ちょっとした家族の話(3)
翌朝、空は鉛色の雲に覆われていて、どんよりとした空気が辺りに立ち込めていた。湿気をはらんだ風が鼻孔をくすぐり、雨の匂いがする。とリリーは思った。
「おはよう、シェリム」
その挨拶に、首を縦に動かす動作で返したシェリムは、ふぁ〜と欠伸をしてから、
「あと、6時間か7時間したら、一雨来るわね」
と、リリーのテンションを下げる予測をたてた。
「本当に?」
「本当よ」
リリーとシェリルは公園内で軽い朝食を摂ってから、その場を出発した。
「その一雨って、いつぐらいに降るかな」
「そうね、夕方くらいから注意したほうがいいかしら。もう、毛がすごい重たい」
すこし気だるそうに歩くシェリルを横目に、リリーはすこし焦る気持ちを感じずにはいられない。
「雨は辛いものがあるよ。人探しと同時に、どこか雨宿りできる場所も探しておいた方がいいかな」
「そうね、でもまあ意外と、両方が同時に見つかるかもしれない」
「そう思う?」
「雨を防げる場所があれば、そこに人がいるかもしれない。人がいれば、雨を防げる場所を知っているかもしれない」
「なるほど」
リリーは感心した。
「冴えているね」
シェリムの考えは的中することになる。
「ねぇ、リリー。あれ…」
居住区の南エリアを歩いているとき、シェリムが声をかけた。
「あ」
リリーもシェリムの視線の先を見て、思わず声をあげた。
「人だ」「人ね」
そこに男が一人いた。
「何をしているのかしら」
リリーとシェリルから、大体1キロくらい離れた地点に男はいる。まだ男はこちらには気づいていない様子。どこか目的地が明確になっているような、しっかりとした足取りで男は歩いていた。
「近づいてみよう」
リリーは早足で歩きだし、シェリムも急いでリリーについて行く。
男の背後に近付いたとき、リリーはゆっくりと慎重に声をかけた。
「どうも、こんにちは」
すると、男はいきなりの挨拶に驚くこともなく、のんびりとこちらに振り返り、まずリリーを見てから、視線を足元にいたシェリムに移し、またリリーに戻してから、穏やかな表情で、
「ええ、こんにちは」
と返してきた。
「えっと…」
リリーは男のペースに違和感を覚えながらも、言葉を探り。
「すみませんが、こんなところで、何をされているのですか?」
と疑問を投げかける。すると、相変わらずの穏やかな表情を顔に張り付けたまま男は答える。
「これから家に帰宅するところです」
リリーとシェリルは、お互いに顔を見合わせた。
「家、ですか?」
「ええ、そうですよ」
「あなたの家は、無事だったんですか?」
リリーは辺りを見回す。そこは瓦礫の山が幾つもあって。とてもまともな建造物は見られない。
男は訝しげな表情をして、
「そうですけど…。もしかして、あなた達はこの町の人じゃあない?」
「そうです。すみません、自己紹介が遅れました。僕はリリーと言います。そしてこの子がシェリムと言って。僕たちは旅をしています」
「ああなるほど、旅の方でしたか。それなら、よかったら私の家でお茶でもどうです? 旅人が来るなんて珍しい、“家族”もきっと喜んで歓迎してくれますよ」
「そうですね。ぜひ、お願いします」
リリーはそう言ってから、ちらりとシェリムのことを見た。シェリムは男のことをじーっと見つめている。
「それじゃあ、早速。私の家に向かいましょう」
それから、リリーとシェリルは男について歩いた。
思ったより早くそこに到着した。
「驚いたな…」
リリーは言葉通り驚きの声を隠せなかった。辺り一面は建物の倒壊した跡になっているにも関わらず、そこの区域だけは違っている。
「どうぞ。旅人さん」
そこにだけ、家が建っていた。どこも損壊箇所が見られなければ、それはもはや新築のような、綺麗な家がそこにある。男は玄関口の扉を開けて、リリー達を促す。
「どうしたのですか。さぁ、どうぞ」
「ああ、ええ。すみません、お邪魔します」
それから、リリー達は広い部屋に通された。質素な作りをしたテーブルとイス、近くにあるガラス張りの棚の中にある色違いのティーカップが4つ。
「なんか、変」
ずっと黙りこんでいたシェリムがリリーにだけ聞こえるように、小さな声で言った。リリーも家に入ってから感じる違和感。この広い家の中で、人の気配が全くしない。
とりあえずリリーは席につく、隣の席の上にぴょこんとシェリムも乗っかる。
