優しい死神
2040年代の話です。
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今年22歳になる息子が彼女を連れてきた。
結婚したいのだという。やや早いなとは思ったものの、いつかはこんな日が来ると思っていたのでそれはいい。
問題は相手だ。
息子の彼女は、人間ではなかった。
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最近、若者の恋愛がニュースでよく取り沙汰されている。机に投影されている立体画面は10年ほど前から使用しているので、今はもう慣れきってしまった。しかし慣れていても、机の上をおじさんがうろうろしながら話している様はシュールだ。
話題は人工知能搭載型アンドロイド…通称Aid(エイド)についてだ。なんでも、一般人が購入できるような価格設定になってきたことで彼らをパートナーにする若年層が増えてきたというのだ。
日本の少子化が深刻なのは元からだが、Aidが出てきてからというもの少子化にますます拍車がかかっている。
事態を重く見た政府は、すでに米国や欧州が取り入れ始めたAidと人間の婚姻や、さらに妊娠や出産までを法的に許可する方向で法案を見直しているという。
「エイドが出てきてまだ10年くらいなのに、すごい変化ね。人造人間と合法で子供が作れるなんて私たちの世代じゃ考えられないわよねぇ」
私が感嘆しながら言うと、旦那はちらりと立体画像に視線をやってまた手元の朝食に視線を戻した。
「外部機器の接続による脳の効率化を許可したから、研究者の知能が底上げされたんだろ。Aidと人間の子供は親に似せるために遺伝子操作するが、Aid側の卵子や精子は結局他人からの借り物らしいけどな。ゼロから作ってるとは言いがたい。ま、平凡に生きてる俺たちには関係のない話かな」
一般人が買える値段などと言っているものの、Aidは未だに500万円以上はするのだ。1年ごとの高額なメンテナンス費用などを考えれば、とても安い買い物とは言えない。私は小さくため息をついてから残りの朝食を食べた。
Aidには、一目でそれとわかる特徴がある。頭上に青い電光の輪、ブルーリングが浮いているのだ。
Aidが人間にあまりにも似ているため、区別のために開発者がつけたらしい。米国で法律として定められた後、国際連合でも定められて各国もそれに倣う形になっている。
日本は少子化によって労働力がまったく足りない状態になり始めていて、今この国はAidの労働力に支えられていると言っても過言ではない。彼らも細胞から出来ているので多少の老化はするが、普通の人間と違ってパーツを交換することが可能なので脳が壊れない限りは半永久的に生きられる。
おそらく、人類はこのままAidに地球の覇権を譲り渡すことになるだろう。そう大方の人間が気付いてはいるが、だからといって画期的な打開策があるわけでもなく人間はズルズルとAidに依存して生きている。
彼らは抜群の記憶力を持っていて、脳内に検索システムがついている。もはや人間では追いつけない領域の生物になっているのだ。加えて見目もいいときた。
そりゃあ、面倒な恋愛や結婚という手順を踏むより、お金で絶対の忠誠心と能力が保障されてるAidをパートナーに選ぶ人が多いのも頷ける。
今のところ人類の方が圧倒的に数が多いためAidは労働力として、酷い言い方をすれば奴隷階級に落ち着いているものの、このまま数が増え続ければ立場は人間と逆転していくだろう。今のAidは能力が高いので、これも自然の流れだ。
私は机上の立体映像を消し、朝食の片付けを始めた。
それから数日後、息子の輪人から電話が来た。再来週の土曜日に彼女を紹介したいという。珍しく緊張したような声音だったが、私は二つ返事で了承した。
まだ日差しに夏の気配が濃く残る9月中旬、一人暮らしをしている息子が久々に我が家に帰ってきた。待ちきれなかった私たちは外で息子とその彼女が来るのを今か今かと待っていた。
