多才な吟遊詩人
学園の喧騒を離れ、テオとルナはエトワールを連れて屋上へと避難していた。
眼下では【屠殺派】の生徒たちが「愛の千本ノック(実弾)」に励んでいるが、ここまではその音も遠い。
「……ねえ、ルナ。今日のお弁当、ソフィア様が是非にってくれたんだけど、王宮のシェフが気を利かせすぎて『管理栄養バランス完璧ポタージュ』とかいう物で……まったく味がしないんだ」
「……私のところもよ。お母様が『凍らせた方が保存が効くわ』って、おにぎりをカチコチの氷漬けにして持たせてくれたの。……これ、鈍器としてしか機能しないわ。こんな事なら私が作れば良かったわ……。でも朝苦手なのよね」
二人が溜息をつきながら、味気ない昼食を前に肩を落としていたその時。
屋上のドアが軽やかに開き、鼻をくすぐる芳醇な香りが風に乗ってやってきた。
「やあ、空腹という名の孤独を抱えた若き旅人たち。……今日の風は、バターとハーブの香りを求めているとは思わないかい?」
シアンが、銀色のバスケットを手に現れた。その足元に、元気を取り戻したエトワールが真っ先に駆け寄る。
「キュ……キュイ!」
「おやおや、可愛い聖獣殿。君の毛並みは、まるで雲を紡いだシルクのようだね。……お近づきの印に、これを。……厳選された木の実と、蜂蜜のテリーヌだ」
シアンが小指ほどの小さな塊を差し出すと、エトワールは目を輝かせてそれを頬張った。その瞬間、エトワールの体がふわりと柔らかな光を放つ。
「……あ! エトワールが、昨日の静寂の時みたいに光ってる……。シアンさん、これ、あなたが作ったの?」
「詩を書くことと、料理を作ることは同義さ、テオ。どちらも、世界から切り取った愛を、一皿の芸術に盛り付ける作業だからね」
シアンはそう言うと、バスケットから色鮮やかな料理を取り出し、広げたクロスの上の並べ始めた。
それは、真っ赤なトマトのコンフィ、香ばしく焼けた白身魚のムニエル、そして、見たこともないほどふっくらとした焼きたてのパン。
「……嘘でしょ。これ、本当に『普通』の料理なの? 毒も、氷も、心拍数を測る魔導具も入っていない……?」
ルナが信じられないといった様子で、恐る恐るパンを一口かじる。その瞬間、彼女の瞳が曇るほどの熱量と、優しい甘さが口の中に広がった。
「……美味しい。……論理的な説明が追いつかないわ。……脳が、『幸せ』という名の信号だけで埋め尽くされていく……」
「わあ、本当だ! 柔らかい……それに、このスープ、すごく温かい味がする。……シアンさん、すごいよ! おじさんのところ以外で、こんなに安心してお腹いっぱいになれるなんて!」
テオはすっかり表情を崩し、シアンが持ってきた料理を夢中で頬張った。
「ふふ、喜んでくれて光栄だよ。……テオ、君の食べっぷりは、まるで太陽を飲み込む少年のようだ。……そしてルナ、君のその驚いた顔は、計算式の中に突然現れた『愛』という名の変数だね。……最高に詩的だよ」
シアンは自分では食べず、竪琴を優雅に奏でながら、二人の食事を全肯定の微笑で見守っている。
「……ルナ。シアンさんって、やっぱりすごい人なのかも。……少し鬱陶しいけど、この人の周りにいると、悪いことが起きない気がするよ」
「……認めざるを得ないわね。……この料理の完璧な調和は、私の管理能力を遥かに凌駕しているわ。……シアン、貴方を『暫定的な、私たちの食の守護者』として、特例で認めてあげるわ」
ルナが渋々、けれど満足げに言うと、シアンは胸に手を当てて深く一礼した。
「光栄な任命だね、管理の姫君。……さあ、デザートはこれからだよ。……名前は『初恋の予感と、木漏れ日のタルト』。……召し上がれ」
青空の下、狂気に満ちた学園の屋上で、三人と一匹の「まともで美味しい」時間は、穏やかに流れていくのだった。




