失われゆく日常
謎の集団が去った後の公爵邸。
いつもなら、帰宅早々に「死ね!」という挨拶代わりに氷の礫とナイフが飛び交うはずのリビングには、奇妙な、そして重苦しい沈黙が流れていた。
エルゼは、暖炉の火をじっと見つめている。その指先は、無意識にドレスの裾を強く握りしめていた。
「……アルフォンス。あの男たちの瞳、思い出すだけで反吐が出るわ。……まるで、この世界に流れるすべての熱を、汚物か何かのように見ていた」
「……ああ。……私の計算を、ただの強迫観念だと断じられたのは、生まれて初めてだ」
アルフォンスは、いつものようにナイフの手入れをしていない。ただ、暗い窓の外を眺めていた。
「……ねえ、アルフォンス。……正直に言いなさい。貴方は、あの男たちが説いた『凪の国』の方が、幸せだと思うの?」
エルゼの問いは、震えていた。
もしアルフォンスが、自分との殺し合いに疲れ、あの静寂を望んでいるのだとしたら。それはエルゼにとって、心臓を貫かれるよりも耐え難い「敗北」だった。
「…………。馬鹿を言うな。……あのような、呼吸する死体のような連中と共にいて、何の計算が成り立つというのだ」
アルフォンスは、一歩エルゼに近づき、彼女の背後に立った。
「……私は、お前が嫌いだ。お前の放つ氷も、その傲慢な性格も、すべてを削ぎ落としてやりたいと日々願っている。……だが。……お前のいない世界で、誰を殺したいと思えばいい? 誰を屈服させたいと思えばいい? ……あの無色の連中に、私の『執着』を奪われてたまるか」
エルゼは、フッと冷たい笑みを漏らした。
「……そうね。私も……貴方のあの陰気な計算顔を、いつか絶望で染め上げてやるのが人生の目標だもの。……あいつらは、私のテオを連れ去ろうとした。ルナちゃんを人形に変えようとした。……そして、何より……」
エルゼの手から、再び鋭い冷気が溢れ出す。
「……私たちの、この『美しく狂った日常』を、病だと笑った。……許せないわ。思い出の欠片ひとつ、あの無機質な連中に渡してやるもんですか」
二人は、決して手を取り合うことはない。
けれど、その背中合わせの殺意の中に、初めて「この場所を、この愛を守る」という、共通の戦意が宿っていた。
その頃、テオは自室で、エトワールを抱きしめながら窓の外を見ていた。
「……母さんたち、怒ってるよね。……でも、……いつもの『殺す』っていう怒りじゃない気がするんだ」
隣に座るルナが、静かに頷く。
「……ええ。あなたの両親たちは今、自分たちの『存在理由』を守るために、牙を研ぎ直しているわ。……テオ。……次にあの白い服の連中が現れた時、……この国は、本当の地獄になるかもしれないわね」
ルナの診断機が、微かに熱を帯びる。
「……でも、いいわ。……無機質な凪よりは、……狂った地獄の方が、マシな気がするから」
王都に流れる殺意の熱量が、じわり、じわりと、以前よりも濃く、深く、再点火されようとしていた。




