愛の芳香
ムッシュ・ヴァルティが肖像画の完成祝いに贈ってきた香水は、私たちの鋭利な神経を逆なでするどころか、不思議と心地よい高揚感をもたらした。
「……驚きましたわ、アルフォンス。この香水、私の愛用する『マンドラゴラの抽出液』と『氷晶の薔薇』が見事に調和している。……まるで、獲物を仕留める直前の、あの静謐な殺意が形になったような香りですわ」
私は手首に一滴垂らした香りを吸い込み、うっとりと目を細めた。隣に立つアルフォンスからも、冷徹な硝煙と深淵を思わせる、彼らしい鋭い香りが漂っている。
この香りを気に入った私たちのために、ヴァルティはさらなる「深淵」への切符を用意していた。商業公国メルカトルにおいて、並の貴族や富豪なら数年待ちは当たり前という一流香水ブランド『ラ・モー・デトネル(永遠の死)』のVIP特別販売ルームへの招待状だ。
「……ふん。香りで人を殺すための道具なら興味はあるが、ただの化粧品なら時間の無駄だぞ、エルゼ」
そう吐き捨てながらも、アルフォンスは招待状を手に、格式高い地下サロンへと私をエスコートした。そこは重厚な防音壁に囲まれ、一歩入るだけで脳が痺れるような、濃密な魔力と香料の坩堝だった。
「ようこそ、聖夫婦。ムッシュ・ヴァルティより、あなたたちの『魂の渇き』を癒せるのは当店しかないと伺っております」
現れた調香師長は、試験管を弄びながら不気味に微笑んだ。
「ここでは、お客様の『本能』を最大限に引き出す、オーダーメイドの調香を行います。公爵、夫人……あなたたちが互いを『狩る』際に、脳内で分泌される物質をご提供いただけますか?」
私たちは促されるまま、魔力測定器を挟んで向かい合って座った。
「……アルフォンス様、始めましょうか。……あなたが私を裏切り、毒を盛ろうと画策している姿を想像するだけで、私の魔力は最高潮に達しますわ」
「奇遇だな、エルゼ。私が君を、この香水瓶ごと凍らせて永遠のコレクションに加えたいという渇望……今、数値化してやろう (ライナス王子風)」
二人の間に火花が散り、部屋中の測定器が異常な数値を叩き出した。闘争本能、防衛本能、そしてそれらを凌駕する「相手を支配したい」という猛烈なエゴ。
調香師長は狂喜した。
「素晴らしい! 絶望的なまでのアドレナリン! これに当ギルド秘蔵の『狂戦士の苔』と『竜の血』を加えれば……」
待つ間……様々な香水を吟味したり、専属店員からうんちくや裏技を聞いたりと。
結局、ムッシュ・ヴァルティの用意してくれた配合と同じものを大量に買い込んだ。
そして完成したのは、見る者を戦慄させるほど透明で、しかし底知れぬ圧力を放つ二つの小瓶だった。
「……さあ、お試しを。これこそが、あなたたちの『殺意』を純粋に煮詰めた究極の香水……『バーサーカー・パフューム』です」
私がその香りを一吹きしてサロンを出た瞬間、異変は起きた。
通りを歩いていた優雅な貴族カップルたちが、私たちの香りを嗅いだ瞬間、瞳に血走った「熱」を宿し、突如として互いの胸ぐらを掴み始めたのだ。
「愛してるわ! だから今すぐ私と決闘して!!」
「ああ、君を愛するあまり、その喉笛を掻き切りたい……!」
街のあちこちで、愛の告白と共に「本格的な狂言乱舞」が勃発し、平和な商業国は瞬く間に「愛の無差別告白場」と化した。
「……アルフォンス。これ、私たちが歩くだけで、周囲のカップルがイカれてしまいますわよ」
「……ああ。だが、この香りを纏っている間だけは、君の次の攻撃が……より鮮明に予見できる。……悪くない」
私たちは、愛のバーサーカーたちが乱舞する街を悠然と歩きながら、あまりに強力すぎる「愛の副産物」の威力に、密かに舌を巻いた。




