愛すべきクソッタレな世界
「それで、どうやってこの世界を元に戻すの?」
テオはエトワールゴルバルと翻弄された影響か、恐る恐る聞いた。
「私の角の一部を、あの切り株へ」
世界樹の頂で、テオはガイアードの角を慎重に切り出した。それは大地の鼓動を凝縮したような重みを持ち、テオの手を通じて、壊れかけていた彼の心を力強く繋ぎ直していく。
そして、ガイアードはその角を、頂の中央に『テオ自身』が置くよう指示する。
「……世界を戻そう」
テオが角を中央に捧げた瞬間、世界は「音」を取り戻した。
それは黄金の粒子が弾けるような音ではなく、錆びついた歯車が無理やり回り出すような、激しくも騒がしい生命の咆哮。ガイアードの波動が世界を駆け巡り、甘ったるい霧を吹き飛ばしていく。
同時に脆く壊れかけていた、本当のテオの心を強く、強く治癒していく。
世界に、騒がしい活力が戻り始めたのをテオはひしひしと感じた。
「ありがとう。ガイアード」
「いいや。礼を言うのは私の方だ。誰も、そして私ですら成し得なかった事を、君は成し遂げたんだ。最後に願いを1つ叶えてあげよう」
ガイアードの優しい声に、テオは涙を拭って即答した。
「みんなのところへ」
ガイアードは優しく微笑み、神々しい光を、しかしとても心地よく、そして力強い魔法でテオを包んでいく。
「テオ、私はいつでここから世界を見守っている。会いたくなったら、いつでも歓迎するよ」
「本当にありがとう。ガイアード」
光に包まれ、ガイアードは見えなくなった。
代わりに見えてきたのは揺れる地面、そして海の香りだった。
懐かしい声が聞こえてくる。
なぜかすでに縛り上げられている『白き忘却の聖域の信者たち。
「なんでこいつらを船に乗せたりしたんだ!!」
「知らない!! 気付いた時には乗っていたんだ!」
甲板の上では、正気を取り戻した信者たちが、自分たちがなぜ縛り上げられているのかも分からず醜く喚き散らしていた。エトワールの慈愛が解け、剥き出しの困惑と身勝手な怒りが潮風に混ざる。
その喧騒の中心で、一際鋭い声が響き渡った。
「ちょっとモルガン! 説明なさいよ! なんであの子を、あんな極北のクソ溜めみたいな場所に一人で置いてきたのよ!?」
エルゼが、扇子を激しく仰ぎながらモルガンに詰め寄っていた。その瞳には、かつてアルフォンスの喉笛を掻き切った時のような、苛烈な怒りの火が宿っている。
詰め寄られたモルガンは、甲板の椅子に深く腰掛け、皿に盛られた高級な燻製肉を優雅に口へ運んでいた。
「そう怒鳴るな、エルゼ。……あの時は、妙に意識が白濁していてね。何者かの強制的な意志に従わされていた感覚だ。……まあ、私ほどの男が不覚を取ったのは認めるが、過ぎたことを悔やんでも肉の味は変わらんよ。しかしここは海のどの辺りなんだか」
モルガンは開き直ったように肩をすくめ、赤ワインを一口啜る。その常に冷静で、どこか他人事のような態度が、余計にエルゼの神経を逆なでした。
「開き直るんじゃないわよ、このペテン教祖! もしあの子に何かあったら、あんたの全財産を没収して、一生私の下男としてこき使いふるすわよ!」
「それは恐ろしい。だが、その前に君のその血圧を心配した方がいい」
冷ややかな声が、エルゼの背後から飛んだ。
アルフォンスだ。彼はいつも通り、一ミリの狂いもなく整えられた軍服の襟を正しながら、嫌悪感を隠そうともせずに妻(仮)を見下ろした。
「あまりに醜く喚き散らすと、その厚塗りした化粧が潮風で剥がれ落ちるぞ。……いや、剥がれた後の惨状こそが、君の真実の姿だったか」
「なんですって……? 黙りなさい、アルフォンス。その腐ったドブネズミのような口、今すぐ縫い合わせて海に沈めてやりましょうか?」
「やってみるがいい。君のその鈍った手首で、私の計算された首の筋が切れるのならな」
一触即発。慈愛の欠片もない、殺意に満ちた醜い夫婦の罵り合い。
