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jet black honey

作者: 不破陸

19世紀、鉄道が走り蒸気が漂うロンドン市街。

空を行く機械人形と没落貴族による血と爆炎の復讐譚が始まる。

 頭に布を巻きつけた少年が後頭部から一筋それを流し、蒸気が覆う夜空を舞っていた。

 腕や足、背中の噴出孔から器用に推進力を噴いて踊るように少年は飛ぶ。

 眼下に映る蒸気都市から聞こえる汽笛の音が合図だった。

 夜風に服をはためかせ孤を描いた少年が、一気に地表へと落下していった。

 出力を調整して建物の窓を突き破ると、中にいた男の首を右手で引き抜いたナイフで切り裂く。

 慣性に身を任せ突如強引に出力を上げた少年は、その手の先にいた老人を焼き払い、反動を利用して窓から街へと文字通り飛び去り夜空へと舞った。

 月光を体に浴びポーチから紙を取り出して眺める少年が、そこに載っている三人の写真に熱された指でバツ印をつける。

 顔写真の横に処理方法が記されたリストを掌の噴出孔による熱で焼却し、少年は主人の下へと何も考えずに飛んだ。


 歴史ある貴族の屋敷。その開け放たれた窓辺に少年が音もなく着地し、部屋の奥へと歩いていく。

「LR。成果は」

「リストNo.6、7、8に載っているものは処理」

 跪いた少年に金髪の少女がその答えを聞くと二つの封筒を投げつけた。

「次」

 ナンバーが記された封筒を開けようとする少年に金髪の少女の刺々しい声がピシャリと飛んだ。

「今日はもういい」

「かしこまりました。ルーシー様」

 封筒をポーチに閉まった少年が再度跪き、そう言った。

 自身が座る椅子の前で頭を垂れている少年を、少女が黒いヒールで踏む。

「私の指示以外の行動をするな」

「申し訳ございません」

 お互いに表情を変えずに少女が言葉を続けた。

「封筒は数字の順序通り一枚ずつ開けること」

「承知しております」

 答えた少年の顎を少女が蹴り上げる。

「私の前から消えろ、ガラクタ」

「失礼します」

 立ち上がった少年が窓へ歩いていき、夜空へと飛んだ。

 身に着けている布をはためかせ飛び立った少年の姿を見て、黒衣の少女は血に染まるタイプライターを咳き込みながら打ち始めた。


 夜の帳が下りる。満月を背にして教会の屋根に腰を落ち着けていた少年が飛ぶ。

 次の標的を目指して鉄の塊が地上へ落ちた。


 天から落ちる感覚に少年は甘美な思いを抱いていた。眼下に迫る城のような屋敷を前に地上寸前でブレーキを噴射する。

 少年が片手を屋敷の巨大な門に翳した。掌より放たれる熱の超噴射がいくらかの外壁と共に門を吹き飛ばした。

 駆け寄ってくる使用人を少年が無言で焼却し、お目当ての熱源をサーチして屋敷の壁を破砕した。

 轟音と、初めて見る来訪者がお目当ての目に映る。猛烈に吠えたてる子犬を掴んだ少年が屋敷の奥へと飛ぶ。


『No.9 オスカー・クリントン


  飼い犬のシェリーを喰わせてから殺せ』


 それがリストの内容だった。少年が壁も天井も破壊しながら抹殺対象の熱源に飛ぶ。

 片腕で裂くように寝室の扉を破壊した少年が、ベッドから身を起こしている男の前に舞い降りた。

「ハミルトン家の機械人形(カラクリ)が何の用だ」

 無言のまま少年が子犬を程よい温度で焼き始める。けたたましい金切り声が部屋をつんざいた。

 やがて声も動きもなくなった肉を男に差し出す。

『食エ』

 無機質な機械音声が鳴る。

「ふざけるな」

 掌の噴出口を赤く染めた人形が無言で男の腕を掴み肘から先をなかったものにする。痛みに呻きながら右手でそれを押さえるオスカーに再び人形が告げる。


『食エ。喰エバ命ダケハ助ケテヤル』


 歯を食いしばって肉を奪い取った男がそれを貪り始める。それを見た人形は、静かにシチューを食べるルーシーの姿を思い出していた。


