究極の無駄足
ギギギ……というワイヤーの悲鳴だけが、静寂の底に響いている。
背後には、闇を切り裂く巨大な赤い双眸。
一行はついに、もはや動かないエレベーターの床に腰を下ろしたまま、導き手(の、はずだった男)を糾弾し始めた。
「ちょっと、モルガン! 偉そうに『心を取り戻す』だの『熾天使の涙』だの言ってたわよね!? で、エトワールが鍵なんでしょ? 全知の元教祖様、このデカい毛玉をどうにかしなさいよ!」
エルゼが扇子を激しく振り回し、モルガンの喉元に突きつける。
モルガンは地面に散らばった炭を呆然と見つめたまま、絞り出すように答えた。
「……分からん」
「「「分からん!?!?(合唱)」」」
「……いや、言い訳をさせてくれ。私の知る教典では、熾天使は『九つの翼を持つ光の審判者』だったのだ。……あんな、……あんなただの『肥満気味の獣』をどう扱うかなど、聖域のどこにも書いていない!」
「ふざけないでよ! ここまで引っ張っておいてそれ!? 貴方の首をこのデカい猫の爪研ぎにしてあげようかしら!」
エルゼとモルガンが、奈落の縁で史上最も低レベルな口論を繰り広げる中、エルゼがヤケクソ気味に叫んだ。
「ああ、もういいわ! テオ、そのエトワールを……とにかく高く掲げるのよッ! 絆とか、愛とか、そういうので押し切りなさい!」
テオはルナと顔を見合わせ、震える手でエトワールを高く、闇の奥の赤い瞳へ向けて掲げた。
ルナもその腕を支え、計算機を捨てて祈るように見守る。
…………。
………………。
長い、長い、あまりにも長い沈黙。
足元はグラグラと揺れ、ワイヤーは今にも弾け飛びそうなのに、一行は全員で「掲げられた一匹の毛玉」を、瞬きもせず見つめ続けていた。
シュール。これ以上ないほどに、神話の終焉としてはシュールすぎる光景。
「……フワァァァァァァ……(超重低音)」
不意に、地響きのような風が吹いた。
巨大な熾天使(デカい猫)が、大きな口を開けて、悠然と**「あくび」**をしたのだ。
そのまま、赤い瞳がゆっくりと閉じられ、巨体は「ズシン」という衝撃と共にその場に丸まってしまった。
「…………何も起きないじゃない!!!」
エルゼの絶叫が、虚しく洞窟にこだまする。
「ちょっとモルガン! 寝ちゃったわよ! 神の良心が寝ちゃったじゃない! 責任取りなさいよ、このペテン暗殺教祖!」
「……仕方ないだろう! 熾天使が猫だったなんて、神だって教えてくれなかったんだ! そもそも、私の故郷を救った『熱狂』とやらも、今思えばただの集団幻覚だったんじゃないかと不安になってきた……!」
アルフォンスはナイフを収め、深く、深いため息をついた。
「……計算が……無に帰した。……だが、……心拍数は安定したな」
シアンだけが、この狂気じみた、けれどどこか温かい「家族の罵り合い」に、優雅な旋律を乗せる。
「『神の裁きは夢の中、掲げた絆は空を切る。絶望の底で繰り広げる、親子喧嘩のアンサンブル。……ねえ、テオ。世界が救われる瞬間って、意外とこんなに騒がしくて、……どうでもいいことなのかもしれないね』」
エレベーターの中には、死の恐怖ではなく、いつもの「賑やかな狂気」が満ちていた。




