第6話 Six Feet Under⑫
「痛っ」
「ちょっとフィー? 大丈夫?」
「う、うん……何でか頭が急に……」
まだキシキシと痛む頭が、まるでここから逃げるなと言っているような気がして、フィーは一歩前に足を踏み出す。
足を踏み出せば踏み出す程、頭に響く痛みが強くなってくるようだ。腕の中でイニが何か言ってくれているが、ぼやぼやとして言葉の輪郭が掴めない。
それでも、フィーの足は止まらない。何かに導かれるように、ビーズの暖簾に手を伸ばす。
「……えっ」
瞬間、一際強い痛みに引き摺られるかのように、灰色の視界と共にここではない景色が見えた気がした。知らない扉の前に、同じように伸ばされた手がある。
知っている手。あたしの、手。
何、これ――?
知らない、こんな景色知らない。目の前に扉なんてない。それなのに、今見えているこれは、何だろう?
これ以上進めば、取り返しが付かなくなるような感覚。それでも、今はライアンが心配だったから。イニを抱きしめる手を少しだけ強くして、フィーは木製のビーズに手を掛ける。
暖簾を掻き分けると、そこには銃口をこちらに向けたレクターと、彼女と向き合うように立つライアンの姿が見えた。
「……ライアン?」
呟いてから、スンッと鼻が鳴った。血の臭いに混じったそれは、知ってる臭いだった。いや、知ってる臭いはもっと強烈で鼻が曲がりそうなもの。それでも、フィーは確かに、その場に漂っている絶望の臭いを、よく知っていた。
見るなと、頭の中で誰かが叫んだ気がした。それ以上視線を動かせば後悔するぞ、とも。
だとしても、フィーの視線の動きは止まらない。ゆっくりと、惹き付けられるかのようにそちらへ顔が動いて行く。
そこにあった光景に、ドクンと心臓が強く鳴った。
あーあ、見ちゃったね。
そんな声が、再び頭の中に響く。
まるで浅瀬で溺れているかのように。真綿で首を絞めていくように。フィーの呼吸が、どんどん浅くなる。
「………………? ……、フィー……?」
イニの声が、聞こえた気がした。
彼女が、あたしの名前を呼んだことだけが、分かった。
それ以外の言葉が、何も頭に入って来ない。
無意識に、イニに目の前の光景を見て欲しくなくて、きゅっと身体を丸めた。そんなこと、する意味ないのに。だって、きっと彼女も見てしまっているはずだから。
腹部が切り裂かれ、ポッカリとした空洞が覗くエイミーと、あれ程楽しそうに笑い、泣いていたエンナが、その豊かだった表情を血で染めている。
そんな二人を抱きかかえるようにしているアルフレードの顔は、絶望と悲しみで目を見開き、もう流れ落ちることのない涙で顔を濡らしていた。
もう、誰も生きていないのは誰が見ても明らかだった。そこに、朝まであったはずの命はなかった。ともに笑い合った三人は、もう、ここにいないんだ。
頭の痛みがまた強くなった気がした。痛みのせいで呼吸が、浅くなる。汗が一筋頬を伝い落ちた感覚だけがあった。
ぽちゃりと一雫床に跳ねた音が聞こえた瞬間、先程見た灰色の景色と共に、燃え盛る炎の中、三人と同じように転がる無数の死体が見えた。
知らないはずなのに、その死体の全てを、フィーは誰か知っていた。名前は誰一人思い出せない。それでも、フィーは確かに知っている。
何だこれ何だこれ何だこれ何だこれ何だこれ――
死体の山の中で、誰かがこちらを観た気がした。黒い髪に、青い瞳をした綺麗な人。
その姿は、鏡に映るフィーとよく似ているように見えた。
あれは……あたし?
いいや、いいや。そんなことはない。だって、あたしはあんなに綺麗じゃないもの。
目の前に見えるその人は、訴えるような瞳でこちらを見つめながら、無音の中でゆっくりと口を開いた。
何? アナタは何を伝えたいの?