「食ったぞ。とっとと消えろ」


「お前がな」


 息を吐く間もなく少年が最大火力で男を焼き払った。建物の壁が消滅し、満天の星が輝いているのが部屋から見えた。


 まだ余熱の残る腕で次のリストを改める。


『No.10 シェリー

     心が痛むなら食べさせなくていい』


 機械人形(カラクリ)には心がない、そう言われているようだった。


 このリストの順番が逆だったら僕はどうしただろう、と少年は思う。


 答えは出なかった。いや、出さなかった。不必要な火力で男を焼き払ったことを思考から除外する。


 消失した壁から飛び立った機械の体が流星のように夜空を裂いた。




 月を背後に少年が中空で緩やかな弧を描く。


 眼下にある蒸気都市から立ち上ってくる白煙を見て少年がルーシーと出会った10年前に思いを馳せた。



─────────────────────────────────────



 痩身の男が3歳ほどの子供を連れて屋敷の庭園を歩く。


「ルーシー、今日からこれが君の召使だ」


 髭の男が娘にそう言った。少女が不思議そうな目で機械のボディを見つめる。


「触ってごらん」


 外見からは金髪の少年に見える。少女の手がたどたどしい動きで機械に触れた。


「よろしくお願い致します」


 突然(かしず)いた機械人形(からくり)にルーシーが飛び退く。そのまま父親の後ろに隠れて少女は様子を伺っていた。


「怖くないよ。君の命令には絶対に逆らわない」


「ホントに?」


『私はご主人様にお仕えすることだけが使命です』


 突然の機械人形(からくり)からの機械音声に再び少女がビクッと跳ねる。


 やがて恐る恐る近づくと金属製のボディを叩いたり蹴ったりし始めた。


「馬におなりなさい」


『かしこまりました』


 人形が四つん這いになると少女がその上に跨った。ゆっくりと庭園を移動する。


「LR、飛んでいいぞ」


『承知致しました』


 少女を背に乗せたまま機械の腕から火を噴く。少女に熱を浴びせないよう器用に直立したまま人形が浮遊した。


『しっかり掴っていてください』


 そう告げた人形が地面に対し体を傾け、機械の脚からも推進力を噴射した。


「すごーい!」


 緩やかな速度で始まった飛行にルーシーの歓声が上がる。


 しばらく屋敷の上方を飛んでいた人形が姿勢を変える。


『いきますよ』


 白い月へ向かって高速で人形が飛んだ。少女が必死で人形にしがみ付いたが髪一つ揺れることはなかった。


『安心してください。風圧もGも防ぐシールドを張っています』


 何を言っているか少女には分からなかったが愉快そうにケラケラと笑った。


「私はルーシー。お前のなまえはなんていうの?」


『首の後ろにあるプレートに書かれています』


 ルーシーが人形の後ろ髪を上げてうなじを露わにすると銀のプレートが鈍く光っていた。


「LR……0、3、7、1、5、1」


『LR-037151。それが私の名前です』


 眉根を寄せてルーシーが思案をする。


『どうかなさいましたか?』


 気配を察知した人形が少女に声をかけた。


「るぅ」


『どうされました?』


「お前は『るぅ』となのれ。犬につけようとおもってたなまえだ」


『恐悦至極です』


 また顔を顰めてルーシーが言う。


「お前がなにを言ってるのかたまに分からん。もうすこしかんたんに話せ」


「うん、そうする」


「そっちの方が見た目にも合ってるぞ」


「ありがとう、ルーシー」


 少年と少女の眼下には白煙を立ち昇らせる蒸気都市が広がっていた。



─────────────────────────────────────



 思い出に耽るのを止めた少年が主人の待つハミルトン邸へと飛ぶ。


 普段開いているはずの窓が閉まっている。何やら中が騒がしい。

 

