンを寝かせ自分は扉の前に座りそのままの態勢で眠った。
深夜トイレへと上体を起こした彼女にロイの瞑っていた左目はスッと開き、逃がすつもりがないことを示す。
窮屈や不便を強いることをすまない、申し訳ないと何度も言葉を尽くして謝るロイだが、どんなにジェーンが怯えようが泣こうが決して逃がしはしてくれない。
そうして一晩過ごすと外へ出ることになった。
「追手がおりますのであまり長くは留まれません。申し訳ありませんが少し歩きます」
追手………この人は本当に賊なんだ。
ロイに監禁という酷い行為を強いられていることは分かっているが、彼の丁寧で優しい態度に戸惑い今一つ恐怖を維持出来ないジェーン。
改めてロイが賊であると実感すると、胸に迫るのは恐怖より寂しさ。
いずれロイに売られてしまうのだろう。
寒くはないか、暑くはないか、腹はすかないか、退屈ではないか。
ロイは頻繁にジェーンへと問いかける。
美しい彼女にいつも男達は挙って親切心を見せたが、下世話な欲ありきということは目を見れば分かった。
だが彼のそれは慈愛に満ちている。
まるで母の深い懐に浸かるような心地がジェーンの心を強く惹く。
両親を失って以来ずっと欲していた温かさがそこにあるのだ。
しかし掛けられるその言葉の数々はジェーンが商品だからなのか。
あんなに優しい温度なのに。
あの温かさは気のせいなのか。
やはりジェーンを心配してくれる人間など居はしないのだと顔前に突き付けられたようで、途端に心が迷子になってしまう。
事実ロイから開放されたところで、彼女に行き場などない。
初夜に死に損なった花嫁など不吉もいいところ。
男爵家へ戻っても厄介者にしかならず中古品として安く売り出されるのが関の山だろう。
宿場から出たジェーンはここが田舎の小さな村だったのだと知る。
男が用意したマントを着てフードまで被せられた。
「し、失礼します」
「え? きゃっ!」
突然抱き上げられたジェーン。
「お、おろして下さいっ!」
「申し訳ありませんが、この方が貴女の逃亡を阻止しやすいので」
「でも重いですし、これから歩くんですよね?」
「貴女の体重などでは頑丈だけが取り柄の私にはびくともしません。寧ろ重みに至福を感じます」
口端を右だけクイッと悪どそうに上げる。
それが照れ笑いであることをジェーンはここ一日で知った。
のっしのっしと動き出したロイに慌ててしがみつくジェーン。
ロイの口端は頻繁に上がる。
驚くことにそれから五時間ロイはジェーンを抱えたまま一度もおろさず歩き続け、着いた街から寄り合いの馬車へと乗り込んだ。
利用者は少なく、ジェーン達の他は柄の悪そうな男達が四人だけだ。
四人は連れのようで酒瓶を片手に昼間だというのに酔っ払っている。
一応貴族の家で育ったジェーンにとって男達の粗野な様子は警戒に値し、ロイに繋がれていた手を強く握る。
「この馬車の揺れは激しいのでどうぞ私の膝へ」
男達を横目で見たロイはジェーンをさっさと膝に乗せ大切そうに抱え込んだ。
男達は面白そうにその様子を観察する。
ロイとフードを目深に被ったジェーンの組合せはどうやら彼らの興味を引いたらしい。
「アンタ随分厳つい醜男だな」
「それなのに女連れたぁ羨ましい限りだ」
酔いが回っている男達はアルコール臭い息を馬車中に撒き散らしながらロイへと絡み始めた。
「ギャハハハ! 確かに俺達なんか男だけでむさ苦しいってのにな」
「こんな化けもんみてぇな奴が羨ましく思えるなんざ悲しいもんだ」
普段あまり怒りの感情が湧かないジェーンだが、ロイを馬鹿にする発言に何故か無性に腹が立った。
「おいアンタ。ちょいとその女貸してくれや」
一人の男がふざけた様子でこちらへ手を伸ばした時だ。
「この人に少しでも触れてみろ。その貧弱な首をへし折るぞ」
男達の言葉を無視し続けていたロイだが、ジェーンへと伸ばされた手に低く唸るように言葉を発した。
その声は背筋が震えるほど冷たく、その視線だけで心臓を握り潰せるほどの眼力であった。
当然男達の酔いも一気に覚める。
「じょ、冗談に決まってんだろ」
「マジになんなよ」
慌てて弁解する男達にロイは威圧的な雰囲気を崩さない。
そんな彼に果敢にも一人の男が怯えつつ食ってかかる。
この馬車の中ではダントツに見れる面構えをしており、まだ年若そうだ。
