真の平穏
テオに手を振り払われた謎の集団は、怒ることも、たじろぐこともなかった。
ただ、美しい仮面のような微笑みを崩さず、哀れむように目を細めただけだった。
「……そうですか。まだ、その『病』の中に留まることを選ぶのですね。感情という名の枷を、愛だと信じ込んで」
謎の集団は一歩、また一歩と優雅に下がる。その足取りには、敗北者の惨めさは微塵もなかった。
「おやおや……。色彩を拒み、無色透明を望む者たちよ。君たちの瞳には、この絶望さえも『安らぎ』に見えているのかい?」
シアンが竪琴を掻き鳴らし、問いかける。
謎の集団はシアンを無視し、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、広場を覆っていた白い霧が変質した。
それはこれまでの濃密なものではなく、まるで冬の陽光のように透き通り、人々の肺を満たしていく。霧に触れた信者たちは、叫ぶのをやめ、戦うのをやめ、まるですべての重力から解放されたかのように、その場に静かに膝をつき、深い眠りに落ちていった。
「……待ちなさい! 誰が勝手に帰っていいと言ったのよ!」
エルゼの叫びと共に、石畳が爆ぜた。
無数の巨大な氷の刃が、去りゆく謎の集団たちの足元を囲むように、鋭く地面を突き破る。
「……余計な邪魔を。……殺すと言ったはずだ」
アルフォンスのナイフもまた、謎の集団の法衣の裾を正確に射抜き、地面に縫い止めた。
だが、謎の集団は驚きもせず、足元に突き刺さった死の氷塊とナイフを、ただ一瞬、冷静に見つめただけだった。
そして、ゆっくりと顔を上げ、エルゼとアルフォンスを再度、正面から見据えた。
「……エルゼ公爵夫人。そしてアルフォンス卿。……今はまだ、貴方たちの『構造的欠陥』を無理に正すことはしません。貴方たちが愛と呼ぶ、その隠された猛毒は、外から壊すまでもなく、いずれ貴方たち自身の重みで、内側から崩壊するのですから」
謎の集団は縫い止められた法衣を、自らの手で静かに引きちぎった。
「その時、またお会いしましょう。……愛という名の病を卒業し、真の凪を求める準備ができた時に」
謎の集団の体は、透き通る霧の中に溶けるようにして、路地裏の闇へと消えていった。追いかけようとした兵士たちも、深い眠りの霧に阻まれ、足をもつれさせる。
そこに残されたのは、これまでのどんな戦場よりも不気味な「静寂」だった。
霧が晴れた後の広場には、何百人という信者たちが眠っている。
けれど、そこには以前のような「狂喜」も「情熱」も残っていない。
まるで、魂の核にある「熱量」を根こそぎ奪われたかのような、空虚な平穏。
シアンは、一度も音を鳴らさずに竪琴を抱え直した。
「……参ったね。……詩にできない『無』が、この街に足跡を残していったよ」
テオは、エトワールを抱きしめたまま、謎の集団が消えた闇をじっと見つめていた。
助かったはずなのに、胸のざわつきは収まらない。
隣に立つルナも、手元の診断機が示す「感情値:0」という異常なグラフを見つめ、唇を噛み締めていた。
王都は確かに守られた。
だが、この「正しすぎる福音」が残した違和感は、テオたちの心に、決して消えない影を落としていた。




