↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
共鳴生態圏  作者: asuma


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

第一話「青い肉」

シベリアの冬は長い。


針葉樹の森を白く染める雪は、春の訪れとともにようやく姿を消す。しかし、短い夏が過ぎれば、再び大地は凍てつく。

そんな土地で、奇妙な噂が広まり始めた。


狼が速すぎるのだという。


最初に異変を訴えたのは、森に出入りする猟師たちだった。

ある猟師は、雪原を横切る一頭のトナカイと、それを追う狼の群れを目撃した。

トナカイは狼たちを大きく引き離していた。猟師が双眼鏡を構えたときには、両者の間にまだ相当な距離があった。


ところが、その距離が急速に縮まり始めた。

狼たちが一斉に加速したのだ。

先頭の一頭が雪を蹴り上げ、恐ろしい勢いでトナカイに迫る。

後続の狼たちも遅れることなく続いていた。


トナカイは逃げた。首を伸ばし、四肢を懸命に動かして雪原を駆ける。

しかし、引き離すどころか、狼たちはますます近づいてきた。


先頭の狼が勢いよく跳躍した。

その牙がトナカイの後脚を捉える。

獲物が体勢を崩したところへ、残りの狼たちが次々と襲いかかった。


猟師が双眼鏡を下ろしたときには、すでに狩りは終わっていた。

また、ある猟師は「普通なら諦めるような長い距離を、狼たちが執拗に追跡し続けていた」と証言した。


もっとも、当初は誰も本気にしなかった。

狼は元々、優れた持久力を持つ捕食者である。

雪原を長時間走り続けることも珍しくない。

ましてや、猟師の目撃談には誇張がつきものだ。


しかし報告は途絶えなかった。

やがて、ある大学の研究者たちが調査に乗り出した。

目的は、狼の生態に何らかの変化が生じているのか、自身の目で確かめることだった。


研究者たちは現地を訪れ、猟師たちへの聞き取りを始めた。

だが、肝心の狼を捕獲することは容易ではなかった。

そこで彼らは、ある猟師に協力を求めた。


その男はシベリアンハスキーを飼っていた。

長年、狩猟の傍らで共に暮らしてきた犬だった。


「最近、妙に元気でなぁ...」


猟師はそう語った。

聞けば、以前は一時間も走れば疲れを見せていた愛犬が、近頃は三時間走り続けても平然としているという。

年齢を考えれば、むしろ体力が衰えていてもおかしくなかった。


ところが、その犬は若い頃よりも力強く、活発になっていた。

研究者たちは興味を示した。

狼に起きているとされる異常と、何らかの関係があるかもしれない。


猟師の了承を得て検査が行われた。

そして、採取された試料から、既知のものとは異なるウイルスが検出された。

しかし、それだけだった。


未知のウイルスが存在することと、それが犬の身体能力を向上させたことは全く別の話である。

研究者たちは慎重だった。

追加の調査が必要だと判断されたものの、狼の異常についても決定的な証拠は得られなかった。


やがて研究者たちは現地を離れた。

猟師の生活も、以前と変わらぬものに戻った。

犬は変わらず元気だった。


森を駆け、主人に付き従い、食事を平らげ、夜になれば眠った。

猟師の心配とは裏腹に、特別な治療が必要になることもなかった。

そうして、いくつもの季節が過ぎた。


そしてある日、犬は死んだ。


病に苦しんだわけではない。

長い年月を生き、老い、寿命を迎えたのだった。


猟師は深く悲しんだ。

長年連れ添った相棒を、そのまま土に埋めてしまうことが惜しかった。

せめて姿だけでも残しておきたい。


そう考えた男は、かつての愛犬を剥製にすることにした。

作業台に横たえられた犬の身体は、すでに冷たくなっていた。

猟師は毛皮に刃を入れた。


獲物の皮を剥ぐことには慣れていた。

それでも、長年連れ添った愛犬を相手にするのは、いつもとは勝手が違った。

男は手を止め、犬の顔を見た。


何度も見慣れた顔だった。

小さく息を吐き、再び作業に戻る。


異変が明らかになったのは、そのときだった。


慎重に刃を進め、毛皮を持ち上げる。

その下に現れた肉を見て、猟師は手を止めた。


肉が、青かった。


薄い青紫色などではない。

筋肉の一部が、明らかに青く染まっていた。

男は目を疑った。


作業場の照明を確かめ、顔を近づける。

見る角度を変えても、その色は変わらなかった。

生前、犬の身体にそのような異常を見つけたことは一度もなかった。


毛皮に覆われていて気づかなかったのだろうか。

それとも、死後になって何かが起きたのだろうか。

理由はわからなかった。


ただ、男には一つだけ思い当たることがあった。

以前、この犬を調べに来た大学の研究者たちである。

あのとき、彼らは未知のウイルスが見つかったと話していた。

思い立つと猟師はすぐに大学へ連絡を取った。


犬が死んだこと。

剥製にしようとしたこと。

そして、その肉が青かったこと。


話を聞いた研究者は、すぐには返事をしなかった。

しばらくして、犬の遺体がまだ残っているかと尋ねた。

猟師が残っていると答えると、研究者は保存状態についていくつか質問した。

最後に、こう告げた。


「もう一度、そちらに伺ってもよろしいでしょうか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。