黄昏時
「……アルフォンス、この『特別優待証』少々効力が強すぎはしませんか?」
私は商業ギルドから贈られた漆黒のカードを指先で弄んだ。
度重なる騒動の末、ギルド側は「閣下と夫人が満足して立ち去ってくださることが、我が国の治安と経済にとって最大の利益である」と判断。事実上の「全店フリーパス」を、暗に「早くお引き取りを」というメッセージと共に献上してきたのだ。
「仕方あるまい。我々が普通に買い物をしようとするだけで、この国の市場は過敏に反応しすぎる」
アルフォンスがため息をつき、私のエスコートを再開する。
私たちが貴族の教養として、立ち寄った店で商品の質を語るたびに、周囲の商人や客たちがそれを「神託」のように聞き漏らすまいと群がってくる。
「夫人、こちらの絹織物はいかがでしょうか?」
「……質は悪くありませんわね。ただ、この染料には毒性のある植物の成分がわずかに混じっているようですわ。肌の弱い方には、文字通り『命取り』になりかねません」
私が暗殺術の知識からそう指摘した瞬間、背後にいた買い付け担当者たちが一斉に手帳に書き込んだ。
「聞いたか! 夫人が『命を懸ける価値があるほど美しい布』と仰ったぞ!」
翌日、その絹織物は『命懸けの恋のドレス』という名で、価格が三倍に跳ね上がった。
「二人とも。……もう店に立ち寄るのはやめなよ。二人が『このナイフ、重心がずれてる』って言っただけで、その鍛冶屋の株が大暴落して、ギルドの相場師たちが泣き叫んでるよ」
テオはいつも大袈裟だ。
テオが聖獣を抱え、混乱する市場を冷ややかに眺める。
私たちが良かれと思って口にする「現実的な批評」は、この商売の街ではすべてが「投資の判断基準」にすり替えられてしまう。
ついには、アルフォンスが「この靴は歩きにくい」とこぼしただけで、その靴メーカーが倒産危機に追い込まれ、慌てたギルド長が「お願いですから、もう何も仰らないでください」と、国境までの特急馬車のチケットを差し出してきた。これも大袈裟なものの例え。
「……そろそろ潮時ですわね。これ以上ここにいては、この国の経済が私たちの言葉一つで崩壊してしまいます」
「ああ。バカンスの締めくくりとしては、少々騒がしすぎた。……国境を越え、本来の生活に戻るとしよう」
私たちは、名残惜しそうに(あるいは安堵して)見送る商業ギルドの面々を背に、メルカトル商業公国を後にした。
私は特急馬車の柔らかな座席に身を沈め、窓の外を流れるメルカトル商業公国の美しい街並みを眺めた。
膝の上では、エネルギーを吸いすぎて丸々と太った聖獣エトワールが、満足げに喉を鳴らしている。
「……フン。だが、目的は果たしただろう?」
「そうですわね。久々に清々しさを感じましたわ」
「私もだよ」
アルフォンスは、市場で手に入れた最新の暗器を点検しながら、珍しく穏やかな表情を見せた。




