正論の侵食
王都の喧騒の中に、突如として「静寂」が染み出し始めた。
それは、遥か、遥か遠方の砂漠の国からやってきたという、純白の法衣に身を包んだ一団だった。彼らは殺意を叫ばず、管理を強かず、仮死を推薦しない。ただ穏やかな微笑みを湛えて、道行く人々に語りかける。
「……愛とは、痛みではありません。愛とは、激動でもありません。それは、風に揺れる花をただ眺めるような、静かなる凪なのです」
その言葉は、連日の「激しすぎる愛」に疲れ果てていた一部の信者たちの心に、冷たい水のように染み込んだ。
彼らが説く教義は、驚くほど「まとも」で「正論」に満ちていた。
【愛の解体】:殺意を愛と混同するのは、精神の病である。
【個の尊重】:相手を管理・拘束するのは、愛ではなく支配である。
【虚無の愚かさ】:それは生きている事を否定するという事である。
【平穏の推奨】:真の幸福は、何事も起きない日常の中にのみ存在する。
「……ねえ、ルナ。あの人たちの言っていること……僕がずっと、心の底から求めていた『普通』そのものじゃないかな?」
テオが、広場で配られている白い小冊子を手に、震える声で呟いた。そこには、毒も爆弾も、凍りついたお茶も出てこない。ただ「互いに干渉せず、静かに慈しみ合いましょう」という、テオにとっては夢のような世界が記されていた。
ルナも、その冊子を食い入るように見つめている。
「……論理的だわ。飛躍も矛盾もない。……彼らは『愛とは、互いの境界線を侵さない距離感のことだ』と定義している。……これは、この国が忘れてしまった、生存戦略としての『正しい共存』の形よ」
ルナの診断機も、彼らからは一切の殺意や異常数値を検出しない。彼らはただ、圧倒的に「健全」だった。
しかし、シアンだけは、竪琴の弦を一本も鳴らさず、遠くからその白い集団を眺めていた。
「……おや、困ったね。彼らの言葉には、色彩がない。……テオ、ルナ。気をつけた方がいい。……『何もないこと』を至上の愛とする彼らの世界には、僕の詩も、君たちの鼓動も、きっと居場所がないから」
一方、王宮のバルコニーでは、エルゼとアルフォンスが、街のあちこちで「静寂」が広がっていく様子を見下ろしていた。
「……アルフォンス。不気味ね。私の氷さえも、彼らの前では『ただの物理現象』として無視される。……私の愛を『病』だと一蹴する、あの無機質な瞳……」
「……ああ。……今まで、この世界のすべてが……私たちの愛という熱量で回る、一つの長い夢だったのではないかとさえ思えてくる」
二人の間に、かつてない冷ややかな沈黙が流れる。
もし、彼らの言う「正論」が常識になったとしたら……。
自分たちがこれまで世界に注いできた「殺意という名の献身(不本意)」は、ただの独りよがりの狂気(正論)だったことになる。
「……調査しましょ、アルフォンス。……彼らが掲げる『偽りの平穏』の裏に、何が隠されているのかを」
「……了解した。……だが、エルゼ。もし……もし彼らが本当に『正解』だとしたら、私たちは……」
最強の二人の背中に、初めて「迷い」という名の影が落ちた。
王都を侵食し始めたのは、物理的な破壊ではなく、「自分たちは狂っている」という冷徹で至極当然の自覚を促す、あまりにも、あまりにも正し過ぎる福音だった。