男は湯気のたつマグカップ一つをリリーの前に、そして白いミルクが注がれた平たいお皿をシェリムの前に置いてから、自分も席に着いた。
「あ、すみません」
「いえ、いいんですよ旅の方。我が家でゆっくりしていってください」
リリーはカップに注がれた、緑色の液体の香りを嗅いで、ちらりとシェリムに視線を移す。シェリムは涼しい顔をしてミルクに舌を這わせていた。
「あの、すみません」
「はい、なんでしょうか」
「ご家族の方は、今?」
ああ、と男はにこやかにその質問に答えた。
「買い物に出かけております。妻も、息子達もね。明日は海に出かけようと思いましてね」
「海に、お出かけになられるんですか」
「ええ、家族サービスですよ。私はいつも仕事に出ていて、なかなか“家族”と一緒にいられないので、寂しい思いをさせてしまってね。だから、たまにの休みは“家族”と海にでかけるのです」
「それは、いいことですね」
「ええ、“家族”も喜んでくれます」
リリーはカップを持ち、その緑色の液体を喉に運んだ。なんだか、落ち着く味がした。と、じーっと見られているような感覚を覚え、リリーはカップをおろす。男と目が合った。
「えっと、お庭も綺麗ですね」
リリーは、すぐさま男の背後にある窓に視線を移し、そこに広がっている光景を褒めた。
「ええ、自慢の庭ですよ」
男も庭の映る窓へ振り返る。そこだけ丁寧に整えられた庭は、他の崩壊した世界とは全くの別次元のような感じだ。不釣り合い、不自然さ、そんなものをリリーは感じつつも、男にはそれが見えてないのか、それとも無視しているのか。我が家の庭だけを見て、ただただ微笑みを浮かべてそう言う。
「変よね」
シェリムが口元を白くして、またその言葉を呟いた。
それから、リリー達は男から家族の話を幾つもされた。学園の運動会で長男がリレーの一等賞をとったこと、次男が学芸会で笛の演奏をしたこと、妻と子どもたちが、内緒で誕生日会を開いてくれたこと、そんなことを男は嬉々と語り、リリーもそれに相槌をうっていた。
頃合いを見て、リリーは町の事を尋ねた。この町は海も近いことがあり、漁業が盛んのようだ。おいしい魚が沢山食べられるのでぜひ旅人の方も、とリリーは勧められて「ええ、ぜひ」と頷いた。
そうしているうちに、外から雨音がしてきた。
「雨が降ってきたな」
男は窓から外を眺めて呟く、それから振り返って。
「よかったら、今日は我が家で泊りになってはどうですか?」
「いいんですか? 迷惑になりませんかね」
「遠慮なさらずに。今日はここで泊ってください。“家族”も賛成しますよ、きっとね」
「そう、ですか。それではお言葉に甘えさせてもらいます」
リリー達は男から、使っていない部屋があるからそこを使ってください、と言われその部屋に案内された。今日はここで寝泊まりすることになる。そこは広くも狭くもない部屋で、簡単な作りの机と何も収納されていない空の棚、そしてこれもまた簡易的なベッドがあった。
「今日はベッドで寝れるよ。久々だね」
リリーよりも先に、シェリムはベッドの上へぴょんと飛んだ。
「ほんとに、まともな屋根があるだけでも嬉しいわ。今夜はゆっくり寝れそうね、リリー」
「話を聞いていたとき、ぐっすり寝てたみたいだけど、まだ眠れるの?」
「寝てないわ。ちゃんと聞いてた」
「ホントに?」
「ええ、ご長男が誕生日会で笛を、って、それにしても」
「全然違うよ。…まぁいいや。それにしても?」
「ご家族の方が帰ってくる気配が微塵もないわね。それに、どこへ買い物に出かけているというのかしら、昨日と今日歩き回ったけど、そんな建物はどこにもなかったし」
「うん…」
リリーは、窓から外を眺めた。雨はまだ降っている。
外は雨。
先ほどまで旅人達がいた部屋で、男は静かに座っている。
「…」
男はただ黙っていて、旅人が座っていたイスの辺りをじっと見つめていた。
深夜。
空は深い黒色に覆われていた。雨が外壁をうつ音が家中に響いている。
リリーはベッドで横になっていたものの、眠ってはいなかった。すぐ近くでスゥスゥと寝息をたてているシェリムを起こさないようにベッドから立ち上がり、静かに扉をあけて部屋を出る。
長い廊下を歩き、目当ての扉を見つけて、開ける。そこは最初に通された部屋だ。中に入ると、そこには男の影があった。リリーの存在を確認した男は、リリーへ歓迎の言葉をかけた。
「お待ちしておりました」




