ちょっとした家族の話(1)
そこは廃墟と化していた。
「ひどいものね」
若い、女性の声がそう言った。
「やっぱり、爆撃の被害をうけたんだね」
それに対し、若い男の声が答えた。
通りに面した位置にある、大きな建物跡から一人の男が這い出てきた。その男は黒色のコートのようなものを着ていて、肩に埃をかぶっている。肩をぽんぽんと叩きながら、
「被害は思ったより酷いみたい。生存者は見込めないかな…」
残念ながらね。と最後につけたす。すると、どこからともなく最初の女性の声が、
「だから言ったのよ、行くだけ無駄だって」
「でも、可能性はゼロじゃなかったからね」
「ゼロよ、ゼロに決まってる。あの爆撃から逃れるなんて無理、ってどこ行くの」
「この先は商業区になるらしい、そこを見に行こう」
「ちょ、ちょっと待って」
ぴょん、と黒い猫が瓦礫の山の中から飛び出てきた。そしてその黒猫は、男の後を追うようにしてテトテトとついてくる。
「商業区に行けば食料があるかもしれないわね」
「機嫌がよくなったね」
「あたりまえよ、もう二日まともに食事してないんだから。ふつうの猫だったら飢え死にしてる」
「うん、でも過度な期待はしないほうがいいよ」
「なに言ってるの、期待しなきゃもう歩いてらんない。期待を捨ててこのままここで大の字に寝て飢えるのを待つなんて、絶対に嫌よ」
「うん、確かに僕もそれは嫌だな。…それにしても、よかったよ」
なにがよ。と黒猫は男の前に出て振り返る。男は立ち止まってにこやかに、
「シェリムがシェリムらしくなって」
シェリムと呼ばれた黒猫はもごもごと口を動かして、鋭い目でキッッと男を睨んだ、かと思ったらぷいとそっぽを向き、また歩き出した。
「本当に、二日前まではひどかったから」
「やめなさい」
ぴしゃりとシェリムは言う、しかし男は構わないと続ける。
「本当に、あんな弱気になってるシェリムを見てるのは、正直辛いものがあったな。でも、今考えればそれはそれでよかったのかもしれない、静かだったし」
まるで、あたしが普段うるさいみたいじゃない。とプンスカ文句を言いながら、シェリムはぱたりと立ち止まる。
「ねえ、リリー」
リリーと呼ばれた男が答える。
「うん?」
リリーも立ち止まる。
「此処──」
シェリムがそう言う前に、リリーは察した。目の前にある建物、その脇にある看板には『レストラン』という文字が書いてある。シェリムはそこから一歩も動かなくなった。
「見てくるよ、待ってて」
リリーが建物の中へ向かってゆっくりと歩き出した。シェリムはじっと建物を睨みつけるようにしながら、「気を付けて」とリリーの背中に声をかけた。
二日前。
空気は蒸し暑い。時刻は昼を回った辺り。そこには土が盛られて塗り固められた、なんとか道だと分かるような道が一本伸びている。その道の上を、一人の男と一匹の黒猫が歩いていた。男の方は、こんな暑さにも関わらず黒いコートのようなものを着ている。すこし銀色を帯びた髪は耳の下まで伸びていて、顔つきは10代半ばのような若さを感じる。しかし、雰囲気はどこか大人びている。そんな男の足元をフラフラと千鳥足のようについてくる黒猫は、言葉を発した。
「あついわ、おなかすいたわ、くたびれたわ…」
男の方は、涼しい顔で、
「僕も全てに同意だよ」
そう答えて、なおも歩き続ける。
「にゃー!」
男は振り返った。そこには、地面の上に大の字で寝ころぶ黒猫の姿があった。
「猫がにゃーって言ったね」
黒猫はギロリと睨みつけた。
「あたりまえよ、猫だもの」
そうだね。と男はクスリと笑った。そして、「休憩する?」と黒猫のことを労わる。
「いやよ、こんな場所で。あっついもの、いやすぎる」
「じゃあ行こう。もうすこし歩けば、町があるから」
黒猫は「はぁ…」と溜め息をついてから、よっこらせと身を起こしてテトテトと歩き始めた、そして立ち止まっている男を見上げ、
「キィィ──ッ!」
と牙を見せてから、男の前を歩きだす。
「機嫌が悪いなぁ…」
男は黒猫には聞こえないように声色を潜めて呟いた。そしてその次に「ま、無理もないか」と繋げた。
一人と一匹は、こうしてずっと歩いている。何日こうしているかは、もう数えるのをやめていた。それは無意味だからだ。
「ちょっと、なにボケっとしてるのよリリー」
黒猫が振り返る、リリーと呼ばれた男は、
「ああ、ごめんよ。シェリム」
急いでシェリムと呼んだ黒猫に追いついた。
それからしばらく歩いた。最初は10分に三度は文句を垂れていたシェリムも、次第に口数が少なくなり、1時間もの間に一度しか口を開くなった頃に、いよいよリリーは心配を感じ始めた。そんな矢先の事だ、シェリムがぴたりと足を止めた。
「どうしたの?」
シェリムは何も言わない、ただ黙って、ゆっくりと後ずさりをした。
「すこし待ってて」
リリーはその場にシェリムを残して先を行った。腰の辺りに右手をそえて、ゆっくりと歩く、そしてしばらくそう歩き、立ち止まる。それは道端に転がっていた。
「なるほど」
人間だった。恐らく、リリーよりすこし年上の女性のものだ。
「失礼します」
リリーは呟くように言って、その女性に近づく。ブロンドの髪をしていて、青いドレスを着飾っている。腰の辺りにポーチのようなものをひっかけている。「ごめんなさい」と静かに、リリーはそのポーチを開けた。
シェリムはしっかりとリリーのことを待っていた。ざわわ、と生温かい風を体に感じてすこし身震いする。西日が差している、もうしばらくしたら夜だ。そんなことを薄らと考えていると、こちらに近づいてくる足音を感じて、伏せていた顔をあげた。
「収穫だよ」
戻ってきたリリーは、明るい声でそう言った。
「地図があった、だいぶ破れているけどね。ここ近辺の地理はこれでよく分かる。目指す町はやっぱりこのまま東に進めば到着する。それが確認できた」
シェリムは黙っている。リリーはすこし微笑んで、
「そしてもう一つ、食料だ」
それでもシェリムは黙っている。しかし、耳がピクリと反応したのを、リリーは見逃さなかった。




