あなたの娘です、とは言ってません
よく晴れた秋の日。侯爵夫人のガーデンパーティーは盛況で、私は知り合いを見かけるたびに間もなく息子に爵位を譲る事、自分は領地に戻る事を伝えた。
「今まで大変だったな」
「寂しくなるよ」
「息子さんが優秀で羨ましい」
皆に声を掛けられ、惜しまれる。ありがたいことだ。
さすがに少し疲れた私は薄荷水を受け取って会場から離れ、ローズガーデンを散策することにした。
秋は気温が低いので薔薇が香り高いのだ、と庭師が言っていたが本当に良い香りだ。
すると、薔薇の後ろから少女が現れた。赤い髪に鳶色の瞳の、見覚えの無い娘だ。
散策してコースを外れたのかと思ったら
「失礼。ハリー・トワソン伯爵でいらっしゃいます?」
と、聞かれた。
「そうだが……、以前にお目にかかった事があったかな」
「いいえ、初めましてです。私はまだデビュタントしてませんもの。タチアナと言います」
なら、何故私を知っているのだろう。
「母がトワソン様をお慕いしていたのです。もう20年も前の隣国での話です」
「20年前……」
確かに、20年前に隣国へ行った。
「今でも薄荷水がお好きですのね」
コップの中身を言い当てたタチアナ。どうやら騙りでは無いようだ。
「ふふっ。母の事など覚えていらっしゃらないでしょう? 今でもお美しいトワソン様は、若い頃はそりゃあ令嬢方に凄い人気だったと聞きましたわ」
「いや、そんな事は……」
令嬢に人気があることは自覚してた。令嬢たちは私にダンスを申し込まれるのを期待している。それに応えつつ、他の令嬢の機嫌を損ねないよう振る舞わねばならなかった。
「もう、隣国の事など忘れてしまったのでしょうか」
「いや。歴史のある古い街で思い出深いよ。優しくて暖かい人たちで、楽しく過ごさせてもらった」
グラマーなグレンダ、恥ずかしがり屋のアメリ、積極的なデイジー、豊かな金髪のエレナ、黒髪のバージニア……。
「帰国しなければならないのが辛かったよ。幸せな思い出だ」
「その後を知ってますわ」
タチアナは、訳知り顔で言う。君の生まれる前の話なのに。
「エレナ、いえ、トワソン様と愛し合った少女は」
何故エレナの名前を? 偶然か。
「トワソン様が国に帰った後に自分の妊娠に気付いたんです。世間知らずの少女にはどうする事も出来ず、家族に泣きつくしかありませんでした。少女は家族に、ふしだらな女だ、家の恥だと罵倒され、家の奥に隠されてひっそりと出産しました。誰にも祝福されずに生まれたのは女の子でした。その娘は、すぐに遠くに養子に出されたんです。この国に。そして、自分の産んだ娘に二度と会えないと知った少女は、絶望して儚く人生を終えました」
この娘は何を言ってるのだ? まるで見てきたかのように。
「娘は、引き取られた家で邪魔にされて育ちました。食べる物はいつも硬くなったパンと野菜クズの薄いスープ。虐げられ、働かされ、踏みつけにされ……それでも帰る場所も受け入れてくれる人もいない娘は、耐えるしかありませんでした。絶望することすら許されない、地獄のような日々でした」
まさか自分の話なのか……? それでは、この子は……。
「そして、家族の浪費の穴埋めに支度金を一番多く出す男と結婚させられる事になったのです。相手が年寄りでも、おかしな趣味があっても、そんな事はたいした事ではありません」
結婚? まだ子供ではないか。いや、「デビュタントしていない」のでは無く、「デビュタントさせてもらえない」だったら……。虐待のせいで成長が遅いのだとしたら……。この子は私の……。
「さようなら。二度とお会いすることはありませんわ」
考えこんでいる私を残してタチアナが歩き出す。
「ま、待て! 君は私の娘なのか?」
捕まえようと伸ばした私の手をすり抜けて、タチアナは走り出した。
ドレスを翻して淑女とは思えない走りっぷりに、私の疑惑は確信になった。
「娘……なのか……」
その時だけの恋ばかりしてきた。責任を取らず逃げてきた。
だから、思いがけず結婚できて爵位を継げた時、家庭を領地を大切にして息子に譲るのだと心に決めたのだが……。
「そんなの、何の罪滅ぼしにもなってなかった」
己の考えの甘さに押しつぶされそうだ。
思いっきり走って、トワソン伯爵が付いてこないのを確認した私は、休憩用に用意された部屋の一番奥の部屋をノックした。
「どうぞ」
母ではない人の声に、ドアを開けて覗き込むと、母の向かいに二人の老婦人が座っている。私がいない間に休憩に来たようだ。
母に向かって歩いている間に、母が二人に「娘ですの」と話している。
母の隣に座り、部屋付きのメイドがお茶を出してくれた後、母のお説教になった。
「タチアナ。また走って来たでしょう。足音が聞こえましたよ。レディは走ってはいけないと何度言ったら分かるの」
「だって、走るのが遅いとお兄様やマックに馬鹿にされるんですもの」