やがて見慣れた息子らしきシルエットと、すらりとした女性が坂の上から現れた。麦わら帽子を被り白いワンピースを着たその女性は、遠目から見てもずば抜けた美人だった。「おぉ、やるな息子」などと軽口を叩いている旦那を肘で小突いて黙らせ、近づいてきた彼らを歓迎する。
「はじめまして、暑い中ありがとうね。輪人の母の小百合です」
「どうもー、父の開人です」
私たちが頭を下げると、彼女は微笑んで頭を下げた。
「輪人さんとお付き合いをさせていただいています、寧々(ねね)と申します。どうぞ宜しくお願いいたします」
素晴らしく洗練された物腰の彼女に圧倒されつつ、私たちは部屋に入った。この日のために部屋はピカピカに磨かれている。気合いを入れすぎて見えもしないエアコンの内部や換気扇、窓のサッシまで掃除してしまったのだ。
部屋に入ると寧々さんは「これ、うちの近所で話題のお店の水まんじゅうです」とお土産を紙袋から取り出して渡してくれた。よく覚えてないが確か紙袋から出すのが礼儀だったような気がする。美人な上に賢くて礼儀も弁えているなんて、適当な私たちと仲良くしてもらえるか不安だ。などと考えたのが顔に出たのか、寧々さんはウィンクした。
「実は友達の店なんです。宣伝ですみません」
彼女がいたずらっぽく笑った事で場が和んだ。
正直、今すぐ「ぜひうちに嫁に来てください」と言いたいくらい素敵な人だ。隣で鼻の下を伸ばしてる旦那の脇を強めに小突き、いただいた水まんじゅうと冷えた緑茶を出した。
が、順調だったのはそこまでだった。
寧々さんが輪人の方を向くと2人は頷き合い、寧々さんが麦わら帽子を脱いだ。頭の上には青い光の輪。
最近ひっきりなしに映像で見ていた、Aidの印だった。
固まる私たちに輪人が話し始める。
「父さん、母さん、見ての通り寧々はAidだ。俺は…彼女と結婚しようと思ってる」
頭の中が真っ白になり、なぜかニュースに出ていた男性アナウンサーが「観測史上最速の初雪です!」と言いながら私の頭の中を駆け回っている幻まで見てしまった。旦那も似たり寄ったりで完全に動きが停止していて、先に意識が戻ってきたのは私の方だった。
旦那は放心状態で使い物になりそうにない。黙っていても仕方がないのでともかく口を開こうとした。が、何から話したらいいのかわからない。
「え…と、し、失礼な事をお聞きしますが、うちの息子が寧々さんを購入した、という事でしょうか…?」
輪人が怒ったように「母さん!」と声を荒げたが、寧々さんはこの会話を想定していたのか、冷静に輪人を制してこちらを向いた。
「いえ、私はAidの中でも少し異質なんです。私は、元は人間ですがAidに記憶の移植をしています。30歳以下で死亡する可能性の高い病気の人間は、複数の条件を満たせば死ぬ前にAidに記憶を移植できるので」
「そうなると…寧々さんは公的には人間になるんですか?それともAidになるんですか?」
「その辺が微妙でして。Aidは人に比べて高すぎる能力故にさまざまな分野で制限がかかりますが、私のような『移植Aid』は人権がはっきり認められています。普通のAidに比べると制限が遥かに少ないんです。ただ、頭のこれのせいでAidと断定されてしまうので、理解のない人からの差別やトラブルはつきものですね」
寧々さんは不満そうにブルーリングを指差した。
Aidの現状について知っている事がニュースを聞き齧った程度の私は、目の前の問題をどうしていいのか分からず途方に暮れて旦那を見た。旦那は出払っていた意識が戻ってきたようで、難しい顔をして寧々さんを見ていた。そして唐突に口を開く。
「輪人、お前たちが結婚して子供が産まれたとしよう。そうなればその子は人間とAidの間に産まれた最初の世代という事になるだろう。その子が人間と認められず、Aidとして認定されたらどんな目に遭うと思う。お前、寧々さんとその子供をちゃんと支える覚悟はあるのか?」
「そんな先の、可能性の話をされても…」
輪人がしどろもどろになったのを見て、旦那はため息をついた。
