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第八話 お触りの理由






「何を……言ってる?」


 しばし教室を飲み込んだ沈黙の後で、掠れた声でアレスが呟いた。

 今、この令嬢はなんと言ったか。皇太子に触りまくると言ったか。


「出来もしないことを抜かすな!」

「出来ますよ!」


 出来ないと決めつけられて、やる気に満ちあふれているリートはアレスに食ってかかった。


「私は、誰に止められようと皇太子を触り続ける!!」


 あまりにも堂々としたお触り宣言に、アレスは怯んだ。

 目の前にいるのは特にどうといったことのない平凡な少女だ。小柄で可愛らしい顔をしているので庇護欲をそそるが、その口から出るのはこれまでどんな貪欲な女性ですら避けて通った皇太子を触りまくるという強い意志だ。藍色の瞳には、揺るぎない決意が漲っている。


「馬鹿な……っ、正気なのかっ?」

「もちろんです!」

「触るって……どこを触るつもりだ!?」

「主に手とか肩とか背中とかですかね!?」


「――……嘘を吐くなっ!!」


 アレスとリートのやり取りを、ジェラルドの大声が遮った。


 振り向くと、オスカーの背に隠れていたジェラルドが冷たい目でリートを睨みつけていた。


「俺を、からかっているのかっ……」


 ジェラルドの体から発される強い怒りが周囲の空気を一瞬で飲み込み、教室内で一部始終を見ていた生徒達は青ざめてその場にひざまずいた。

 リートはそれを見て目を瞬いた。


(これが、皇帝となる者の威厳か)


 有無を言わさぬ威圧に、リートですら体が震えそうになった。


 しかし、ここで飲まれてしまえば、ジェラルドの信頼を得て心を開かせるという目標が遠のいてしまう。

 リートはまっすぐにジェラルドに向き合った。


「からかってなどおりません」

「……本気で、俺に触れると思っているのか?とんだ思い上がりだ」


 ジェラルドが口の端を歪めて笑った。


「以前にもいたな。未来の皇妃の座を狙って俺に近づこうとしていたのに、俺の姿を目にした途端に吐いた女が!!」


 それも酷い話だな。


「お前も、ちょっと肩に触れることが出来たぐらいでいい気になるな!お前はまだ俺の真のモテなさを知らないだけだ!!」


 真のモテなさは知らないが、モテなさの原因は知っている。ろくでなしの神だ。


 ちなみに、教室には既に担任教師が入ってきているのだが、一連のやり取りに口を挟むことが出来ずに壁にぴったりと張り付いて気配を消している。その的確な状況判断と自己保身能力、嫌いじゃない。


「皇太子殿下。殿下がこれまで辛い思いをしてきたことは推察いたします。しかし、私は本気で殿下に触るつもりです」

「世迷い言をっ……貴様も貴族の令嬢ならば、責任の持てぬ発言は慎むことだな!」

「いいえ!私は責任持って殿下に触ります!」


 なぜならば、上司の不始末だからだ。責任がある。


「ふっ……ここまで虚仮にされたのは初めてだ……二度とそんな口がきけないようにしてやろう!」


 暗い怒りに捕らわれたジェラルドが、ずんずんと勢いよくリートに歩み寄った。勢いに圧され後ずさるがジェラルドは止まらず、壁際まで追いつめられる。


 ダンッ


 ジェラルドの腕が壁を叩き、リートの体を壁とジェラルドの間に挟んだ。

 誰かが細い悲鳴を上げた。


「どうだ?寒気がするだろう?」


 リートは至近距離に迫ったジェラルドの顔を見上げた。意地の悪そうな笑みを浮かべて、リートを見下ろしているジェラルドは、しかしどこか悲しげに見えた。


「皇太子という地位にあってさえ、平民の娘にも友達にすらなってもらえない男だぜ俺は。世間知らずのお嬢様にも、そろそろ俺の恐ろしさがわかっただろう?」


 まるで自分で自分を傷つけるような言い方にジェラルドの深い絶望を読み取って、リートは眉をひそめた。


(彼はきっと、すべてを諦めてしまっている)


 まだ十五歳だというのに、琥珀色の瞳に暗い影が宿っている。

 それに気づいたリートは思わず手を伸ばしていた。


「わかったら、二度とそんな戯れ言を……っ」


 ジェラルドが口を噤んだ。

 誰かが息を飲む音が聞こえた。


 リートはジェラルドの髪に手を差し入れ、するりと指を通した。少し癖のある金の髪は柔らかく、ひっかかることなくリートの手はそのまま頬をそっと撫でた。


「大丈夫ですよ」


 安心させるように、リートはふっと微笑んで見せた。


(私が、ちゃんと魂を入れ換えてあげなければ)


