8.レオポルド国王、やらかす
「ああっ!この国はもう終わりだ」
文官の一人が叫ぶ。
他の者達も叫びこそしないが、皆血の気の引いた顔をしている。
「父上。我々はスピニーヤ王国と停戦協定を結んでいて、その期限が切れるまで後三年あります。……しかし、フィリス嬢が向こうに渡った今、その協定を律義に守るとは思えません」
心配そうな顔を向けて来るリチャードに、国王は絶望しきった顔で答える。
「もし協定を守るなら、それはよっぽどの無能王だ」
この国、ファルターニア王国と隣国のスピニーヤ王国は、大河周辺の穀倉地帯や金銀鉱山の奪い合いで、何千年もの間、戦争を続けている。
特に穀倉地帯は両国の人口増加に伴い、その奪い合いは年々熾烈さを増していた。
だが、数千年間も絶え間なく戦争をしていた訳ではない。
数年間戦争を続けると兵士の数も減るし、国内の発展も妨げられる。
その為、ある程度戦争が続いた後は、停戦協定を結んで十年ほど戦いを休むのが昔からの慣例となっていた。
その停戦協定の際、形だけの友好の証として、互いに貴族の娘を差し出して相手国の貴族に嫁がせていた。だから、フィリスのように母親が隣国生まれと言う貴族もいる。
だからといって、その嫁が懸け橋となって両国の仲が良くなると言う事は無い。先ほど述べたように、両国間にあるのは憎しみではなく、切羽詰まった食料問題なのだ。
「フィリス嬢も王国に良い印象を持っていないでしょう。これは急いで戦争に備える必要があります」
そのように進言する将軍に、国王は質問する。
「スピニーヤがフィリス嬢を前線に引っ張り出したとして、我が国はどのくらいの準備が必要だ?その……彼女の暗殺も視野に入れて」
だが、その質問に対して将軍は黙り込んでしまった。
国王は暫らく待ったが、返事が返って来る様子が無かったため、今度は宮廷魔術師達に顔を向けた。
「む、無理です。王都中のありとあらゆる建物内の人間を感知してシールドを張るような人物ですよ?広範囲にサーチを掛けて、害意を向けて来る者を全員殺す事だって可能です」
絶望的だった。
国王は、このような事態を招いたアルベルトと学院長を本気で処刑したくなった。まあ、今となっては全く意味が無いが。
「万策尽きたか……」
そう言って項垂れる国王に、誰も声を掛ける事が出来なかった。
永くて重い沈黙が流れた。
その場の全員がその沈黙に必死に耐えていたが、不意に国王が顔を上げた。
「まだだ。まだ、やれる事はある」
そう言うと、全員に解散を言い渡し、国王は足早に食堂を後にした。
『そうか。良く教えてくれた』
「では、情報料はいつものルートで届けてくだぜえ」
『ああ、こちらでも裏を取り、信憑性があると判断したら支払ってやる』
「へへっ。有難う、ごぜえやす」
『しかし、いったいお前は何者なんだ?一年近く音沙汰が無かったかと思えば、このような重要機密を持ってきたり』
「それは秘密ですぜ。何しろ、こちとらかなり危ない橋を渡っているんでね」
『ふむ……まあ良い。こっちとしては、お前が何者だろうが有益な情報を持って来てくれれば、それで良い』
「おっと、誰かが近付いて来てるんで、これで通話を終了しやす」
『分かった。また面白い話があれば教えてくれ。高値で買い取るぞ』
通信用魔法陣に供給していた魔力を切ると、今までヘラヘラと笑っていた男が顔を引き締め、背筋を伸ばした。
「今ので宜しかったでしょうか。国王様」
「ああ、上出来だ」
ルイン七世は満足顔で、この国の諜報部隊のまとめ役を労った。
二十日後……
「国王様。召喚命令に従い、孫娘のフィリスを連れてきました」
スピニーヤ王国の王城。
謁見の間でアルフォンソ・モラ・アラゴンが、国王レオポルド・デ・グランデ十九世の前で片膝をついて頭を下げる。
その白髪混じりの男は、普段から鍛えているのか、その体躯は年を感じさせないガッシリとしたものだった。
服装も、軍服を思わせる純白のもので、エレガントでありながら、彼の体つきにとても似合っていた。
「フィリスと申します。訳あって、今は家名がありません。以後お見知りおきを」
フィリスの方は、カーテシーで挨拶をする。
その仕草はとても上品で、その優雅な動きに全員が思わず見惚れてしまうほどだった。
パーティー会場ではないので、それほど派手なドレスでは無いが、彼女の衣装は淡い青をベースにした上品なもので、絹のような彼女の金髪も相まって、彼女の魅力を十二分に引き立たせていた。
「うむ。よくぞ参った」
逆に、玉座に座るレオポルド王は、デップリと太っていて、脂ぎった顔をしていた。
彼の趣味なのか、身にまとっている衣装は、高級な素材が使われている事は分かるが、下品なくらい宝石が付けられていて、エレガントさは微塵にも感じられなかった。
「ふむ……」
国王はフィリスの身体を舐め回すように凝視し、彼女の胸のところで視線を固定した。
彼女も、殿方からその様に見られる事は慣れている。
だが、彼女の回りは貴族ばかりだったため、精々チラ見する程度だった。
だから、ギラギラした目で胸を凝視してきた国王に、彼女は両腕で胸を隠したい衝動に駆られたが、懸命に耐えた。
「報告のあった通り、とても美人だな。そしてとても大きなオッパイを持っておる」
フィリスは貴族令嬢らしい社交的な笑顔を崩さず、しかしその片眉は不快そうにピクリと動いた。
そして、その場の全員がとても気まずそうな顔をする。
「良し、決めた。お前を俺の四十八番目の王妃にしてやろう。光栄に思え」
下卑た笑みを浮かべてそう言う国王に、フィリスの笑顔が張り付いた。
早くもファルターニア王国の二の舞になりそうな予感。