けれど、テオにとっては、この毒を含んだ言葉の応酬こそが、何よりも懐かしく、何よりも温かい「家」の音だった。
夫婦の殺伐とした罵り合いが響く甲板の片隅。
ルナは、手元の予備の演算機を狂ったように叩き続けていた。
「ありえない……テオがいないなんて。私の計算では、彼は今頃私の隣で最適化された食事を摂っているはずなのに。バグよ、世界がバグってるのよ……っ!」
恋人を失った喪失感に、ルナの瞳は虚ろで、その管理欲は行き場を失って暴走しかけていた。
そんな彼女の横で、シアンが静かに弦を弾く。
「――ああ、友よ。君の不在は、宇宙に空いた埋まらぬ虚数。光さえ届かぬ深淵で、僕の言葉は形を失い、意味の塵となって霧散する……。この悲劇を綴るには、既存の旋律ではあまりに軽薄すぎる……」
いつもなら世界を明るく全肯定するシアンが、今は眉をひそめ、聴く者の胸を締め付けるような、あまりに難解で重苦しい、けれど至高の鎮魂歌を奏でていた。
そこへ。
「……みんな」
テオの小さな、けれど確かな声が、殺伐とした甲板に滑り込んだ。
「――ッ!!」
最初に反応したのはルナだった。
彼女は弾かれたように顔を上げ、演算機を床に放り出すと、喉が裂けんばかりに叫んだ。
「テオ!! テオなのね!?」
その叫びを合図に、一行の時間が動き出す。
エルゼとアルフォンスは罵り合いを止め、モルガンは優雅に椅子から立ち上がり、シアンは旋律を止めて近くのテーブルに腰掛け、親友を静かに見つめた。
「ちょっと、あんた!! 一体どこに行ってたのよ!」
駆け寄ったエルゼは、再会を喜ぶどころか、形相を変えてテオに怒鳴り散らした。
「あんたがいないせいで、この薄情な旦那とペテン教祖の間で私がどれだけストレスを溜めたと思ってるの!? 責任取りなさいよ、このバカ息子!」
「……やれやれ、相変わらず君はきついな、エルゼ」
背後から歩み寄ったアルフォンスが、冷ややかな、けれどどこか安堵の混じった声で追撃する。
「たった1人で戻った我が子にかける最初の言葉がそれか。だから君の性格はいつまで経っても歪んだままなんだ。……テオ、無事ならいい。服の汚れが左右非対称なのが酷く気になるが……今は不問にしてやろう」
「テオ! すぐにこっちへ来て!」
ルナがテオの腕を掴み、強引に引き寄せる。
「心拍、体温、瞳孔反射……。信じられない、私の管理下を離れてこれほど数値が乱れるなんて! 今すぐ再起動が必要よ。さあ、大人しく私の部屋で24時間の精密検査を受けなさい!」
モルガンはワイングラスを片手に、少し離れた場所からテオを眺め、口角を上げた。
「おかえり、テオ。……君がいない間、実に退屈な船旅だったよ。君という『不確定要素』がなければ、このメンバーの毒気は中和されないからね」
シアンはテーブルに腰掛けたまま、柔らかく、けれど深い慈愛を込めて微笑んだ。
「お帰り、友よ。……どうやら君は、僕の難解な詩を書き換えに来てくれたようだね。やっぱり、君がいる世界の方が、韻を踏むのがずっと容易い」
テオは、浴びせられる罵倒と、管理欲と、皮肉と、そして静かな肯定を、全身で受け止めた。
うるさくて、身勝手で、トゲだらけで、救いようがない。
でも、これが。これこそが。
テオは溢れ出す涙を拭おうともせず、最高に晴れやかな笑顔で応えた。
「……ただいま。……そしてみんな、おかえり」
エトワールの光が消えた空の下。
偽りの慈愛が去った海の上で、彼らの「最低で最高の日常」が、再び音を立てて始まった。
〜 END 〜
最後まで読んで頂き、本当にありがとう御座いました。
良ければ、スピンオフ、エドワードとソフィアの出会い。も一緒にどうぞ。さらに物語がより一層深まるかもしれません。
タイトル『身の丈に合った恋でいいと思っていたのに、図書室で隣に座った下級貴族の彼が、私を幸せにするために世界を奪いに行くなんて聞いていませんでした。』
また別の物語で是非、お会いしましょう!