 少年が屋根の上に降り立ち、集音機能を働かせた。




「本当に何も知らないのですか?」


傀儡(かいらい)とやり取りする気はない、消えろ」


 金髪の少女が革張りの椅子に深く腰掛けながら警官隊に言った。


「とにかく立て続けに要人が狙われているんです。張り込ませてもらいますよ」


「正直に言ったらどうだ。ハミルトン家の機械人形(カラクリ)が有力者を殺して回っていると」


 ルーシーの言葉に警官の顔が渋る。


「おかしいじゃないか。そんなヤツがこんな没落貴族のところに現れる訳がないだろう」


「ルーシー。機械人形(カラクリ)が何度もこの屋敷の窓を出入りしていることが確認されている。ヤツが現れたら君を連行しなければならない」


 そう言って警官がルーシーに手錠をかけようとする。男に触れられた瞬間、ルーシーが喀血(かっけつ)し、そのあまりに大量な血は警官も床もタイプライターも全てを赤黒く染めた。


「私に……触ると毒が移るぞ!! もう一度言う……消えろ!!」


 ルーシーは結核を患っていた。血液から感染することはないが、無知な警官達は恐怖から引き返そうとすでに尻込みしている。


「はっはは!! 呪いが移れば血を吐き続けて死ぬ!! どうしたぁ? 逃げなくていいのかぁ!!」


 そんな中、手錠をかけようとした警官が引けをとらずルーシーを警棒で殴った。


「毒を食らわば皿までだ。もう全身に浴びちまってるしどうに……も……」


 窓の外に感じたおぞましい威圧感に蛇に睨まれた蛙のように警官の動きが止まる。


 警官隊が窓を見やると少年が暗い双眸で室内をねめつけていた。背中から噴き上がる炎を羽のように夜風に(なび)かせながら。


 突如窓を突き破り室内を急襲した少年が警棒を持った警官の頭を焼き払う。


 掌を他の警官に(かざ)すと、それ等は一目散に逃げていった。


「ルーシー」


「LR、何故助けがいつも間に合わん。何故あの時動けたのに動かなかった」


 少女が血を零しながら悲痛な胸の内を吐露する。


「申し訳ありません。姿を現すべきか迷いました」


「戯言など聞きたくない!」


 そう言い放ったルーシーの脳裏に没落の日の記憶が呼び起こされた。



─────────────────────────────────────



「ルーシー。ハミルトン卿のことは残念だったね」


 ハミルトン邸で少年と二人取り残された少女にオスカー・クリントンが言った。


「事故ならば仕方がない。クリントン卿、何をしにきた?」


「そこの機械人形(カラクリ)は私が貸し出したものでね。契約者がいなくなったのでご返却願おうかと」


 ちらりとるぅを見やったルーシーが問う。


「るぅ、そうなのか?」


「僕はルーシーに尽くすようにとしか聞かされてないから分からない」


 そう言った少年がオスカーの前に立って告げる。


「契約書はございますか?」


「ふん。生意気な機械人形(ガラクタ)が」


 毒づきながらオスカーは、ボストンバッグから何枚かの書類を取り出すと少年に手渡した。


「確かに旦那様のサインが記されてますね」


 そうは言ったがるぅはハミルトン卿のサインを知らなかった。彼の作られた目的が、そういったものに関わる必要がなかったために。


 機嫌を損ねないよう一旦引き取っておいて、邸内にあろうハミルトン卿のサインと照会する。そう考えて少年は応えた。


「分かったなら早くしてもらおう。停止スイッチは何処だ」


 契約書の隅々までスキャンしてデータに保存しながら少年が訊く。


「停止スイッチ?」


「ないのか? 説明書は」


「ですから契約自体を存じ上げませんので詳細は分かりかねます」


「生意気な口を利くなと言っとろーが!!」


 癇癪を起こした恰幅の良い男がるぅの胸を拳で強打する。


 その瞬間、少年から光のビジョンが空中に照射された。


『情操教育用レプリカントLR-037151ヘルプページへようこそ』


 目に光を失くし直立したまま微動だにしない少年が投影した画面から女性の声で案内が流れる。


『ご質問内容を音声、またはコンソールに入力してお伝えください』


 目を丸くしているオスカー、ルーシーもまた同様だった。


 呆けてばかりもいられぬとオスカーが質問を始める。


「レプリカントとは何だ」


『人間の模造品。役割を与えられた被造物です』


 眉間に皺を寄せて銀髪の男が声を荒らげる。


「人間が神にでもなったつもりか?」


『情操教育用レプリカントLR-037151ヘルプページへようこそ』


『ご質問内容を音声、またはコンソールに入力してお伝えください』


 あくまで機体に関する質問にしか答えないと悟ったオスカーが訊く。


