熊まで遠そうだな
翌日、俺の刑務作業は変更になった。今までは布製品を扱う仕事だったのだが、これからは家具の制作。布から木になったのだ。家具制作のグループには一ノ瀬さんがいた。
「お前、何で急に作業変わったの? 飽きたとか?」
真実を話すかどうか、いったん迷ったが、すぐに止めた。あの日所長に頼まれた内容は、口外してはならないと約束したのだ。そうしないと約束そのものを無かった事にされてしまう。
「そうですね、そんなところです」
なので、適当に相槌を打った。
本当は違う。所長が俺と五十嵐のグループを意図的に同じにしたのだ、近づき易いように。
その日は、五十嵐の観察だけでおわった。特に怪しい動きはしていない。
ただ一ノ瀬さんは、こちらが所長から面倒ごとを頼まれているというのに、人の気も知らずに自らの趣味を見つけていた。ザリザリだとか、ガリガリだとか、とにかく何かを研磨する音がずっとなっている。家具制作の際に木の端材を持ち帰り、何かを作っているのだ。木屑が房の中で広がらないようにトイレで便器の中に落としながら作業をしているのだが、しかし音は外に響いてしまっている。
「…何作ってるんですか?」
流石に音が気になりすぎるので、声をかけた。すると、「よくぞ聞いてくれた」みたいな明るい顔をして木片から目線を外した。独り言を呟いて向こうから話しかけてくるのを待っていたあのめんどくさい上司を思い出す。
「これな、実はヤスリで削って熊作ろうと思ってんだ」
なるほど。確かに刑務所の中がヒマということで創作活動に凝り出す人間はかなり多いと聞く。それでも、これはおかしい。大概の人は絵とか文学なのだが、この人は彫刻。鉋を使って作るのが普通で、細部をヤスリで仕上げるのはわかる。しかしこの人は、凶器になりうるとして鉋を持ち込めないので、だいぶ序盤から…というか全工程でヤスリでやろうとしている。
「ほら、ちょっと形が見えてきただろ?」
俺が見る限りは、手のひらより大きいぐらいの、ツルツルした木片だ。熊までは長そうである。
一ノ瀬さんは毎日のように持ち歩いていた。作業場にも食事にも、外に出ておきながら体も動かさず手を加えていた。下手に時間を注ぎすぎているので、止めどころがわからなくなっているのかもしれない。それに、一度触ろうとしたら割としっかり怒られた。そんなに大事なら房しまっておいた方が良いのではと伝えたのだが、「お前はわかってねーな。本当に大事なものは肩身離さず置いておくもんなんだよ」とのことだった。
俺が見る限りは、角が少し丸まった木片だ。熊までは長そうである。