天使の墓場
「……絶対にその子を自分から遠ざけるなよ、テオドール。それが、この死んだ世界に残された最後の灯火なのだからな」
モルガンの警告は、いつになく真剣だった。彼は立ち上がり、洞穴の入り口から外の白銀の世界を見据えた。
「私はこの目であの王都の狂乱を見た。……私のような汚れきった暗殺者でさえ、あの熱狂に包まれ、かつての自分を……心を取り戻す機会を得たのだ。……今のこの闇のような沈黙の中で、お前たちのその異様な熱が輝けば、凪を信奉するカルトどもは必ず混乱し、パニックに陥るだろう」
「……へぇ。要するに、私たちがいつも通り暴れれば、あの置物たちがフリーズするってことね?」
エルゼが不敵に笑い、扇子をパッと開く。
「いいわ。私のこのドス黒い殺意が、どれだけ眩しいか、特等席で見せてあげるわ。……行きましょう、この暗殺者!」
一行は洞穴を抜け、モルガンの先導でさらに北へと進む。
「おかしいな。彼ら(カルト)もこの異様な汚染の広がりで、逃げ出したのやもしれんな。だが奴らは良い警報機になったな」
モルガンの背を追う一行の足取りが、次第に重くなっていく。
先ほどまでの、ただ「静かな雪原」だった景色は、一歩進むごとにその姿を悍しく変貌させていった。
「……何、これ。……息が、苦しい……」
テオが胸を押さえて膝をつく。空気そのものが粘り気を帯び、肺に吸い込むたびに重金属を流し込まれるような、異様な圧迫感が一行を襲う。
無音だったはずの世界に、いつの間にか**「ドクン……ドクン……」**という、地響きのような不気味な波動が混じり始めた。それは音というより、世界そのものが悲鳴を上げているような震動だった。
「見て……あの木々……」
ルナの声が震える。
街道沿いの木々は、ただ枯れているのではない。苦悶にのたうち回る蛇のように、歪な形にねじ曲がり、そのまま凍りついている。その枝には、逃げ遅れた小鳥たちが止まった姿のまま、白骨化してぶら下がっていた。腐敗することさえ許されず、ただ存在そのものを停止させられた、命の残骸。
「……ひどい……。モルガン、これが……神の使者がもたらす『平穏』だというの?」
「そうだ、エルゼ。……感情を殺すということは、すなわち『代謝(生)』を止めるということだ。……ここにあるのは、死さえも訪れない、永遠の壊死だよ」
モルガンは淡々と、けれど悔恨の情を滲ませて答えた。
一行がついにクレーターの縁に辿り着いた時、そこには悪夢のような光景が広がっていた。
広大なクレーターの底へと向かう斜面には、かつての巡礼者や、この地に住んでいた人々が、石像のように固まって立ち尽くしている。
ある者は祈りのポーズのまま半分が白骨化し、ある者は肉が腐り落ち、土色の皮膚が骨に張り付いたまま、虚ろな眼窩で空を見上げていた。彼らは死んでいるのではない。「死ぬことさえ忘れて」、そこに立ち続けているのだ。
地面を覆っていた清らかな雪は、いつの間にかドロドロとした黒い液体へと変貌し、腐臭と魔力が混ざり合った異臭を放っている。
「……ううっ……っ!」
テオが吐き気に襲われたその時。
彼の手元で、エトワールが凛とした黄金の光を放った。
するとどうだろう。一行の足元を飲み込もうとしていたドロドロの黒い液体が、まるで意思を持っているかのように、怯えて道を開けるように左右へ割れていった。
「……やっぱり、この子が『鍵』なのね」
エルゼが、その凄惨な景色の中で、狂気に満ちた、けれど気高い笑みを浮かべた。
「いいわ。このドロドロも、あの不気味な置物たちも……全部まとめて、私の殺意で浄化してあげるわよ。アルフォンス、……これだけの観客がいれば、私たちの殺し合いも、少しは華やかになるんじゃない?」
「……フン。……死体(観客)に、……拍手を求める趣味はないが……。……この『滞り』は、計算上、……極めて不愉快だ」
アルフォンスがナイフを抜き、冷徹な視線でクレーターの中央――黒い沼の底を見据えた。
シアンは、もはや詩を奏でることすら忘れ、この世の終わりを凝視していた。
「『骨は語らず、肉は溶け。神の吐息は黒く濁り、救いの手は泥に沈む。……テオ。僕たちの歌が、この地獄に届くかな?』




