難攻不落のラショナリスト
「……なるほど。共同研究の資料は拝読しました。ですが、公爵。この魔力波形の乱れ、研究の必要性を感じません。誤差の範囲です」
ライナス王子は、私たちが偽造したグラフを一瞥し、感情を排した声で言い捨てた。その瞳には、カサンドラ様への懸念も、異国への緊張感もない。あるのは、ただ「時間の無駄」を嫌う効率性のみ。
「おや、王子。その『誤差』こそが、海上では船員の命を奪う致命的な穴になる……貿易の専門家である貴殿なら、お分かりのはずだ」
アルフォンスが、毒蛇のような滑らかな微笑で詰め寄る。ここからが、私たちの本領発揮だ。
「そして、その誤差を察知する感覚こそが、私の妻——エルゼとの生活で培った『観察眼』なのです。王子、貴殿はカサンドラ様の呼吸の乱れ、瞳の揺らぎ……それらを数値化して管理しておいでか?」
ライナス王子は、初めて不審そうに眉を寄せた。
「……妻のバイタルデータですか? それが新航路と何の関係が?」
「大ありですわ、王子」
私は扇を広げ、氷のような冷笑を浮かべる。
「微細な変化を察知できない男に、荒れ狂う海の予兆、引いては未知の怪物の脅威など読み取れなくてよ。アルフォンス様は、私がティーカップに毒を隠した際の『指先のわずかな震え』さえ逃しません。その研ぎ澄まされた生存本能こそが、国家を守る判断力に直結するのです」
「……つまり」
ライナス王子が、冷徹な分析を始める。
「公爵夫妻の『愛』と呼ばれる行為は、互いを仮想敵と見なし、常に命のやり取りをシミュレーションすることで、脳の処理速度を極限まで高めるトレーニングである……と、そう定義してよろしいか?」
(……あら。この男、意外と飲み込みが早くて助かるわね)
「左様。愛とは、最も非合理で予測不能な攻撃。それを制御してこそ、真の支配者と言える。そうではありませんか? ……どうでしょう、王子。貴殿の『合理性』を、我が家でさらに高めてみる気は、ないですか?」
アルフォンスの誘いに、王子は顎をさすり、しばらく沈黙した。
カサンドラ様への情愛で誘えば即座に拒絶されただろうが、「能力向上」という言葉が彼の計算回路を少しだけ刺激したらしい。
「……面白い。その『殺愛的観察術』一先ず検証の価値はありそうだ。滞在期間中、徹底的に学ばせていただこう」
要塞の陥落……いえ、外堀の1つ目の門を突破したに過ぎない。彼の瞳は依然として乾いており、私たちが望む「夫婦の和解」までは程遠い。
──
「……ねえ、あの王子、アンタたちの『異常性』をただのスキルだと思い込んじゃったよ。これ、普通に教えるだけじゃカサンドラお姉さんは救われないよ?」
テオが、聖獣の背を撫でながら冷ややかに予言する。
私たちの「教育」は、想定外の強敵を前に、さらなる過激な実践フェーズへと突入せざるを得なくなったのである。