「停止スイッチは何処だ」


『首の後ろにあるコーションプレートに成人が触れればスリープモードに移行します』


「首の後ろ?」


 オスカーがるぅの背後に回り髪を上げようとする。


 髪に手が触れた瞬間、コンソールと光の照射が消えた。


 目に光を取り戻した金髪の少年が背後に気配を感じて飛び退く。


「停止スイッチの位置が分かった」


「そうでしたか。まだ押させる訳にはいきませんけど」


「何だと?」


 契約書をオスカーに差し出しながらるぅが言う。


「こちらの写しが邸内にあるはずです。見つかるまではお時間を頂きたい」


 それを受けて銀髪の男が応じる。


「一週間だ。一週間だけ待ってやる」


 そう告げたオスカーがスタスタと邸内から去っていった。


「意外と素直に引いてくれたね」


「あの男は何かイヤな臭いがする」


『ムスク10%、精製水10%、アルコール80%。分量:過剰』


「香水のつけすぎだね」


 オスカーから発された臭気を解析したるぅが告げた。


「違う。人間的な部分の酷い悪臭が鼻を衝く」


「人間的部分かぁ」


 掌の噴出口を見やりながらそうぼやいたるぅにルーシーが声をかける。


「お前は人間だ。私はそう思っている」


「契約書の写しもだけど、旦那様の遺産を整理しておかないとね」


「ああ、忙しくなる」


 葬儀から三日経つが、13歳の少女には父親のいない広い邸内が寂しいものに感じられていた。


 それを分かっているるぅは時折彼女を一人にし、一緒にいる時はなるべく寂しさがまぎれるように振舞っていた。




「契約書は嘘だったみたいだ。筆跡が合わない」


 数多く残る書類に記されたハミルトン卿のサインと、オスカーが持っていた契約書のサインを照合するが全て不一致で終わった。


「どうする。契約書の写しもない状態で」


「説明書がどうとか言ってたから僕のことをよく知らないんだと思う」


 ルーシーの言葉を受け、財産に関する書類を纏めながらるぅが言った。


「矛盾をついてみるよ」


「道理を曲げてきそうな相手だが」


「証人を立てよう。旦那様と懇意でいらした名士の方と連絡を取ってみる」


 したためた何枚かの書簡を手にし、るぅが窓から蒸気都市へと飛んだ。





 直接会える人物には説明をしながら書簡を渡し、そうでなければ使用人に提出するよう言付けた。


 門前払いを食らう家、中には会えはしたけれど露骨に嫌な顔をされる場合もあった。


 そりゃそうだ。当主が死んで跡取りもいない家と関わってもメリットがない。


「私が手伝わないことを敬愛するハミルトン卿への最大の敬意と手向けと考えてもらいたい」


 最後の書簡を渡した家の当主が煩雑と憐憫を織り交ぜた表情で、るぅに告げた。


 その含みのある物言いはるぅには伝わらなかった。裏で何が起きているか知る由もなかったのだ。やがて起こる惨事の饗宴の幕が上がるまでは。





「皆さま、お集まりいただきありがとうございます」


 ホールに会した面々にるぅが声高らかに言った。


「お食事をご用意させていただいております」


 そう告げたタキシード姿の少年がオスカー達を食堂へ案内する。




 白いクロスのかかった長方形のテーブルに派手過ぎない装飾品が置かれている。


 というのも近々屋敷も引き払うため、金になりそうな丁度品は売約済みだからだ。長く勤めてもらった使用人達も今月いっぱいで新天地を探してもうことになる。


「まずはお飲み物をお楽しみください。1753年のスペイン産の赤ワインとなります」


 そう言ってるぅが使用人へ合図を出し、卓に着く4人の来賓へとそれぞれワインを注がせた。


 るぅがオスカーの横に立ち、今夜の契約に関しての計らいを述べると酌をした。


「それでは家督のますますの繁栄を願って」


 言葉の後にグラスが上品な音色を立てて打ち鳴らされた。


「るぅ、と言ったかね。今日の食事は君が考案したものか?」


「ええ、材料から市場に買い付けにいきました」


 名前を呼ばれた金髪の少年が朗らかな笑顔で応じた。


「契約の話だが」


 黙ってシチューを口にしているルーシーを確認したオスカーが劣情を隠さずに声を上げる。


「今すぐに回収させてもらおう」


 言葉と同時にるぅの背後から停止スイッチが押される。膝をついて崩れ落ちる人形に声がかかった。


「ごめんね」


 スイッチを押したのはハミルトン家お抱えの使用人だった。憐憫と諦観を覗かせる表情で使用人が機械の身体を椅子に座らせる。その様子を見ていたルーシーが人形に駆け寄ろうとするが招待されている貴族達に椅子へと抑えつけられた。