やがてその女性が口を閉じて、ふっと微笑んだ。優しくて、温かい笑みだった。
――ねぇ。アナタは、誰?
まるで燃えた釘を頭に直接打ち込まれたような痛みが頭に響く。先程の痛みなどとは比べ物にならない。
頭の中に突如流れ込んで来た景色と、目の前に転がるかつて友人だった、幸せに包まれていた家族。
何も分からない。何も分かりたくなんかない。
嫌だ認めたくない。嫌だ嫌だ嫌だッ!!
ねぇ、なんでどうしてみんなあたしを置いて死んじゃうの?
でも、みんなって、誰?
「いやああああああああああああああああああああああ――ッ!!」
フィーが叫んだ瞬間、パンッと乾いた音が辺りに響いた。
「フィー!!」
そんなライアンの声と共に、フィーの顔が何かで濡れた。ゆっくりと、震える手で頬を拭うと手に付いたそれが血だと悟る。
「ライ!!」
腕に抱いたイニの叫び声に、それがライアンのものだと気が付くのと彼が目の前でゆっくりと倒れて行くのは同時だった。
「ライアンッ!!」
急いでフィーがライアンの身体を抱き止めるも、彼の身体の重さに耐え切れずそのまま床に倒れてしまう。
「ライアン! ライアン!」
「……聞こえてる、大丈夫だフィー。肩かすっただけだよ」
ライアンは苦痛に顔を歪めたままそう答えると、そのまま視線をレクターへと向ける。彼の肩から、ダラダラと血が溢れている。
「ライ、アン? 嘘……またあたしのせいでキミがキミが……ッ!」
「だから大丈夫だって。フィーこそ怪我はねえか?」
「あら、優しいのね」
「……っせぇよクソ野郎。関係ないフィーを狙いやがって。てめぇ、どこまで腐ってやがる」
「腐ってる? 面白いことを言うじゃない。私にとって正しいのはあの方の言葉だけ! それ以外は全て間違っているの! 腐っているのよッ! あぁ、陛下! 陛下の指し示してくださる道こそが正しいのです! 美しいのです!!」
レクターはまるで酔っているかのように恍惚な笑みを浮かべていたが、すぐにとても退屈だとでも言いたげに小さく息を吐いた。
「だと言うのに。研究はアナタ達が余計なことを言ったせいで失敗。後少しだったのに、残念」
「ッ! レクター先生……信じてたのに、みんなアナタのことを信じてたのに!」
「信じる? あぁ、勝手に信じられても困るのよね。実験動物は実験動物らしく大人しく実験さていればよかったのよ」
「なんで……なんでそんなに酷いことができるのよ!」
「酷い? アハハッ! フィーちゃんはおかしなことを言うのねぇ。だって、私はただ一度も、信じてくれなんて言った覚えはないもの」
「そん、な……」
なんでそんな酷いことが言えるんだろう。なんで自分のことを信じていた人に向かって、そんな風に笑えるんだろう。
悔しくて悔しくて悔しくて堪らなくて、フィーはグッと奥歯を噛む。
「……してやる」
「うん? なーに、フィーちゃん。無力で何もできないアナタは、この私に、何を、語ってくれるのかしら?」
優しい猫撫で声が、フィーの心を掻きむしる。こんなヤツの言葉に絆されていたなんて。こんなヤツの言葉を信じたなんて。
絶対に、許さない。
「殺してやるッ!!」
「おっと、君みたいなレディーがそんな言葉を使うもんじゃない」
立ちあがろうとしたその瞬間、そんな言葉と共に温かい手がフィーの肩に触れた。驚いてそちらを見ると、そこには【スリースペード】でご飯をご馳走してくれた人。でも、今は警察機構の制服に身を包んでいる彼、ロビンソン・リーガスが立っていた。