「あなたは女の子でしょう! ……お恥ずかしいですわ」
と、老婦人たちに言うと
「まあまあ、元気なのは良い事じゃありませんか」
「健康でいてくれるのが一番の親孝行ですよ」
と、好意的に返された。いい人っぽい。
その印象は当たっていて、
「タチアナさんは初めてこの国にいらしたんですって?」
「お父様がこちらの侯爵夫人の甥だそうですね」
「この国の食べ物は口に合ったかしら」
と、私にも話を振ってくれる。
私は、この人たちの前なら今あった事を言ってもいいかと考えた。
「お母様、先ほどトワソン伯爵とお話ししたのですが、私をご自分の娘だと思ったようですわ」
「ええっ!? あなた、何をしてきたの?」
お母様が淑女らしからぬ声を上げる。老婦人たちも好奇心を隠せないようだ。
「お母様が20年ぶりに姿を見ただけで休憩室に逃げ込むような男性ってどんな方かと思って、ちょっとお話ししてきましたの」
「それで何故あなたがトワソン様の娘になるの。トワソン様に何を言ったの?」
「何も? ただ『月刊 小説家になりませんこと』の連載小説の話をしただけですわ。男に捨てられた女性から生まれたヒロインが、意地悪な人の家に養子に出されて苦労する話ですの。私、ヒロインはこの後、醜悪と噂の辺境伯に嫁ぐと予想してますわ。なぜかトワソン様は私の話だと思ったみたいですが」
母は頭を抱えた。
「それでトワソン様、エレナという名前は覚えていたみたいですけど……、お母様は子供が出来るような事をしてませんわよねぇ?」
「当たり前でしょう! ……どなたと間違えていらっしゃるのかしら」
「そもそも私はまだ15歳。20年前の子供のはず無いのに、そんな事も気付かない人だなんて。本当、お母様は男性の趣味が悪いわ」
「失礼ね! 20年前にあの人が『見聞を広げるために』と我が国の社交界に現れた時、あまりの美青年で年頃の令嬢は皆ときめいたのよ。ダンスするだけで天にも上る気持ちだったわ。エスコートがとてもスマートなの。皆と密かに『薄荷水の君』と呼んでたわ」
わかるわかる、という反応の老婦人たち。本当にモテていたようだ。
「そのうち『自分はトワソン様の恋人』と主張する女性が何人も現れたかと思ったら、トワソン様は国に帰ってしまわれて……。社交界は大騒ぎになりましたわ。トワソン様を紹介した貴族の方も肩身が狭かったとか」
ほんっとうにクズの所業だ。20年も前の事だけど。……20年前?
私は自分のやらかしに気付いた。
「トワソン様、今は奥様やお子様がいらっしゃいますよね! 私ったら何て失礼な事を」
奥様たちが隠し子がいると思ってしまったら。
「それは大丈夫よ」
老婦人たちが教えてくれた。
ハリー・トワソンはもともと次男で継ぐ爵位も無く、女癖の悪さも有名で、たとえ娘が彼に熱をあげていてもそんな男に娘を嫁がせようとする親はいなかった。
それが、爵位を継いでいたハリーの兄が急死して、ハリーは兄嫁と結婚して兄の息子が成人するまで爵位を引き継ぐ事となったそうだ。
「でも、兄夫婦はさんざんハリーに迷惑を掛けられていたのでね……。兄嫁も彼を夫として愛するなんて無理で」
ハリーと兄嫁の夫婦関係はあくまで表向き。今は息子も成人したので、まもなく息子が爵位を継承してハリーは兄嫁を残して領地に戻るとか。
私のちょっとした嘘は、トワソン様の心の中だけになりそうだ。
「トワソン様、やはり女たらしでしたのね。……実は、ダンスの時にベッドに誘われているような事を囁かれてはいたのですが、婚約もしていない女性にそんな事を言うはずないと冗談だと流してましたの。友人たちも同じようなことを言われてたので、大人の社交辞令って少し恥ずかしいわねと話してましたわ」
「お母様、今そんな事を仰ったら『慎み深い』ではなく『天然』と笑われますわよ」
天然で良かった。
今よりずっと貞操観念の厳しい20年前、トワソン様に操を捧げた少女たちはその後どんな処遇になったのか。中には本当に『小説家になりませんこと』のヒロインのような娘がいたかもしれない。
それを、トワソン様が美しい思い出のように語るので、ついあんな話をしてしまった。トワソン様は信じたみたいだけど……、どうせすぐに忘れてるわよね。
「トワソン様に幻滅してくれたおかげで、お母様が美青年でもスマートでも無いお父様を好きになって私たちが生まれたのだから、結果的には良かったのですけど」
「そうよ。あなたも結婚相手はお父様のような方を選びなさい」
「子供が三人もいるのに、今でも誕生日に花束を渡すのに照れる男性というのもどうかと思いますわよ」
休憩室に四人の笑い声が響いた。
2024年11月14日 日間総合ランキング 16位
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