1話
チュートリアルはスキップする。Spirit Over the World MMO体験版βプレイ特典として以前のキャラクターエディットとアイテムを幾つか引き継ぐ。
キャラクターネームは『森の民』。SOTW(Spirit Over the World)では同じ名前を使用できないため、森の民は俺だけということになる。プレイヤー人数は1000人。未だ正規リリースはされていないため、プレイヤーは少ないしサーバーは一つしかない。
ただ、アクティブであることを条件とされているため同接人数はさほど少なくないだろう。このゲームのプレイヤーはテスターでありデバッカー、ちょっとしたアルバイトの集まりだからだ。
まぁ、あんまり虱潰しにバグを探すのもめんどくさいからやらないけどな。向いていないことは他の人に任せるが吉。起動してからおよそ5分も経っていないだろう速さでキャラクター作成画面を完了し、フィールドへと旅立つボタンを押す。さあ、オープン版βの始まりだ。
目の前の光景が変わると、そこにはそよ風が背の低い草木を撫でるフィールドが広がっていた。体験版βの時と同じ平原のように思われる。それなら危険度は極めて低いだろう。
俺の職業はシャーマンだ。設定では精霊の力を借りて魔力(MP)と信仰(FAI)を捧げ、術を行使する部族とされている。シャーマンは主に器用(DEX)と信仰(FAI)に秀でているが、教養(EDU)に乏しい。知力(INT)は並。教養が低いと、その職業以外のスキルを覚えることが不得意だ。
そして重要なのが、SOTWでは職業のレベル以外の明確な数値は見ることはできないという点。つまり自分の魔力量などを体感で覚え、これくらいを消費してこれくらいの効果を生み出そう、という操作難易度の高いスキル操作になっている。
そのかわり使いこなせばとても自由度が高く、融通や応用がきくのがこのゲームの奥深くて面白いところだ。
例えば、目の前にいるスライムで試してみよう。
「精霊よ」
シャーマンの基本中の基本。精霊への『呼びかけ』だ。シャーマンはスキルの行使のために第一として精霊に耳を傾けてもらわないといけない。これには信仰を使用する。魔力とは違って消費はしない。かといって知力みたいな安定性もない。信仰はボードゲームで6面ダイスを振り、どれだけの成功をするかの判定ロールみたいなものだ。
「彼の青き者を熱する火を与え給え」
精霊はスライムのことをスライムとは呼ばないらしく、「スライムを焼け」と願っても言うことを聞いてくれない。
スライムへと指差していた俺の人差し指に小さな火が灯り、スライムへと飛んでいく。擬音にしたら『ひゅ〜』とか『すぃ〜』だろう。めちゃくちゃ弱い小さな火だ。
それでもスライムは火が弱点だ。飛んできた火の粉を体で受け止めたスライムはじゅっ、と体に小さな穴を作って溶けるように消えた。
俺の勝ちだ。
とりあえずは体験版βと同じ感覚でできて一安心といったところか。よし、戦い方が変わらないことを確かめた次にするのは拠点作りだ。シャーマンは自然と共に暮らす教養のない部族だからな。嫌がらせというか、忠実というか。文明的な街に近づくとシャーマンの精霊スキルは弱体化していく。その雑魚ぷりといえばさっきやった火の粉すら飛ばせなくなるのだからもうよわよわのよわだ。
しかし俺は誇り高きシャーマン。名を森の民。さすらいのコミュニケーション苦手侍にてこのSOTWに馳せ参じた次第にござる。
つまりは、そう。シャーマンなんて癖のある職業を選んだのは、プレイヤーがたくさんいそうな街に近づかなくていい理由作りのためだった。
「はぁ……」
こんなんでいいのかな、俺。思わず溜め息が漏れた。でも体験版βを経験した上で決めた方針だ。今から揺らぐわけでもないし、小遣い稼ぎが出来るVRMMOがしたいんだから仕方ないじゃん。
地面に落ちている枝や石を拾い集めながら、拠点作りに良さそうな場所を探す。できればこの難易度の低いフィールドから難易度が上がるフィールドの境界線を探したい。
入手可能なアイテムも幅広くなるし、一つの拠点を中心にしてフィールドワークができるはずだ。
◇◇
記憶を頼りに歩くことしばらくして、二足歩行の人型の獣を見つけた。コボルトだ。武器や防具を持っているようには見えない。体験版βで倒したことがある。ファーストアタックをとれる今がチャンス。
「精霊よ。我が掌に集まり給え」
