孤独な誓い
「……公爵夫妻一行、私たちの船を使ってください。王都へ、あなた方の愛する場所へ、喜んでお送りしましょう」
かつての敵、『白き忘却の聖域』の信者が、まるでお節介な親戚のように慈愛に満ちた笑顔で申し出た。帰りの足を失っていた一行は、手を叩いてその「親切」を喜び合う。
だが、テオだけは、白く輝く船を見つめたまま動かなかった。
「……僕は、帰らない。みんなだけで行ってくれ」
「えっ……? どうして、テオ? 一緒に帰りましょう、あんなに帰りたがっていたじゃない」
ルナが心配そうにテオの服の袖を引く。その瞳には、テオを束縛するような執着はなく、ただ純粋な「心配」だけが宿っていた。
「帰れないんだ。……このまま帰れば、僕は……僕は一生、この『幸せな死』の中に閉じ込められてしまう」
テオは冷たく、ルナの手を振り払った。信者たちも、エルゼも、アルフォンスも、誰もが困惑した顔をする。しかし、その困惑さえもどこか柔らかく、毒がない。
「いいから、行ってくれ。僕はここで、やらなきゃいけないことがあるんだ」
冷たくあしらい続けるテオに対し、信者は嫌な顔ひとつせず、寝泊まりする場所や食料の保管庫を丁寧に、優しく教えてくれた。そして船のタラップに上がる直前、仲間たちが一人ずつテオの元へ歩み寄る。
「……テオ。これを持っていきなさい。私の大切にしていた扇子よ。貴方の行く道が、美しくありますように」
エルゼが、かつての毒舌を忘れ、聖母のような手つきで扇子を差し出した。
「……テオ。……私の予備のナイフだ。……必要ないとは思うが、……お守り代わりに」
アルフォンスが、殺意の消えた穏やかな手つきで銀のナイフを預ける。
シアンは無言で、自分の竪琴の予備の弦をテオの指に巻き、モルガンは大切にしていたメダルを手渡した。
テオは、彼らがくれた「宝物」を抱きしめる。かつての彼らなら、こんなに簡単に大切なものを人に譲ったりはしなかったはずだ。内心の嬉しさと、目の前にいる彼らが「偽物」であるという悲しみが混ざり合い、テオの胸を締め付ける。
最後に、ルナがテオの前に立ち、大切にしていた診断機を手渡した。
「テオ……。分からないけれど、貴方が必要なら持っていて。……待っているわ、いつまでも」
「ルナ。……必ず、世界を正して、君を迎えに行く。……だから、待っていて」
「……世界を、正す……?」
ルナは不思議そうに小首を傾げたが、最後には優しく微笑み、船へと乗り込んでいった。
海を滑り出す白い船。テオは、その影が見えなくなるまで、たった一人で雪解けの岸壁に立ち続けていた。
だが、その瞳に、もう迷いも涙もなかった。
「……見ててよ、エトワール(神様)。君が創ったこの『綺麗な地獄』を……僕が、全部変えてやる」
仲間たちの「形見」を抱きしめ、テオは反転した。
エトワールの残した慈愛という名の感情が死んだ世界で、テオはたった一人の「不純物」として、世界を書き換えるための最初の一歩を踏み出した。