「お、お前みたいな奴が連れてる女なんかお断りに決まってんだろ! 醜男の相手だ、さぞやドぎつい醜女だろうなぁ!」
なんのプライドなのか引きつらせた顔のまませせら笑いを見せる年若い男。
ロイは静かに立ち上がるとジェーンを大事そうに背へと隠し男達を見た。
「どんな嘲罵も大概は事実だ。俺へのものならば黙って受け取ろう。だがな……この人を侮辱することだけは許しはしない」
「おい、ちょ、うわっ!!」
「うわぁぁぁ!!」
「ひっ! やめ……ぎゃぁぁ!」
「悪かった! だから、ひぃぃぃ!」
ジェーンは唖然として見ていた。
ロイは男達の全力の抵抗もなんのその。走る馬車から彼らを軽い荷のごとく順々に外へと千切っては投げを繰り返したのだ。
恐らく死にはしないだろうが、怪我ぐらいはしそうである。
あっという間に綺麗になった馬車の中で、最後の男を投げ捨てたロイはジェーンへと振り返った。
やはりそれには少しびくついてしまったジェーン。
獰猛そのものだったロイだが、その眉は瞬く間に情けなく下がる。
「次の町へはこの馬車一本しかなかったとは言え、あのような男達と同席させしてしまい申し訳ありませんでした」
「あ、いえ、そんな」
なんと返せばよいのか分からないジェーンの曖昧な返事に眉は更に下がる。
「私のせいで貴女まで悪しきように言われてさぞご不快でしたでしょう。他人の罵詈がここまで腸の煮え繰り返るものだとは知りませんでした」
「……私も、私もロイさんを咎められて腹が立ちました」
何気ない感想をポツリと呟いたジェーンに、巨体を岩のごとく固くし顔を赤らめるロイであった。
馬車が目的地の街へ到着した頃にはすっかり日は暮れていた。
到着を告げる為にやって来た馭者は随分と人数の減った馬車内に目を丸くする。
金は前払いで問題ないのだが走行中の馬車から飛び降りる客は珍しいのだろう。
首を傾げる馭者に軽く挨拶を済ませたロイはジェーンを抱えたまま宿場を探す。
だが、これがまた見つからない。
まずまずの大きさの街なので宿場は何軒もあるのだが、ロイの風貌を見た宿場の人間が宿泊を断るのだ。
身形が荒んでいるわけではないが、ロイは今にも犯罪を引き起こしそうな凶悪な見た目だ。
宿で犯罪を犯されては堪らない。
門前払いも仕方のないことであった。
前日、気絶したジェーンを抱えた血塗れのロイが狭いながらも宿泊出来たことは本当に幸運だったのだ。
まぁロイの気迫に店主が怯えて頷いたとも言えるが。
勿論金さえ積めばどんな客だろうが受け入れる所もあるのだが、そういう場所は大抵薄汚く怪しげでいていかがわしい。
そのような宿にジェーンを泊める訳にはいかない。
普通の宿場は粗方回り、最後の一軒となってしまったロイの焦りはジェーンにも伝わる。
「悪いが満室でね。帰っとくれ」
外から見る限り灯りが点っている部屋の数は多くないというのに、ロイを見た店主は顔を強張らせて冷たく吐き捨てる。
「どこの宿にも断られ、ここが最後だ。どうにかならないか?」
ロイの必死の懇願にも店主は無情に首を横に振る。
それまでロイの顔を見上げていたジェーンは、逃げ出さぬようにと繋がれていた手を軽く引く。
「どうしました?」
「私に任せてください」
突然の申し出に驚くロイを尻目にジェーンは店主の前へと一歩出る。
確かに顔を隠した怪しい客を泊めたくないのも頷ける。
怪訝そうな店主に気付きフードを取る。
ジェーンを見た店主は息を呑んだ。
「あの、決して怪しい者ではないんです。お部屋がないのなら物置などでも構いません。私家事やお掃除なら得意なのでお手伝いもさせて頂きます。どうかここに泊めて下さいませんか?」
少女の涙混じりの訴え。
それもちょっとやそっとじゃお目にかかれない飛びきり美しい娘とならば店主に抗う術はない。
「も、勿論です。あなたに店の手伝いをさせるなんてとんでもない。こんなボロ宿でよければ何日でも泊まっていって下さい」
「本当ですか? ありがとうございます」
ジェーンの花が咲いたような笑顔にうっとりと夢見心地な店主。
「ロイさん、良かったです。これで一安心ですね」
役に立てたことが嬉しく浮かれた様子でロイを仰ぎ見るが、彼はなんとも言い難い複雑な表情で頷くのみ。
ジェーンの高揚も瞬く間に萎んだ。
夜にでも後編を上げます