観察者の聖域
結局のところ、エトワールは殺意の餌を無くなるのを嫌い、機械が毛一本でほぼ稼働し続けている。といういつも通りのイカれた鞘に収まった。
そして、王都が三大教派の成立とエトワールの「神罰」に沸き立つ中、ルナはいつものようにテオの隣で、小さな黒革の手帳に羽根ペンを走らせていた。
「……ルナ、さっきから何を書いているの? また僕の両親がやらかしたことの愚痴?」
テオがエトワールの柔らかな毛に顔を埋めながら尋ねると、ルナは視線すら上げずに淡々と答えた。
「愚痴なんて、感情的なリソースの無駄よ、テオ。これは『愛殺個体:EおよびAにおける、知性の欠落と破壊衝動の相関関係』の記録。……ほら、見て。今日のアルフォンス様がニワトリから戻った瞬間の第一声、『殺してやる』。これで今月の『語彙の死滅数』が過去最高を更新したわ」
ルナの手帳には、エルゼとアルフォンスの奇行が、恐ろしいほど緻密なグラフと図解で記されていた。そこには「愛」という言葉は一切なく、代わりに「異常な執着」「論理の崩壊」「脳内の氷結率」といった冷徹な言葉が並んでいる。
「……ねえ、テオ。貴方がそんなに怯えるから、あの人たちが喜ぶのよ。あの人たちは『反応』を食べて生きる怪物なんだから。……ほら、もっと私の後ろに隠れてなさい。私の半径一メートルは、あの人たちの毒気が届かない『絶対零度の無関心』の領域よ」
「……ルナ、君、たまに僕の両親より怖いこと言うよね。でも、助かるよ……」
テオがルナの背中に隠れるように身を寄せると、ルナは一瞬だけペンを止め、その琥珀色の瞳に、観察者ではない「何か」を宿してテオを見た。
「……当然よ。貴方は私の『唯一のまともな観測対象』なんだから。あんな汚染物質(両親)に貴方の脳まで溶かされたら、私の研究が台無しだわ。……いい? テオ。あの人たちが叫び始めたら、私の睫毛の数でも数えてなさい。そうすれば、あの人たちの声はただの雑音に変わるから」
その時、遠くで「死ね、アルフォンス!」「くたばれ、エルゼ!」と、いつもの爆発音が響いた。
普段なら肩を震わせるテオだったが、ルナの冷たくて静かな「無関心の防壁」の中にいると、不思議と恐怖が消えていくのを感じていた。
だが、この時テオはまだ知らなかった。
ルナが手帳の別のページに、『テオ・ド・ラブキル:私の保護下における生存率の推移と、私への依存度における幸福指数の上昇』という、両親のそれとは別のベクトルで「重すぎる」記録を付けていることを……。
「……あら、エルゼ様がこちらに来るわね。テオ、耳を塞いで。今の彼女、知性がマイナスまで冷え切っているわ」
ルナは手帳をパタンと閉じ、向かってくるエルゼに対して、氷の刃よりも鋭い「徹底的な無視」の構えをとった。




