新約聖書の奪取
王宮の庭園では、エルゼとアルフォンスが今日も本気で殺し合っていた。
エルゼが放つ、空間ごと粉砕せんとする絶対零度の氷塊。
アルフォンスが散布する、一吸いで内臓を溶かす不可視の猛毒。
二人は一ミリの妥協もなく、本気で相手の心臓を止めるために「殺意」という名の情念を叩きつけていた。
しかし、その凄まじい嵐の合間を縫うように、白い法衣を着た集団――【純愛・福音派】のタカ派が動く。
「――今だ。不浄なるノイズ(両親)に紛れ、聖なる記録を救出せよ」
茂みから現れたのは、白い法衣を纏った数人の男女。彼らは【純愛・福音派】の中でも、テオとルナの「純愛」を守るためなら手段を選ばない過激な分派、通称【清純執行官】だった。
彼らはルナの手から黒革の手帳を奪い取った。
「返して。……死にたいの?」
ルナが、両親の爆発音すら掻き消すような冷徹な声で告げるが、信者は手帳を高く掲げた。
「いいえ! 我々はこの『聖典』を、建設中の【愛の急降下】の最上階へと奉納します! そこで、テオ様とルナ様の清らかな愛の記録を空高く掲げ、この王都に蔓延る『野蛮な殺意(両親の愛)』を浄化するのです!」
彼らは、テオとルナの交流を「奇跡」と信じるあまり、それを記録したルナの手帳を、汚らわしいエルゼたちの手から守るべき神器だと勘違いしたのだ。
「ちょっと! そこの白い連中!」
喧嘩を中断したエルゼが、猛烈な冷気を纏って振り返った。
「私の家庭内での『処刑(寸止め)』の記録を、勝手に空高く掲げるなんて許さないわよ! その不名誉な紙屑を今すぐ返しなさい!」
「……エルゼ様、貴方の本気の殺意こそが、テオ様の純愛を曇らせる雲なのです。我々はこの記録を公開し、世界に『静かなる愛』の勝利を告げる!」
信者たちは、ルナが仕掛けた「指が痺れる程度の毒針」など、信仰の熱狂で麻痺させて無視し、建設中の塔へと走り去った。
「……最悪。テオ、行きましょう。あの中には、貴方の寝顔の観察記録だけじゃなく、私が貴方の耳を塞ぐ時の『最適圧力の計算式』も載っているのよ。あんなものを見られたら、私の管理計画が台無しだわ」
ルナは立ち上がり、テオの手を強く引いた。
向かう先は、建設中の『エターナル・ドロップ』
そこには、自分たちの像を祀り、死んだふりをして横たわる【不変愛・仮死派】が地面を埋め尽くし、空には日記を掲げた【福音派】が駆け上がり、背後からは本気の殺意を滾らせた【屠殺派】の両親が追ってくる。
「……ねえ、ルナ。僕、もういっそあの日記と一緒に、あの塔から飛び降りた方が楽になれるかな?」
「ダメよ、テオ。貴方が落ちる速度は、私が計算して記録するんだから。勝手な自由落下は許さないわ」