俺の掌を中心に、きらきらとした何かが集まってくる。これが精霊なのだろう。小さなきらきらが舞うように集まり、燐光の帯を湛える様子はとても綺麗だ。ふつくしい……。自分の信仰の高まりを感じたところで、精霊に願いを聞いてもらう。
「彼のヒトガタを焦がす炎を与え給え」
掌にあった光の球体は炎の球となり、バスケットボールより少し小さいほどに拡大した。
「当たれ!」
そしてコボルトに向かってぶん投げる。だからシャーマンには器用さ(DEX)が必要だったんですね。
精霊に何度もお願いし、聞いてもらった甲斐があったのか外れる気配はない。擬音にすると『ヒューン!』だろう。見事に火球はコボルトに命中した。
「ギャァッ!」
コボルトが弾かれたように吹き飛ぶ。年老いた犬を邪悪にしたような濁った甲高い悲鳴をあげ、コボルトは光になって消えた。
「上手くいったな……」
今のは俺が出せる最大火力に近い威力での奇襲だったのだから、倒されてくれないと困る。コボルトより強い敵が湧いたら困るし、この辺りに拠点を作ることにしよう。
細い木がまばらに生えているだけの見晴らしの良い平原。集めた石や枝などを置き、「精霊よ」と呼びかける。
「我にこの地の恩恵を齎し給え」
シャーマンの拠点に必要なのはこの祈りを捧げた素材だ。石で円を作り、円の中心に木の枝を立てる。この拠点はセーブポイントにもなるが、一番重要なのはシャーマンの能力を向上させる祭壇であることだ。
シャーマン自体の腕力や耐久、素早さ、術の威力などは他の専門職に比べると低い。何故ならシャーマンというのはあらゆる状況下において強さが変わる職業だからだ。
もっとわかりやすくいえば、シャーマンの強さはいかに精霊に願いを聞き届けてもらえるかに依存するため、拠点の近くなら術の効力は格段と高まる。
ただ石を撒いて枝を突き立てただけの見窄らしいこんな拠点でも、シャーマンにとってはとても大事なことだ。暫くはこの拠点を発展させつつ、周辺のフィールドワークが主になるだろう。一つの場所に腰を据えてプレイするのが好きな俺にはとても向いている。
ゆくゆくは立派な社を建てたいものだ。
小屋を建てるのが一つの目標だろうか。体験版βでは上手く作れなかった……。うん、まぁ気長にやっていこう。体験版βで痛感したことは俺の建築センスは拠点より祭壇に寄っているらしいということだった。
「この地の恵みに祈りを捧げん」
さっき倒したコボルトの毛皮を敷き、その上に片膝をつく。そして記念すべき拠点への1回目の祈りを捧げる。これがシャーマンライフの始まりと言っても過言ではない。
とりあえず最初にしておきたかったことを終え、ゲーム内の掲示板を眺めることにした。シャーマンみたいな特殊な職業は、はっきりいって別ゲーだ。プレイヤー同士でパーティーを組んで各エリアを攻略していくような遊び方には全く向いてない。シャーマンの強さを引き出すならば自然とソロになるのは間違いない。
先ずシャーマンの掲示板を見てみる。まぁどうせ、シャーマンなんていう偏屈な職業を選んでいるような奇特なプレイヤーの集まりの掲示板なんかにレスは一つもついていないだろうが……。
◇◇
1:名無しのシャーマン
なにもわからない
ぼすけて
2:名無しのシャーマン
>>1 チュートリアルしろ定期
3:名無しのシャーマン
やれやれ……これだから最近の若者は
4:名無しのシャーマン
>>2 >>3 チュートリアルはしたんだよ!
けど拠点を作って後は祈りましょうとか木彫りをしようとか武器を作ろうとか俺はシャーマンの生き方を体験しにきたわけじゃねえんだよ!
マジでシャーマンってこんな職業なの?!
5:名無しのシャーマン
>>4 そうだが?
6:名無しのシャーマン
>>4 シャーマンをナメるなよ?
7:名無しのシャーマン
ええぇぇ……
8:名無しのシャーマン
>>7 気持ちはわかる
今からキャラクター作り直しても間に合うしそう落ち込むなよ
9:名無しのシャーマン
>>7 情弱乙ww
10:名無しのシャーマン
おお精霊よ。彼の哀れな魂に救いを与え給え──
アディオス!
◇◇
どうやらオープン版βから入ったばかりらしいこの新規テスター君は体験版βでの情報などを何も調べずにシャーマンなんて職業を選んでしまったらしい。
それにしても『情弱乙ww』は率直に酷すぎてつい笑ってしまったが、大体はそんな流れでスレは続いていた。これだともう彼がシャーマンをやめるのは時間の問題だろう。
それ自体は珍しいことでもないがなんとも居た堪れない気持ちになり、思わず掲示板を閉じてしまった。