マネジメント・ホイール。〜密室の聖母〜
翌日。学園の放課後、テオとルナの姿は建設が進む聖地、その巨大な円環の前にあった。
【純愛・福音派】の聖域、アトラクション『管理観覧車』
「……ねえ、ルナ。本当に乗らなきゃダメかな。僕、昨日のコースターの爆発音を思い出すだけでお腹が痛いよ」
「……テオ。気持ちは痛いほど分かるわ。けれど、陛下とソフィア様には、かつて貴方が私に声を掛ける勇気をいただいたという……論理的には説明しづらい『恩』があるの。あの方たちの招待を無下にするのは、私の管理スケジュール上の良心が許さないわ」
ルナもまた、いつになく消極的だった。テオが行くというから付き添っているが、その瞳には警戒の色が浮かんでいる。
二人がゴンドラの乗車口へ向かうと、そこには聖母のような微笑みを湛えた王妃ソフィアが、一人で待っていた。
「あら、テオちゃん、ルナちゃん。よく来てくれたわね。……さあ、中へ。この空間は、お互いの存在を純粋に管理し合うために設計された、愛の箱舟なのよ」
ソフィアに促され、三人はパステルカラーの装飾が施されたゴンドラへと乗り込んだ。
扉が閉まり、密室が完成する。ゆっくりと上昇を始める中、ソフィアが優しくテオの手に自分の手を重ねた。
「テオちゃん……。今、貴方の心拍数は毎分85。少し緊張しているわね。……大丈夫よ、私のこの端末には、貴方の呼吸数も、体温の変化も、すべて福音派の慈愛に満ちたデータとしてリアルタイムで共有されているから。……さあ、もっと私に貴方の『管理される喜び』を伝えて頂戴」
ソフィアの言葉は穏やかで、慈愛に満ちている。……しかし、その内容は完全に【純愛・福音派】の狂信に毒されていた。
「……ソフィア様。その、僕の心拍数を共有するのは、少し恥ずかしいというか……」
「恥ずかしい? 嫌だわ、テオちゃん。愛し合っている者の間に『秘密』なんてノイズ、あってはならないのよ。……ルナちゃんもそう思うでしょう? 貴女がテオちゃんを愛しているなら、彼の睫毛の一本一本、吐息の一滴まで管理したいと願うのが、福音としての『純愛』よ」
ソフィアの瞳の奥に、うっすらとした、しかし底知れない熱狂の光が揺れている。
ルナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……ソフィア様。私は、テオの健康を管理したいとは願いますが……それは、彼自身の自由を奪うこととは……」
「自由? あら、ルナちゃん。管理こそが自由なのよ。何一つ間違いのない、誰にも邪魔されない管理されたレール。……それこそが、私たちが導き出した『愛』の答え。……あ、見て、テオちゃん。今、貴方の瞳孔が少し開いたわ。……愛おしい……この反応を、後でエドワードと一緒に解析(管理)しましょうね」
ソフィアの指先が、テオの頬をなぞる。
その指は温かいのに、テオには凍てつく氷よりも冷たく感じられた。
窓の外では、隣のゴンドラで【純愛・福音派】の狂信者たちが「「「「管理して……管理して……試運転を管理して……管理して……」」」」と無表情に合唱し、空中にペンでチェックを入れる儀式を繰り返している。
「……ルナ」
「……ええ、テオ。分かっているわ」
二人は確信した。
エルゼやアルフォンスのような「目に見える暴力」は、まだ回避できる。
けれど、このソフィアが醸し出す「慈愛という名の精神的浸食」は、毒のように静かに、確実に自分たちの領域を侵そうとしている。
いつか自分たちも、この「管理だけが愛」という極端で不気味な常識に染まってしまうのではないか。
ゴンドラが頂点に達した時、ソフィアは夕日に照らされながら、本当に美しく、そしてこの世で最も恐ろしい笑顔で呟いた。
「……ああ、素敵。二人とも、いい『管理』の顔をしているわ。……明日もまた、私の手帳に貴方たちの愛を記録させてね」
テオとルナは、手を取り合い、ただ震えながらその「聖なる沈黙」に耐えるしかなかった。




