14 懐かしの顔ぶれ
ゆっくりと目を開けると、空はすでに藍色だった。湖面には月の光が奇麗に映り、虫の声が妙にくっきりと耳に届いている。
「すっかり夜だな。少し寝すぎたか」
背筋をゆっくりと伸ばすと、背中で小さく骨が鳴った。立ち上がり、膝についた草を払ったあと湖を背にして歩き出す。
「アンナさんの店。まだやってるかな?」
向かうのはフィオナの母親であるアンナさんが営んでいる飯屋。サンベリル村で生まれ育った人からしたら実家よりも実家の味として舌に馴染んでおり、外から来た傭兵や労働者からしたら隠れた名店として扱われている。
店が残っているのは見かけたが、果たして営業しているかどうか。
まだまだ賑わっているギルドや酒屋を横目に進むと、記憶にある通り、見た瞬間に胸の奥に「懐かしい」という感覚が滲み出る店がそこにはあった。古い木造の建物。屋根は少し傾ぎ、入口の引き戸には手書きの紙札で「お休み」と書かれている。
「もう閉じちゃったか?」
参った。ここを頼りにしていたのだが。と、頭を悩ませていた時、扉が開いて女性が出てきた。
銀糸を編んだような、光を含む長い髪。その髪を指先でかき上げた仕草さは、昔のままだった。肌は透き通るように滑らかで、シワも影もない。最後にアンナさんを見たのは8年前。それなのに、目の前に立つアンナさんは年を一切重ねていないように見えた。
ふと、こちらを振り向いた。一瞬驚きが表情に出たが、次の瞬間にはぱっと花が咲くような笑みを浮かべた。
「ルーカスくん?ルーカスくんでしょ!」
声は弾み、目は輝いていた。両手で軽く叩いて無邪気さで笑うアンナさん。
「お久しぶりです」
「なに?敬語なんか使っちゃって。背もこんなにも伸びて。もう私よりも大きいじゃない」
大人しく礼儀正しいフィオナの母親と思えないはしゃぎっぷりだが、それがオレの知るアンナさんだ。
そこで、ぐぅ~っと腹がなった。
「す、すいません。腹が減ってまして」
「ふふっ」
目が合うなり、アンナさんは軽く笑い肩をすくめる。
「ささ。お店に入って。積もる話もあるんだから」
その言葉と同時にアンナさんはオレの腕を優しく掴んだ。そのまま引っ張られて歩き出す。懐かしい背中は、数年前より小さく見えた。オレがソニアとフィオナを引っ張って歩いていたように、アンナさんはオレの手を引っ張って色々な所に連れまわしてくれていた。
そんなことを考えながら、オレはお店に入る。
懐かしい木の匂いと、香ばしい出汁の匂いが鼻をくすぐる。4人座れるのテーブルが2席に、6人並べるカウンターがある、こじんまりとした店内。壁は年季の入った木材でできており、ところどころに子供が描いたであろうラクガキが色あせている。
「出来合いのものしかないけど。それと、これはいけるようになった?」
カウンターの下から酒瓶を取り出し、ニヤリと笑う。
「付き合いでしか飲んでませんでしたが」
「なら今日はお姉さんに付き合ってもらおうかしら」
その声にはからかうような響きと、どこか嬉しそうな気配を感じる。
「もちろんです」
コップをいただき、中に酒が注がれる。
「昔はアンナさんに飲むなって怒られてたんですけどね」
子供の頃、傭兵ギルドの大人たちに飲め飲めと勧められた時、それを止めていたのはアンナさんだった。好奇心旺盛だったオレは、アンナさんに隠れてなんとか飲もうとしていたのだが、悉く阻止されていたのを思います。
「あれはルーカスくんが子供だったからでしょ。それが今では」
言いながらアンナさんが自分のコップを上にあげたので、オレもそれにならう。
口に含んだ瞬間、ほのかに蜜のような甘みが広がった。舌にじんわりと広がる温かさと、薬草のような風味を感じる。少し甘いがくどくない。喉をすっと通ったあと、胸のあたりがぽうっと熱くなった。
「うまいですね。なんか、懐かしい感じがするっていうか」
「王都帰りの傭兵さんからもらったお見上げなんだけど」
「……そう、ですか」
サンベリル村の地酒だから懐かしいと感じたのかと思ったが、全然そんなことはなかったようだ。顔が熱いのは空きっ腹に酒を入れたからか、或いは勘違いだったからか。
酔いが回らないようにちびちび飲んでいると、次々とアンナさんが料理を出してきた。木製の深皿に入っているのは根菜と肉をじっくり煮込んだとろとろの煮込み料理。隣にはきつね色に揚がったテールラビットの肉。さらには彩り豊かな野菜の漬物。ほんのり酸味のある香りが、料理を引き締めている。
ほかにも、いろいろ。
「アンナさん。こんなに食べられないですよ」
「大丈夫大丈夫。私も食べるし」
アンナさんが言っている途中、勢いよく引き戸が開き、重い足音が聞こえてきた。そちらを見ると、立っていたのは大男。肩幅は壁の柱と同じくらいありそうで、太い腕が扉を閉める。
「ハリドさん!久しぶりいぃぃぃぃぃ!痛い!痛いですよハリドさん!」
近付くと、熊のような腕に鷲掴みにされ、そのまま持ち上げるように抱きしめられた。骨が軋むような圧力。気張らなければ圧し潰されてしまいそうだ。
「はっはっは!こんな力いれても潰れなくなったのか!大きくなったな!」
店中に響くような笑い声。この迫力のある大男はソニアの父親。ハリドさんだ。この村で鍛冶屋をやっており、仕事終わりなのか、分厚い革の前掛けをつけており、腕には煤がこびりついている。
「積もる話しもあるが、飯でも食いながらにしようや」
言いながら席に着くハリドさん。
「サイラスは仕事が終わったら顔を出すとよ。リサはもう寝ちまったから今度挨拶してくれや」
サイラスさんはフィオナの父親。リサさんはソニアの母親だ。
「おっ!なんだよルーカス、いっちょまえに酒なんて飲みおってからに!アンナ、俺にも酒をくれ!」
「そんな大声じゃなくても聞こえるわよ」
「すまねえな!ルーカスの顔見て嬉しくてよ!がはは!」
この人も、8年前と全く変わっていない。むしろ元気になっている気がする。
まったく、この村には歳を取らなくなる秘密でもあるのか?なんて、フィオナとソニアの成長を見ているので、そんなものはないと知っているが、疑いたくなる。