 間違えてモテない魂を入れられたなんて理由で、彼と彼の周囲の人間が苦しむのは見過ごせない。


 リートのやることは決まった。魂を抜くためにジェラルドと仲良くなりつつ、ジェラルドの免疫を付けるためにたくさん触りまくる。

 とはいえ、嫌がる相手に無理矢理触って余計に頑なになられても困る。


「だから、殿下も私を受け入れてください」


 まずは、ジェラルドがリートに触られても大丈夫だと安心出来るようにしてやらなければならない。警戒する野良犬を懐かせるためには、向こうから寄ってくるようになるまで根気よく付き合うのが一番だ。


「……っ、ふっ、はっ、へっ、ほっ、ひっ!?」


 珍妙な声を途切れ途切れにあげて、ジェラルドがざざーっ!と後ずさっていってオスカーの背中にばばっ!と隠れた。

 オスカーがぶるぶると震える。いや、違う。背中にしがみついたジェラルドがガタガタガタッと振動しているのでそれが伝わっているのだ。


「ばっ、びっ、ぶっ、べっ、ぼっ」


 何が言いたいのか、真っ赤な顔で胸をかきむしるジェラルドは言葉にならぬ声を発している。


「ほはっ、ひふっ、へほっ」

「ちょっと落ち着け。深呼吸、どーどー」


 アレスがオスカーの背中に張り付くジェラルドの背中をさする。それから、きっ、とリートを睨みつけた。


「皇太子をこのように惑わせて、なんのつもりだ?」

「惑わせるつもりはありません」

「嘘吐け!見ろ!息も絶え絶えじゃないか!」

「はへっ、ひふっ、へほっ、はほっ」


 確かにジェラルドは今にも酸欠で倒れそうな風情だ。


「クーヴィット伯爵家は皇太子に取り入るつもりか?」


 アレスの目つきが厳しくなる。確かに、いきなり皇太子に近寄ればそれを疑われるだろう。

 だが、もちろんクーヴィット家には何一つ後ろ暗いことはない。なにせ、本来は存在しない家なのだから。


「お疑いであれば、どうぞお気の済むまで我が家を調べなさいませ。恥ずかしながら我が家は病弱な私にかかりきりであったため、他の家との交流もなく、他国との繋がりもいっさいありません」


 どんなに調べられたって、存在しない家との繋がりなど出てきやしない。リートは胸を張って言った。


「何故だ?」


 アレスが少し瞳を揺らした。


「何故、そこまでジェラルドに触ろうとする?」


 上司の尻拭いです、とは言えないため、リートは頭を巡らせて適当な説明を考えた。


(ここで皇太子が好きだからと言ったって信用される訳がない。もっと自然に皇太子に触りたい理由を……触るのは仲良くなりたいからで、決して変な気持ちじゃないんですよ~って、なんか好色親父の言い訳みたいだな)


 うんうん唸っていると、リートの脳裏にアモルテスに言われた言葉が不意に蘇った。

 お前はまだ恋を知らない。

 思い出すと、むかっと腹の底が煮え立った。


(何が恋を知らないだ。あんたみたいに爛れた性活を恋と呼ぶなら、知らなくて結構だ)


 永遠を生きる神には無聊を慰めてくれる愛人の存在が必須だと頭では理解出来るが、愛人同士の喧嘩に巻き込まれたりアモルテスの身近にいるからという理由で剣突食らわされてきたリートからしたらあんなもんただ下半身が緩いだけだ。恋なんかじゃない。


「……皇太子殿下。世の中には、顔が良くて女性にモテるからって、綺麗な女性を何人も何人も侍らせている癖に、まじめに働いている部下にまで「可愛い」だの「愛している」だの心にもない言葉を吐いてからかってくるクソ野郎がいます」


 怒りのままに、リートは拳を握り締めた。


「そんなクソ野郎に比べれば、昨日からの殿下の態度は誠実そのものです!モテないといえど女性を無理矢理召し上げるようなこともなく、自ら近づいた私にも気を遣い、己れが傷ついてまで私のためを思い忠告してくださる。こんなにお優しい殿下がモテなくて、あんなクソ野郎がモテるのは絶対に許せない!」


 握り締めた拳を天に向かって振り上げて、リートは叫んだ。


「私がどうして全女性から毛嫌いされる殿下を前にしても嫌悪感が湧かないのか、今、理由がわかりました!私は殿下に出会った瞬間から、殿下に惹かれていたんです!自らの地位と美貌を鼻にかけてこれみよがしに綺麗どころを侍らせるようなクズ野郎とは違って、平民の女の子に対しても友達になってほしいと真摯に頼み込む殿下の姿はご立派でした!ええ!あのクズ野郎なんかより遙かに!!」


 相対性クズ理論である。見下げ果てたクズを知っているからこそ、モテない魂になど惑わされずに本質を見抜く目をリートは有していたのだ。


「殿下の魅力は、クズ野郎の所業にささくれ立っていた私の心に差し込む一筋の光明となったのです!だから殿下!どうか、私に殿下を触らせてください!!」


 真剣な瞳でまっすぐにお触り許可を願うリートに誰もが言葉を失くし、ジェラルドの反応を待った。


 緊張をはらんだ沈黙の中で、ジェラルドの視線はリートだけに注がれていた。





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