魅惑の図書室
学園の隅にひっそりと佇む旧図書室(使われていない書物保管庫)。そこはテオとルナが、外の世界の狂気から逃れるために作り上げた、いわば「まともさのシェルター」である。
「……ハァ、ハァ……。ここまで来れば、大丈夫だ」
エトワールの先導で室内に飛び込んだカイルは、腕の中のクラリスをゆっくりと下ろした。
カイルの腕が離れると、クラリスは頬を染めたまま、乱れた髪を整えながら小さく息をつく。
「……ありがとうございます、カイル様。……あのような、皆様が同時に踊り(管理体操)ながら迫ってこられるなんて、少し……驚いてしまいました」
「ああ。……この国の『愛』は、時として暴力的で、強引だからな。……君を巻き込んで済まない」
カイルが苦渋に満ちた顔で謝罪する。戦場を知る彼にとって、大切な人を守りきれないかもしれないという予感は、何よりも鋭い刃となって彼を苛んでいた。
だが、そんな重苦しい空気を破ったのは、部屋の主(幻影魔法)たちだった。
「はい、おじさん。これ、落ち着くハーブティー。ルナが『血圧の管理』にいいって厳選したやつ」
「……厳密には、副交感神経を優位にするブレンドよ。カイル様、貴方の今の心拍数は、戦闘時のまま固定されているわ。非効率よ、すぐにリラックスしなさい」
テオが示したカップをクラリスが取りに向かう。
カイルは思わず苦笑した。こんな仕掛け(投影魔法)を施していたとは。
「……テオ、ルナ。……すまないな、子供である君たちにまで世話をかけて。……先ほど、陛下とソフィア様のような人影も見えた気がしたが……」
「気のせいよ、カイル様。あれはただの『歩く不審者(王族)』だから、無視して正解だわ」
ルナが淡々と答える。その時、旧図書室の重い扉の向こうから、聞き慣れた、しかし今は最も聞きたくない「殺意の足音」が響いてきた。
「あら。このあたりに、とても嫌な信者の香り(囲まれて付着した)がするわアルフォンス、お前の毒で脳をさらに腐らせる前に、私が氷漬けにして標本にしてあげなきゃ」(死ね、アルフォンス。信者を葬った張本人として裁きに掛けてやる)
「クク……。おやおや、珍しくエルゼと意見が合ったね。……純度が高すぎる信仰心は、壊したくなるのが人情というものだよ」(私は一切手出ししない。お前が単独犯になるよう仕向けてやる)
エルゼとアルフォンス。
偶然か、あるいは嗅覚か。最強の「愛殺夫妻」が、扉の外までやってきていた。
設置している監視魔導具で見る二人。
「ゲッ、父さんと母さんだ! なんでこんな時に!」
テオが絶望に顔を歪める。もし二人が中に入れば、あの中で静かに平穏に過ごしている良い空気の二人がアトラクション顔負けの悲惨な空気になる。
信者が追いかけてきたと思ったカイルは即座に木剣を握り、クラリスの前に立った。
だが、ルナが制止するように手を挙げる。
「……待って……その……正面から戦うのは愚策よ。……私達でなんとかするから少し待ってて」
ルナがエトワールに二人の興味を別に向けさせるように指示する。
「「エトワール!? ここで何を?」」
驚く二人。
エトワールがアルカナ魔法でアルフォンスを鶏に変える。
「あらあら、アルフォンス。またエトワールを怒らせてしまったようね」
「私はなにも!! おい毛玉、さっさと元に戻せ!!」
「最高よ、エトワール。さあアルフォンス、くたばって、夕飯になりなさい」
脱鶏のごとく逃げるアルフォンス。
二人が少し離れたところでエトワールはアルフォンス元に戻した。
そのまま離れていく二人。
「もう安全よ。じゃあ、後はお二人でゆっくりしてね」
「じゃあね、おじさん」
投影魔法が消える。
そっとドアを開けて、外を確認し、安堵するカイル。
武器をしまい、クラリスの元へ戻るカイル。
「……カイル様」
クラリスが耳元で囁く。
「……貴方の心音、さっきより……もっと早くなっていますわ。……これは、恐怖のせい、でしょうか?」
カイルはすぐそばにいる「愛しい女性」を感じながら、静かに、しかし確信を持って答えた。
「……いや。……これは、『守りたい』という、心地よい緊張だ。……君のおかげで、私は今、戦場ではなく……ここにいるんだと実感できている」
カイルはそっと、クラリスの手を握った。
狂気と殺意が渦巻く扉一枚隔てた向こう側で、二人の間には、世界で一番静かで「普通」な時間が流れていた。