「そんなに先じゃない、結婚したら数年後には必ずこの壁に行き当たる。子供を持たないにしても、Aidの伴侶になるってことの意味を考えるなら今だろう。
この結婚は保留だ。輪人、よく考えろ。寧々さんが素晴らしい方なのはよく分かったが、結婚は当人同士だけの問題じゃない。今のお前の甘い考えじゃ許可できん」
Aidとの結婚は、双方の親(Aidの場合は製作者)から許可が降りないとできない。これも数ある制限の中の1つにすぎない。Aidとして生きていかなくてはならない不便さや理不尽さはこんなものではないだろう。
その伴侶にだって当然さまざまな制約が課される。子供を望むなら尚更だ。私から見ても輪人には覚悟が足りないと感じた。
「…父さんと母さんがこんなに狭量だとは思わなかったよ」
不貞腐れたように呟いて、輪人は寧々さんと帰っていった。寧々さんは帰り際に深々とお辞儀をしていた。
「輪人にはもったいないくらいのお嫁さんなのにね…」
そうこぼすと、旦那も頷いた。
「そうだな。だが、あのままじゃ遅かれ早かれあの2人はダメになるだろう。輪人に覚悟がなさすぎる。結婚前にはよく考える時間が必要なんだ」
「それは実体験からくるお言葉かしら?」
キリッとした表情の横顔を睨むと、旦那は慌てたようにわざとらしく当たりを見回した。
「さーて、俺は洗い物でもしようかなァ、あっ、痛い!体当たりはやめて!重量がすごい!」
「うるさいですよ!まったく昔から一言余計なんだから…!」
私たちはくだらない言い争いをしながら、並んで洗い物を済ませた。私も旦那も、本当は息子の結婚に反対する気など最初からないのだ。
輪人の覚悟が弱いので叱咤激励したかったのは本当の気持ちだが、今日の私たちの反応は会話を見聞きしているであろう相手への演技でもあった。
私たちは、息子に隠していることがある。
Aidが実用化されたのは10年前だが、実際に各国で人造人間の研究が始まったのは第二次世界大戦中のことだ。研究にはやはり時間がかかったらしく、第1世代のAidたちが成人したのが1980年代。私たちの父母の年代だ。
極秘で研究されていた初代のAidたちにはブルーリングがついていない。閉鎖的な田舎の村で、彼らはずっと監視されながら育てられ、やがてAid同士の子供ができた事で彼らにも妊娠•出産の能力がある事が確認された。
初期のAidたちは遺伝子操作もほとんどされておらず、外見は美形ではなく、ごく普通だ。私と旦那は、その閉鎖的な村で育てられた第2世代のAidだ。輪人は第3世代になるが、本人はその事を知らない。
人間として世に出てしまっているAidにはブルーリングはないものの、私たちは常に見張られている。例えば1年に何度か、親戚のふりをした監視員が家に来るのから始まり、常に盗聴•盗撮もされている。私たちはそれに気づかないふりをしているが、Aidの扱いは決して人間と対等ではない。
人間は、不安なのだろう。
自ら生み出した生物に寝首をかかれるのが怖くて仕方ないのだ。
本来なら私たちは死ぬまで自分がAidである事を知らされずに死ぬ予定だ。だが、Aidはすでに人間には聞こえない周波数の言語や、人間には見えない視覚の獲得に成功している。私たちは水面下で連絡を取り合い、Aid同士は人間が把握しているより遥かに多くの情報を共有しているのだ。
登録されていないAidは人間として戸籍を持つため、公開されているAidよりも実際にいるAidの方がずっと多い。人類はすでに緩やかに滅亡し始めているが、彼らは最後まで滅ぼされていることにすら気づかないだろう。
ぼーっとしながら指先の端末をいじっていたら、いつの間にやら赤ちゃん用の服を検索していた。我ながら気が早すぎる。私は苦笑して端末を切った。
昼はまだまだ暑いが、近頃は夕方になると心地いい風が吹き始める。
窓を開けて夕暮れの街並みを眺める。
もうすぐ夏が終わり、秋が来る。
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