それもうバケモノの「ありがとう」になってるわ。②
「こいつ本当はバカなんだけど、刑務所に入ってから弁護士なるとか言って勉強始めたから法律と混じって日本語無茶苦茶になったんだよ」
そんな訳あるかい。俄には信じがたい。勉強しすぎて条文みたいな喋り方になってるということなのか?
「いや、いくら何でもねぇ…。あれだ、ちょっとふざけて、そんな感じで喋ってるだけだろ?」
「前項の発言は別に発言を定める期間において施行するため必要があると認めた結果ではなく自由意志に準ずるものとする」
「『わざとじゃない』って言ってる」
「いやいやいやいや」
「そう思うのはわかるけど、現にこうして手紙が書けなくて困ってるんだぜ? それにこいつは外に親っていう確実なコネクションがあるんだ」
「甲が乙に対し契約締結における完遂の措置をとった場合事前に定められた規定に基づいて甘味を主とする味覚への刺激をするに充分な要件を満たした報酬を与えるものとする」
「『やってくれたら菓子折りを用意する』と言ってる」
「………まず、よく分かるなお前」
確かに、こんな悪ふざけのためだけに手間をかけて対価を用意するとも思えない。だとすれば、ちゃんと困っている、というワケか。確かに外部からの危険物や武器になりうるもの以外の差し入れは、正当な手続きを踏んで刑務所内に持ち込めると聞く。その中でも本やお菓子は定番であり、当然武器になり得る訳が無い。
「わかった、たかだか代筆だろ。それぐらいならちゃっちゃとやるよ」
森山は、俺の言葉を赤西に耳打ちした。そして、それを聞いて俺に明るい顔を見せた。
「以降の発言における「謝辞」とは先の契約締結における完遂の措置を講ずるように努めると規定した事に対するものをいう」
「今『ありがとう』って言った」
「めんどくせぇなこいつ」
なんで日本語どうしで通訳必要なんだよ。てゆーか、こっちから赤西に話す時は通訳いらなくないか。
翌日の作業中は手紙の内容に頭を巡らせた。最近はミシンの扱いにも慣れてきたので手の動きと頭の動きを切り離せるようになってきた。
それにしても、いかにもそれっぽい内容を考えるのは簡単だった。大学時代のレポート課題で、いろんなサイトから適当に引っ張ってきて一緒くたに話を組み合わせていたのを思い出す。流れとしては、季節の挨拶みたいなやつから入って、相手の心境を慮り、こっちの現状を伝え、心境の変化を説明し、謝罪と反省の気持ちを表し、そしてこれからどうしていくかを話す、こんな所でいいだろう。書き出しでの両親の呼び方を『拝啓 お父上、お母上』とか『拝啓 お父様、お母様』とか色々考えたが、赤西の年齢や親子の関係性を察するに、お父さんお母さん呼びで問題ないはずだ。あとはそれっぽく、難しい熟語は使わないように配慮すれば、それで大丈夫だ。筆跡で別人とバレるかもしれないだろうし、書き起こしたら内容を赤西に渡して、自分で用意した紙に丸写しして貰えばそれで終わりだ。
『拝啓 お父さん、お母さん。朝晩はまだ寒さが残っていますが、お元気にお過ごしでしょうか。また、ずっとお手紙を出せずにいて申し訳ありませんでした。
お母さんがいつも面会に来てくれたり、お父さんが差し入れを贈ってくれたりしていたのに、僕はいつもそれを当たり前の事だと思っていました。しかし、最近になってその考えが誤っていると気づけました。刑務所内での作業で少しでも社会の役に立ったり、勉強して知らない事を知るにつれて、お父さんお母さんの大変さがわかりました。………』
