20話
ソロだ。ソード君は祭壇作り、巴君は職業を習得するためにそれぞれ活動するらしい。改めて言おう。ソロだ。
ソード君と巴君の二人と行動を共にするようになってから少ししか経っていないというのに、久しぶりのソロのように感じられる。
戦力的には大きなマイナスだ。俺一人ではコボルト士族の長を倒すなんてとてつもない苦行だ。あの感動は、やはり三人いてこそのものだった。
では一人ではどうか。
行ける場所が格段と増える。寄り道脇道、なんでもありだ。自分のことだけを考えていればいい。どれだけ楽をしてもいい。どれだけでも苦労してもいい。世界が自分を中心に回っているとさえ言っても良いかもしれない。
ソロはいいぞ。
うきうきでやってきたのは海岸の洞窟。ソード君と巴君には面倒だからやめておけと圧をかけた場所だ。
実のところ、この場所にきた目的は特にない。体験版βから変更点があるかの確認と、少しばかりマップを埋めるくらいの用事程度だ。ソロだとこういう適当な散策も気楽にできてしまう。そう、ソロならね。
フィールドが"海岸の洞窟"の名前に切り替わり、細い道を歩いていく。海岸の洞窟の序盤に敵は出てこない。通路側を流れる海の中にはいるが、それだけで急に陸に飛び出してくるようなことはない。
序盤は塩、海藻、丸石などの採取が出来るだけで、目ぼしいものはない。問題は開けた空間になる中盤だ。
中盤では大型犬くらいのでかいカニが歩いている。こいつが所謂、序盤の壁といわれるモンスターだ。ゲームの始め、金属鎧をしている職業はその硬さに自信を持っていられる。盾も持っていればコボルトなどの敵には常に優位をもって戦えるだろう。
そこに立ちはだかるのがこのカニ、"ハンマークラブ"だ。なんといってもこいつはゴーレムのように硬く、ゴーレムにあった股下の安置などはない。さらに鋏を掲げて振り下ろすだけの一撃が、盾を容易に破壊してくる馬鹿げた破壊力だった。
つまりプレイヤーを認識したこの気の狂ったカニは横歩きで近づいてきながら鋏を持ち上げ、範囲に入ったら振り下ろすだけの機械である。飛び道具を放っても、基本的には横向きのカニの足とか腕の甲殻にしか当たらないために大したダメージにはならない。
その単調さから凡ゆるプレイヤーが一度は舐めてかかり、多くのパーティーからタンクを窓際に追い込んだ特に意味もなく強いカニ。それがハンマークラブだ。
基本的に倒し方は攻撃を避けた後に目玉とか正面の腹を攻撃することになるのだが、それでも普通に硬い。しかもこのカニはデカい上に小回りも利くために隙が大きそうで実は小さいというクソ要素も持ち合わせている。
そんなハンマークラブの弱点は打撃属性と雷属性となっている。弱点の攻略情報だけを見てよくありがちなのが、殴打が弱点ならハンマーとかメイスを持って戦えば勝てると意気込むことなのだが、よく考えてみて欲しい。かたやカニからの攻撃は全て致命傷、かたやこちらの攻撃は複数回必要になってくることを。
当然のことながら難易度は高く、そのためにこのカニは回避盾と言われるような職業への登竜門の一つになっていた。いつの間にかプレイヤーを指導してくれる存在として認知され、今ではカニ先生とさえ呼ばれている。それが謎の強さのために謎の人気を獲得したこの気の狂ったカニである。
シャーマンは弱くはあるが全ての属性を扱えるため、やることはシンプルに電撃の引き撃ちだ。
「精霊よ。我が指先に集まり給え」
炎は掌から出るイメージだが、電撃は指先から出るイメージをしている。これは単純に自分自身の先入観でしかない。具体的には『電撃ってものはなんか鋭くて速くて、ばりばりって敵をびりびりするものだろう』と思っている。
「彼のモノを痺れさせ給え」
先制攻撃が決まり、こちらに気づいたカニが決して遅くない速度でわしゃわしゃと上段の構えをした上で近づいてくる。
「精霊よ。我が指先に集まり給え」
あとは倒すまで同じことをするだけだ。コボルトの時みたいに外す不安はない。あるのは何発で倒せるだろうかという作業感だ。
カニが腕を振り下ろしてきた瞬間に避ける。このカニはいやらしいことに、一度止まってから振り下ろすのではなく、歩幅を調整して自然と振り下ろしてくる。重要なのは間合いの管理とタイミングだ。
『ごっ!』と鈍い音を立てて洞窟の地面が砕かれる。
「精霊よ。彼のモノを痺れさせ給え」
正面から電撃を浴びせる。
正面に立った俺に再度横向きになり、鋭利な鋏と巌のような甲殻の腕が振り上げられるのを回避する。
HPバーを見てみると、およそ4回ほどで勝てる見込みだった。相変わらず火力が低い。本職の魔法使いの『サンダーボルト』などであれば2回で倒せているだろう。
「精霊よ。我が指先に集まり給え」
精霊に呼びかける。小さな回避のため、常にカニの間合いではある。カニは少し回避した俺に少し近づき腕を振り下ろす。俺はまた少し回避する。
「精霊よ。彼のモノを痺れさせ給え」
本格的に距離をとろうと走り出すと精霊への呼びかけもままならず、時間がかかり、なにより疲れてしまう。疲れてしまうと精霊への呼びかけもおざなりになってしまう。安全マージンを取ろうとした結果、最悪の結果に繋がる可能性もあるわけだ。
