色のない街角
王宮の「沈黙」は、沈黙という名の許可として街に広がっていった。
謎の集団は、強引な勧誘などは一切行わない。ただ、街の辻々に立ち、穏やかな調べを口ずさみ、白い花を配るだけだ。
だが、その「静寂」の毒は、確実に王都の住人たちを染め変えていた。
「……ねえ、ルナ。なんだか街が、急に『静か』になった気がしない?」
テオが不安げに周囲を見回しながら、ルナ、シアン、そしてエトワールと共に市場を歩いていた。
かつては「その林檎を売れ! 死ね!」「愛してるから負けろ!」といった、殺気立った(けれど活気のある)値切り合戦が名物だった場所だ。
だが、今の市場に響くのは、無機質な取引の音だけだった。
「……おや、お隣の八百屋の夫婦だね。……あんなに仲良く(殺し合って)いたのに」
シアンが視線を向けた先。かつては包丁と棍棒を持って愛を語り合っていた名物夫婦が、向かい合って座っていた。
二人の瞳には、以前のようなギラついた光はなく、まるで曇ったガラスのようだ。
「……ああ、あなた。今日も生きていますね」
「ええ、妻よ。私もあなたを愛しています。……穏やかに、静かに」
二人は、表情ひとつ動かさず、棒読みの言葉を交わす。
以前なら「お前のために死ぬ気で仕入れた極上のカブだ! 食らえ!」と叫んでいた夫は、今はただ、泥を落としただけの野菜を淡々と並べている。
「……テオ。……心拍数、血圧、ホルモンバランス……すべてが『正常値』に固定されているわ」
ルナが震える手で診断機を見つめる。
「……けれど、脳の情動反応がほぼゼロよ。……彼らは、愛し合っているんじゃなくて、お互いを『無害な背景』として処理しているだけだわ。……これは、平和じゃない。……生きながらにして、心が枯渇しているのよ」
「……おやおや、なんということだ」
シアンが竪琴に触れるが、指が動かない。
「……彼らの周りには、詩の欠片さえ落ちていない。……あるのは、何もない平原を風が吹き抜けるような、虚無の音だけだ」
街の至る所で、同じことが起きていた。
「熾烈愛・屠殺派」の若者たちが武器を捨て、広場でぼんやりと空を眺めている。
「不変愛・仮死派」の信者たちは、もはや「死体ごっこ」をする必要さえなくなった。彼ら自身が、動く死体そのものに変貌していたからだ。
「……嫌だ。こんなの、僕が求めていた『普通』じゃない……!」
テオが叫ぶ。
その時、通りの向こうに、あの白い法衣を纏った「謎の集団」の一人が立っていた。
男はテオたちに気づくと、優しく、慈悲深い笑みを浮かべ、手に持っていた白い花を差し出した。
「テオ様。……ご覧なさい。街から争いが消え、誰もが微笑んでいます。……これこそが、貴方が切望していた、傷つかない世界ではありませんか?」
男の瞳の奥は、やはり何も映さない「白」だった。
テオは、その花を受け取ることができなかった。
エトワールが、テオの腕の中で聞いたこともないような悲しい声で「……キュイ……」と鳴き、テオの服をぎゅっと掴んだ。
侵食は、もうテオたちのすぐそばまで迫っていた。
王都から「色」が消え、すべてが灰色の凪に沈むまで、もう時間は残されていない。




