感化された少年
数日後。王立学園の屋上は、今日も「まともな聖域」としてテオたちを待っていた。
昨日はルナが欠席していた。彼女の弟が風邪を引いたのだが、この国の信者である弟は「お姉様の管理不足を補うために、熱という情熱で体を浄化しているのです!」と熱弁して布団から飛び出そうとしたため、その物理的な封じ込めに追われていたのだ。
今日はその反動か、ルナは少し早起きをして、テオと自分のために不器用ながらも「家庭料理」と言えるレベルのお弁当を作ってきていた。
「……遅れてごめんなさい。トイレで手を洗っていたら、屠殺派の生徒が『この水に私の愛(猛毒)を混ぜるべきかしら』と相談してきたから、論理的に却下するのに時間がかかったわ」
ルナが屋上のドアを開け、お弁当箱を手に現れた。そこには、いつものようにシアンと、彼に甘えるエトワールの姿がある。
「おかえり、僕の思考の海に差す一筋の月光。……君の不在という名の冬が終わり、今、屋上に春の調べが戻ってきたよ」
「………………は?」
ルナの動きが止まった。声の主は、シアンではない。
腰を下ろし、遠くの地平線を見つめながら、どこか遠い目をしているテオだった。
「テオ……? 貴方、今、なんて言ったの?」
「おや、困惑という名の露が、君の美しい眼鏡を曇らせているね。……ルナ、昨日の君がいない時間は、まるでページを破り取られた叙事詩のように、僕の心に空虚な余白を残したんだ。……さあ、その愛の詰まった箱(お弁当)を開けて、僕の空腹と孤独を同時に満たしてくれないか」
テオはシアンから教わった「全肯定ポーズ」で、優雅にルナを促した。
「……シアン。貴方、昨日一日でテオの脳に何をインストールしたの?」
ルナが殺気混じりの視線をシアンに向ける。シアンは竪琴をジャランと鳴らし、眩しい笑顔で答えた。
「おやおや、心外だね。僕はただ、彼に『心の色彩を言葉にする魔法』を教えただけさ。……見てごらん、今のテオは、ただの少年ではない。……愛を語る、若き吟遊詩人の蕾だ」
「……蕾じゃなくて、バグよ。致命的なエラーだわ」
ルナは唖然としながらも、テオの隣に座った。テオはシアンに比べればまだ不自然で、どこか必死に言葉を絞り出しているのが丸わかりだが、その表情は真剣そのものだ。
「……ルナ。……これ、君が作ってくれたのかい? ……ああ、蓋を開けるのが怖いよ。……この中に、君の慈愛という名の小宇宙が閉じ込められていると思うと……」
「……黙って食べなさい、テオ。普通の卵焼きよ」
ルナが半ば強引にお箸をテオの口にねじ込む。
テオはそれを咀嚼し、一瞬「まともなテオ」の顔に戻って「……美味しい」と呟きかけたが、すぐにシアンと目が合い、再び背筋を伸ばした。
「……素晴らしい。……卵の黄色は希望の色だね。……塩味と甘みの調和が、僕の味蕾の上でワルツを踊っている。……ルナ、君という名のシェフに、僕の全人生をチップとして支払いたい気分だよ」
「……テオ。貴方、がっかりはしていないけれど、……正直に言って、今の貴方の言語能力は、私の管理対象外にまで飛躍しているわ。……驚きすぎて、おにぎりを落としそうになったわよ」
ルナは呆れ果て、けれど、どこか「シアンに影響されるほど、彼と仲良くなれたのね」という微かな安堵を胸に、自分のお弁当を口にした。
「……キュイ……(テオ、がんばれ……)」
エトワールだけが、少し複雑そうな顔でテオを見守っていた。
狂気の世界で、まともな少年が、少しだけ「おかしな友達」に染まってしまった昼下がり。
テオの不器用なポエムは、屋上の風に乗って、苦笑するルナの耳を赤く染めていった。