大事なのはテンポだ。この気の狂ったカニは、全く調子が狂わない。単調な機械のような接近からの振り下ろしのテンポに合わせることがなにより重要になる。
特に断末魔を残すわけでもなく、カニは消えていく。ドロップしたのは"ハンマークラブの甲殻""ハンマークラブの鋏"と通常ドロップばかりだった。レアドロップになると"カニ合金"というあまりにも硬すぎるがために合金とすら言われるようになった甲殻が落ちる。
カニ合金シリーズは初心者脱退装備といっても過言ではない。金属ほど重くはなく、見た目の色も赤と白が織り込まれた艶のないやや赤く錆びた真鍮のようで悪くない。レアドロップなので値段が張るという問題があるがそこそこ人気な装備だ。
今回は手に入らなくて残念だったが、俺も手甲くらいは欲しかった。
この中盤、通称カニ部屋を抜けると次は大広間になる。満潮時やイベントの時だけ現れるボスの部屋で、今の俺が部屋に入ったからといって何もない空間が広がっているだけのはずだ。
という予想は外れ、そこにはカニ合金の甲冑を身に纏ったプレイヤーが座禅をしていた。あぐらをかき、なにやら瞑想しているらしい横には野太刀よりも大きい斬馬刀が置かれていた。
威圧感は見事なものだが、甲冑にしては小さい。おそらく体格は小柄だと思われる。
それはまさにカニの免許皆伝を会得したかのような出立ちであり、全身装備が作れるくらいカニ部屋に篭っていたんだと思うとちょっぴり引いた。
おそらくオープンβが始まって直ぐにカニ部屋に篭ってるくらいのプレイヤーだ。面構えを見るのが怖かった俺は、静かに大広間を後にしようとした。
「もし! そのお方!」
はきはきとした少女の声だった。巴君と同年代だろうか。剣道部の大学生がゲームで武士をしていると考えるとなるほど、納得がいく。しかもロールプレイの一環なのか喋り方すら古風なのはゲームを楽しんでいそうでなによりだ。
「なんでしょうか? 瞑想の邪魔をしたなら失礼しました」
実年齢がわからない以上、敬語は必須である。振り向くと、相手もまた立ち上がっていた。
「こちらは恵比寿と申す! 我が師、カニとの鍛錬を確かめるべく、一手お立ち合い願いたい所存!」
PvPのお誘いだった。なんというかまあ、そんな気はしていたが、そっかあという感じだった。
カニを本当に師匠って呼んでる人が目の前にいるというのは中々鮮烈な体験だった。
「俺は森の民っていいますけど、俺は強くないですよ?」
「なればこそ! お恥ずかしながら、こちらは鍛錬に身を費やしただけの新米に御座候!」
「そうですか。じゃあわかりました。お手柔らかにお願いします」
「おお! 感謝致す!」
PvPのシステムメッセージを承諾する。これで死んでもデス扱いにならないフィールドに切り替えられた。
「では尋常に──勝負!!」
「こっ、これは……!」
恵比寿は斬馬刀を上段に構え、ただ真っ直ぐ走ってくる。これはまさにハンマークラブの動き。そのリーチはハンマークラブよりも長く、それでいて破壊力は遜色ないものであろうことが窺えた。
「精霊よ──!」
「ちぇぇぇすとおおお!!」
振り下ろされた重厚な刃が、轟音と風圧をともなって地面を抉った。
「おおおおお!!」
「切り返した?!」
振り下ろしから切り返しまでのラグは回避する時間があるもので、回避に徹すれば難しくはない。気にかかるのは、その全てが一撃必殺だということ。
「おおおおお!!」
切り返して振り上げた刃をまた上段から振り下ろす三手目。力の反動を上手く活用していて、二撃目より鋭く速い。とはいえ、止まらない連撃のぶん踏み込みが足りていない。さらに後ろに下がる。
ここまで離れるといかに斬馬刀といえども間合いの外だ。ここからどうくるか。
「ちぇぇすとおおお!!」
答えはわかりきっていた。そう、全く同じだ。彼女はハンマークラブを師匠として成長した一方で、身も心もハンマークラブになってしまったのかもしれない。
そして俺がとる行動も全く同じだ。回避に徹するだけである。全身甲冑に身を包んだ相手にダメージを通そうなどというのはかなり危険な行いだ。
「おおおおお!!」
この連撃は舞いというにはあまりにも単調であり、暴力的過ぎであった。最早暴風の化身だ。
だが、このままでは俺が勝つ。体力勝負となればもう目に見えた勝負だ。彼女が俺に勝とうとするならば、ハンマークラブに支配された脳を塗り替えなければならない。
例えば握りを変えてリーチを長くする、あるいは大振りをやめたり、タックルなどの体術を使うなどするか。この状況を打開する方法は山ほどある。
俺は彼女がどこでそれをしてくるかを見極めなければならない。見誤れば、掠るだけでも敗北をきっすることとなるだろう。なにも大振りでなくてもいい。俺を倒すのなら小技で充分なのだから。
そしてまさに驚嘆に値することに、彼女は最後までそれをしなかった。
彼女の誇りはハンマークラブであることを貫いたのだ。