「宴を始めようか!!」


 そう叫んだオスカーが指を鳴らすと乱暴に食堂の扉が開かれた。一同の視線を集めた轟音の先には筋肉質の男が半裸で佇んでいた。男が満面の笑みで白い歯を輝かせ、時折深い咳をしながら部屋へと身を躍らせる。


「放せ!! どうしたというのだ!! 説明しろ!!」


「オー、ゴッド、プレジャー。お前は鉄道王に嫌われたのさ。私は元から嫌いだが」


 大仰な身振りで愉快そうにオスカーが応じた。


「鉄道王? 何の話だ」


「この大都市の血管を牛耳る権力を脅かす存在はどうなると思う?」


 心底身に覚えがないといった表情のルーシーを見てオスカーが小馬鹿にしたような抑揚で声を上げる。


「移動と物流の要になる機関車のお空をプカプカ浮くんじゃないよぉガラクタが。そいつが輸送できちまったら鉄道の価値がダダ下がりになるんだよお」


「輸送? る……そいつに出来るのは子供を運ぶ程度だ。資材を運ぶパワーなどない」


「ガラクタだったらいいんだがね、大衆が見ちまったんだよ。こいつが暴走した鉄道を止めるところを」


 話しているうちに近付いてきた半裸の男がルーシーの背後に立つ。奇妙な動きでダンスを舞っているのを感じながら、今にも顔に触れんばかりの手を視界の端に捉え、しかめっ面をした少女が叫ぶ。


「ただの噂話だろう!」


「た・だ・の噂話までに火消しするのにいくらかかったと思ってる!」


 血走る目でオスカーが激昂の絶叫を続ける。


「機関車は反社会勢力により破壊され、仕立て上げられた首謀者を逮捕することでお茶を濁す!! そういった筋書きで警察と会社の体面を保つのにカネ・カネ・カネ!!の大盤振る舞いだ!!」


「カネカネとうるさいヤツだな。お前に貴族の矜持はないのか?」


「ひゃほっ、ここまで夢見るお嬢ちゃんだとは思ってなかったよ。矜持だと? 金と支配が貴族だ!! そこのガラクタのせいで無様に殺されたお前の父親もそのへんが分かってなかったな!!」


 そう言い終えたオスカーが指を鳴らすと半裸の男がルーシーを羽交い絞めにする。


「お祭りだ。やってしまえ!! 後で口も利けなくなる」




 意識が薄れる。




「この屋敷を売り払う算段は終わっている。身投げの理由を用意してやったんだ『ありがとうエドガー様ぁ』だ、ろ、ウゥゥオオオ?」




 声も出ないまま下劣な宴が始まった。








 無言で男が人形をルーシーの腹部へあてがう。


 行為が続く。ルーシーの体液が人形にかかった。


『LR反転。実行プログラムを開始します』


『焼夷弾、解除』


『爆撃許可、解除』


『全武装解除』


『推進出力:解放。1230%。2040%。25600%…』


『全出力解除』


 人形が、飛んだ。


 ルーシーを襲う全裸の男に体当たりをした人形が彼女の前に立つ。


 一人と一体の記憶はそれで途切れている。





─────────────────────────────────────






 開け放たれた窓から燦燦(さんさん)と朝日に照らされ走る蒸気機関車が、人々が蠢く市場の間を縫って征く。餌に群がる蟻の様な群衆と、それ等を引き寄せる黒煙を払うようにルーシーが外界を手で仰いだ。