相部屋の机で、その日の夜のうちにそそくさと内容を書き終えた。一人は筋トレをしているし、一人は読書をして、一人は既に寝ている。相部屋では集中して作業できない場合が多いなんて話も聞くが、どうやらウチの部屋は例外だったらしい。ただし残りの一人は…自分の手紙をじっと見ていた。一ノ瀬さんである。声をかけてきたり、内容に文句をつけたり、邪魔してきたりなんて事はなかったが、おかげで集中するまでに時間を要してしまった。まぁ、この房に限っては書き物をしている人間が珍しいので、興味を持つのも分かる。
「それ、手紙?」
誤字脱字が無いかを読み直していると、一ノ瀬さんが遂に質問してきた。
「そうです」
「両親とか、奥さんとか?」
「いえいえ、自分はそんなわざわざ手紙を出す相手はいませんよ。実は刑務作業が一緒のやつに代筆を頼まれまして」
ことのあらましを説明した。
そして一ノ瀬さんが、それを全て聞いた後に、言った。そこに意図があったのかどうかは分からない。本当に、単にそう感じたからそう言ったのかもしれないし、何か真意があったのかも分からない。嫌味や皮肉のつもりだったとも思えるし、案外そうでなかったのかもしれない。
しかし、それでも今の自分に欠けていたものを、言葉にしてくれた。
「へー、土屋があることないこと全部自分で書いちゃうんだ」
「いやいや、そんな人ぎきの悪い。別に話を作りたくて作ってる訳、じゃ…」
そこで俺は気付いた。俺は事実、赤西の手紙であることないことを書いてしまっている。何が代筆だ。そもそも、ここで俺が書いたそれっぽい反省の内容はちゃんと両親に伝わるのか。言葉にしたところで勝手な解釈される場合もあるというのに。
この頼みに対して俺がやるべきなのは、代筆ではない。これに気付いた。
明くる日の昼食時、俺は赤西と森山を集めた。
「なあ、俺が全部内容考えてしまうのはおかしくないか」
赤西は、黙りこくっていた。
「赤西が反省したから手紙を出そうとしてるってのは分かる。でも、その言葉は赤西がつむぎ出してこそだろ。赤西が、赤西自身で思った言葉を両親に伝えないと意味が無い。俺が御礼をもらえるからって、勝手にその言葉を俺が考えるのは出来ないよ」
森山は「まぁ、確かに」みたいな表情を浮かべていた。…今思うと、赤西と俺を引き合わせたのは、こいつもその礼を受け取る約束をしていたのかもしれない。だからあんなにさっさと話を取りまとめようとしていたとも考えらえる。後で問い詰めよう。
「ま、確かにそうだな。いくら文章苦手だからって、土屋に全部頼むのは違うな」
森山は、赤西の肩に手をおいた。
「提案者を甲とし、被提案者を乙として元来の目的達成の手段を誤りと認識した場合、その時点で当初の契約は効力を失うものとし、甲の提案の成就に努めるべきである」
「今『確かにそうだよなぁ、土屋さんのいう通りだよ。俺の考えが間違ってました…』って言ってた」
「そんな細かいニュアンスまで分かるんだな」
こうして今週の昼食時間は、全て赤西の手紙作りに協力した。
「まず入りは『拝啓』って書いて、『お父さんお母さん、最近の体調はどうですか?』みたいな内容だな」
「………拝啓 手紙の差出人を甲、手紙の受取人を乙として、」
「はいストップ!」
まず甲乙を使うのをやめさせないと。
翌週の月曜日、書き終えたので念の為内容を確認した。
特に誤字脱字もなく、条文っぽさもない。何より、俺には書けなかった赤西なりの想いの変化が描かれていた。
「うん、問題ないな」
「先の発言は全て真実ですか?」
多分これは、「本当ですか?」みたいな事を言っている。こっちが慣れたのもあるが、この手紙の指導を通じて、赤西は少し日本語を取り戻していた。
…なんだ『日本語を取り戻す』って。植民地の住民じゃあるまいし。
「あ……う………、ア、アリガト…う、ゴザイまス…」
多分これは、「ありがとうございます」みたいな事を言っている。
ただ、それもうバケモノの「ありがとう」の言い方になってるのよ。