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フィクションではないとしても  作者: Hellmärc


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1/1

未だ、現実の方がマシな夢

 出してよ。出してよ、出してよ――――

 声に出しているのか、頭の中でだけ叫んでいるのか、自分でもわからない。ここではどちらでも同じだ。どちらにしても誰も返事をしないし、仮に聞こえていたとしても、彼らはきっと聞こえないふりをする。そういう場所だから。

 なんでこんなところに入ったんだっけ。誰かに入れられたんだっけ。――違う、違うよ違うってば。自分から入ったんだ。わたしはここに来ることを懇願さえしたんだ。

 だって間違っているから。


 何が間違っているのかは、うまく言葉にできない。ただ、どこかで選択を誤ったとか、そんな小さな話じゃない気がする。もっと前、もっとずっと前から、わたしは何かを外している。たぶん、あの日だ。わたしが生まれちゃった日。あの日からずっと、何かが噛み合っていない。歯車が一枚だけ欠けた機械みたいに、世界とわたしの回転はいつも少しずれていた。

 帰りたいよ。帰してよ。あの頃に返して、あの時に返して。

 死にたいけど、死体になんてなりたくない。腐っていく肉とか、青く膨らんだ皮膚とか、そういうのを想像するとどうしても嫌になる。だからそれが出来ないなら、せめて生まれたくなかった。あのぬるま湯の中から出ていきたくなんてなかった。暗くて、狭くて、たぶん何も考えなくてよかったあの場所で、ずっとずっと、緩やかに溺れたままでいたかった。


 ここにはやることがない。時間はあるのに、時間の中身がない。だからせめて穴でも掘らせてほしい。土を掘って、埋めて、また掘って、それだけでもいい。意味なんていらないから。何か見せて。何かさせて。妄想はもう疲れたよ。最初のうちは楽しかった。頭の中に街を作って、知らない人間を歩かせて、好きなように壊して遊べた。でも何百回も同じことをやると、それは遊びじゃなくて作業になる。

 眠れない。逃避と睡眠は退屈に勝てないから。

 ここはいつだって消毒液の匂いがする。鼻の奥が冷たくなるような匂いで、白くて、空っぽで、何もかも洗い流してしまう匂いだ。たぶん人間が腐らないようにするための匂いなんだろうけど、同時に人間らしさまで消してしまう匂いでもある。

 わたしの四肢はベッドに縛りつけられている。白いベルトで、きつく。最初は暴れたけど、今はもう慣れた。動けない身体というのは、しばらくすると自分のものじゃないみたいに感じられる。手も足も、遠くに置かれた道具みたいで、わたしが命令しても動いてくれない。


 わたしのことを人間だとも思っていないような奴らが、そんなわたしを置き去りにして何処かへ行く。廊下を歩き回って、靴の音を鳴らして、自由にドアを開け閉めしている。わざとじゃないのはわかっているけど、それでもあれは、奪ったものを見せつけているみたいに見える。自由っていうやつを。

 隣室には旦那の腕を噛んだ女がいる。夜になると笑う。妙に明るい声で、遠足の前の子どもみたいに笑う。その向こうには自分が火星人だと信じている男がいて、壁に向かって何かの通信をしている。低い声で、ずっと同じ言葉を繰り返している。たぶん宇宙語なんだろう。

 でも、そいつらはわたしを見るときだけ、妙に静かな顔をする。

 まるで狂人でも見るみたいな目で。


 変だよね。だって、わたしは誰よりも真面だったのに。周りの馬鹿と世間を嘲笑して、こんな世界に生まれちゃったからせめて楽しませてって、そう思っていただけだ。みんなが当たり前だと思っていることを、少し疑ってみただけ。退屈だったから、少しだけ世界で遊んでみただけ。

 それだけなのに。

 それだけなのに、気がついたら、わたしはここにいる。

 白い天井を見上げて、消毒液の匂いを吸い込みながら、どうしてこうなったんだろうって、同じことを何度も考えている。

 考えれば考えるほど、ひとつの答えに戻ってしまう。

 たぶん全部、最初から間違っていたんだ。

 わたしが生まれてしまった、その瞬間から。

 そうして、何かが外れた――――

 





















 外は暗かった。

 夜になったんだと気付く。でもいつから? さっきまで窓の外はまだ明るかった気がする。夕方だったのか、それとも昼の残骸だったのか、思い出そうとすると頭の中が白くなる。ここでは時間が溶ける。時計はあっても意味がない。

 気付かぬうちに、拘束は解けていた。

 手首に残るベルトの跡を見つめる。赤い線が、細い蛇みたいに皮膚の上を這っている。さっきまで確かに縛られていたのに、今は自由だ。自由という言葉は、思ったよりも軽かった。羽みたいに。掴もうとすると指の隙間から落ちていく。


 ベッドを飛び出して、窓を割る。

 退屈なくらい簡単だった。ガラスは乾いた音を立てて崩れ、飴細工みたいに散った破片が、重力の弱まった世界に放り出されたみたいに、ゆっくりと空中を漂った。破片はわたしの周囲を舞う。羽毛みたいに軽く、きらきらと光を返しながら。

 外気が流れ込んでくる。消毒液の匂いが、ようやく薄れた。

 空は昏かった。

 月はない。ただ星だけが瞬いている。遠くて、冷たくて、どうやっても届かない距離にある光だ。まるで、手を伸ばしても届かないだろうって笑っているみたいな星月夜だった。

 その夜空の中に、もうひとつだけ輝きがあった。


 天使だった。

 ――――汚い翼。


 それは、光の帯を束ねたような翼だった。けれど、ただ綺麗な光じゃない。高慢と偏見が細かく編み込まれた、やけに読みづらい人生のような光。


「……やあ」


 彼はベランダの手すりに降り立った。

 ブラックスーツに身を包んだ、有翼の青年。整った顔立ちのくせに、見ているとどこか不安になる。神様の使いとか、救済とか、そういう言葉が似合うようにしている、そんな顔でわたしを見つめている。

 もしかしたら、わたしをここから助け出してくれるヒーローなのかもしれない。

 望んでいなかったと言えば嘘になる。けれど、わたしは思う。

 こんな、惨めったらしい顔をした救世主は欲しくない。


「君は、なにに絶望したんだい」


 自分が救う側なのだと信じきっている声だった。青年は手を差し出す。その仕草は優雅で、どこか舞台の役者みたいだった。救済の演技。

 わたしは言葉尻を立てるように返す。


「どうでも良いでしょ?」


 そう、どうでもいい。こんな現実はもう。

 彼は一瞬だけ黙る。

 たぶん想定していた反応じゃなかったのだろう。救われたがる人間しか相手にしてこなかった顔だ。


「ねぇ、紛い物の天使さん。わたくしを自由にして」


 手を差し出す。

 わたしが差し出すのだ。彼の手を取るのではない。彼こそが、わたしの手を取るのだ。


「ここから連れ出して。代わりに、終わらせてあげる」

「……何を?」


 青年は眉をわずかに動かす。


「その被害者気取りの貌を」


 どうにも、向かっ腹が立つ。胸の奥から嫌味な感情が湧き上がる。吐き出さないと腐るみたいな感情。


「生きる意味と、死ねない理由って違うのよ」


 言葉にしてから気付く。

 今、見つけたんだ。

 今、決めたんだ。

 まだ死なない理由を。


「なってあげる」


 何に、と青年の視線が語る。

 もうとっくに答えなんて理解してしまっているくせに、それを隠そうとしているみたいな視線。

 だから、わたしは言ってあげる。



「――――アナタの、生きる理由」 

 

 


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