「見ろ! (はげ)しく! 苛烈に! 裂帛(れっぱく)の警笛が摩天楼の合間を行く様を!!」


 街を覆う蒸気が空へ昇り、深く沈みこんだ黒煙が街中を漂い人々の肺腑を蝕む。


「ルーシー。街から出よう」


 悲痛な面持ちでるぅが言う。


「私も父もこの家で生まれ…この街で育った。家名を…この地か……らは持ち出せん。毒を…食らって死ぬなら……それ…も本望。それがルーシー・ハミルトンの人生とな……る。こ…こを…離れて死ねば……生など始めからない!!」


 呼吸の一つ一つ、息の一吸いが彼女の肺を蝕む。病の進行は彼女の生と同義だと理解した少年が窓から飛び立った。頭巾に刺した漆黒の羽根を朝日が照らす。


「殺意を向けろ!!一人残らず許すな!!絶対に!!絶対に、殺せ!!!!!!」


 明けの空を征く少年に血を吐き出す少女の金切り声が届く。


「派手にやれ!!奴等の株を暴落させろ!!貴様はそのためのカラクリだ!!」


 少女の衣服についている漆黒の羽根が、はらりと床に落ちた。



鉄の機械が流れ込むターミナルの上空に、同じく鉄の機械が浮いていた。

暗い双眸を開いた人形が聳え立つビルに手の平を向けると破壊の狼煙を上げた。その手を地面に下げて爆弾を打ち放つ。

鉄道の脆弱さを示す侮辱の徹底。鉄鬼は車内から逃げ出す乗客を先に撃ち、鉄道員や救助隊を無視した。

乗客を救わない無能と明日の新聞で叩かれるといい。この記録を塗り替えさせてなどやらない。

だから必要以上に殺ってはいけない。苦痛を残せ。それを伝えろ。それから死ね。飛ぶ。目的が待っている。あのカスを殺す。

少年の胸の内で何かが揺れた。

ルーシー。

君は

辛かったのか。

メモリに刻まれるビットを打ち消して少年が飛んだ。





彼女を犯した標的がいる監獄の壁をからくりが突き破った。

牢獄にいる男の尻の穴に刺した鉄棒を頭まで貫く。

囚人が逃げ出すよう建物を破壊した。全部壊れてしまえ。怒り狂う少年が破壊の果てに空へ飛んだ。




 黒煙と白煙を交えた蒸気都市の空気を引き裂いた少年が、紙切れを燃やし新たなリストを開く。


『No.12 ルーシー・ハミルトン

       死骸を月の海に捨てろ』


 その文面を目にした機械の心から装甲が剥がれ落ちる。


『LR反転。実行プログラムを開始します』


『焼夷弾、解除』


『爆撃許可、解除』


『全武装解除』


『推進出力:解除』


『シールド:解除』


『全防御出力解除』


 肢体が、飛んだ。








 ハミルトン邸の前に陣取った警官隊のうち、中年の男がぼやく。

「みんな張り切ってるねぇ。どうせ捕まえられねぇんだから適当にやりゃいいのに」

「先輩、そんなこと言ってるとまた上官にどやされますよ」

「今回ばかりは関係ねぇなぁー。お前も死にたくなきゃ市民の皆様に頑張ってるアピールだけしとけ」

「ただの空飛ぶ人形でしょう? それとも噂を信じてるんですか?」

 後輩にそう告げられた警官が頬の傷跡を掻きながら言う。

「噂だったら俺ももう少しやる気出すねぇ」

「何か根拠が?」

「見ちまったんだよ」

 お互い出世はしなさそうだなぁ、とダルそうな目で男が答える。

「アレが機関車をぶっ壊してるところをさ」

 会話を打ち切る轟音が響く。音速を越えた物体が晴天の太陽を切り裂き屋敷に突っ込んだ。




「ルーシー!!ルーシー!!!!」

 身につけている装備を巻き散らしながら少年が邸内を走る。椅子に座る漆黒の服を着た少女。その生命の在り処を確認したるぅがルーシーを抱えて飛び立った。


 屋根を突き破り、事切れた少女を抱いて少年が飛ぶ。

 明けの空を閃光のように舞い、白い月を目指す二人。

 貧民街で天を見上げる赤眼の男がその姿を眺めていた。



 大気圏を抜け宙をゆく。

 二人、二人だけの時間だった。





月の海に着く頃、カラクリは意味を失い果てていた。



そして最後の指令を開ける。



『No.13 るぅ

      ルーシー・ハミルトンと添い遂げること』

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