出発と、追うもの
「…うむ…うーむむ…」
幸太郎は目が覚める。
…妙に寝苦しさを感じていた気がする。
「…睡眠の質が、あまり良くなかったな…」
かすれた声で言い、目をパチパチしながらメガネを掛ける。
(やはり環境の違いが効いていたのだろうか…我ながら繊細なことだ)
よく見るとスーツのお腹が毛だらけになっている。
ダンジョンねこは素知らぬ顔で、鼻のあたりをしきりに撫で付けている。
「…ダンジョンねこ。俺の魔力はどうだ?」
「ちょうど13あるね。溜まったばかりだよ」
「…何時間経った?」
幸太郎は懐からスマートフォンを取り出し、軽く振ってから時間を見る。
日本時間で午後になっている。
「…5時間ほどか…。寝れば30分で魔力が1回復するってことか」
「…ならは、計算上は一日最大4回から5回ほど『トレジャーボックス』が引けるな?ダンジョンねこ」
ダンジョンねこは首をかしげる。
「ボクは時間って気にしたことがないけど」
「何か疑問を感じる気がするよ?」
「目覚ましアプリを5時間でセットしておくか」
いそいそと画面をタップする。
『あん』
「…ん?」
艶めかしい女性の声のような、奇妙な効果音が聞こえた気がした。
…どこかで聞いた声の気もする。
再度タップするが、何も聞こえない。
「…気のせいか」
「よし。ダンジョンねこ、お待ちかねの時間だ。『トレジャーボックス設置』!」
ネクタイを緩めただるだるの首元のまま、キメ顔で幸太郎は唱えた。
ガタンと音がして、小さな宝箱が落ちる。
猫缶が入っていた宝箱と同じぐらいの大きさだ。
ダンジョンねこは興味深げに宝箱に鼻をくっつける。
「さっきのは入ってる?」
「かもな。普通の缶詰だったら俺のほうは助かるんだが…」
幸太郎は宝箱に手をかけた。
「俺にはトレジャーボックスの才能があるんだろ?本当にチート的な補正があるのかもしれん。だったらきっと、都合のいいものが出てくるさ」
顔を歪め、ニヤリと笑う。
「悪い顔してるよ、コータロー」
一瞥しつつも、ダンジョンねこも宝箱に興味津々だ。
「よーしよしよし…食い物来い…食い物…」
幸太郎は渾身の祈りを込めて、宝箱を開け放った。
「『トレジャーボックス』、オープン!!」
ダンジョンねこは、宝箱の縁から首を突っ込んだ。
「…なにこれ?」
「……」
中には小さなフェルトの巾着が入っていた。
手にとって見ると、巾着の中身はプラスチックのおもちゃのような物が入っているようだ。
フェルトの巾着には、人を小馬鹿にしたような笑い顔が描かれている。
笑い顔の下には、【PUSH ME!】と書かれた丸い印が付いている。
幸太郎は眉根を寄せる。
そして無言で、どこか達観した表情で、巾着の印を押した。
『ィアーッハッハッハ!イーッヒッヒ!ウヒヒヒヒ!アーッハッハッハッハ!!』
『ィアーッハッハッハ!イーッヒッヒ!ウヒヒヒヒ!アーッハッハッハッハ!!』
『ィアーッハッハッハ!イーッヒッヒ!ウヒヒヒヒ!アーッハッハッハッハ!!』
耳障りな、音割れした笑い声が響いている。
『ィアーッハッハッハ!イーッヒ!』
幸太郎は印を押した。
笑い声は止まった。
軽く嘆息し、ダンジョンねこの前に置く。
ダンジョンねこは目をパチクリし、不思議そうに幸太郎を見た。
「…なにこれ?」
「『笑い袋』だな…」
幸太郎は額に手を当てた。
はずれだ。
ダンジョンねこは笑い袋と幸太郎を交互に見る。
「コータローは、トレジャーボックスの才能があるね?」
「よしたまえ、ダンジョンねこくん」
額に手を当てたまま、幸太郎は答えた。
ダンジョンねこは、笑い袋をそっとと踏みしめた。
『ィアーッハッハッ!』
「よしたまえ」
幸太郎は即座に、巾着の印を押した。
◇
出発の身支度を整える。
持っていけるものはとりあえずすべて持っていく。
猫缶の空き缶も、笑い袋もだ。なにかに使えることもあるだろう。
「ひとまず太陽に背を向けて進もう」
「…風に対して垂直に進む。砂漠が風によって広がっているのなら、歩く距離はまだましなはずだ」
「ふぅん」
興味なさげに、ダンジョンねこは手をなめている。
「…もっと興味持ってくれ?…ところで」
「本当に消耗はないんだな。ダンジョンねこ」
「ダンジョンねこのケンノーだからね」
フンス、と自慢気に答える。
「息をするのと同じ」
「わかった。当てにする」
「うん」
行くと決めた方向の壁に、幸太郎は手を当てた。
「『ダンジョン作成』」
ボコンと大きな音がして、目の前の空間が開ける。
ダンジョンが、前に伸びていた。
石造りの壁と天井。敷き詰められたタイル。
3メートルほど先に、新たなダンジョンの壁がある。
ちょうどブロック同士がつながるかのように、新しいダンジョンの通路は発生していた。
(…この生成スピード…ダンジョンのブロックを、咄嗟の盾に使うこともできそうだ。憶えておこう)
ひとしきり黙った後、幸太郎は先を見つめ、ニヤリと笑った。
「……さて。旅の始まりだ」
「行こう、ダンジョンねこ。俺たちのご飯を求めて」
「いいよ」
ふたりは歩き出した。
ボコン、ボコンと音を立てながら、ダンジョンが長く伸びていく。
ふたりの姿が、遠ざかっていく。
そしていつしか見えなくなる。
その場に残った、天井まで伸びる螺旋階段。砂まみれの最初の小部屋。
ミシ、と、嫌な音が響いた。
◇
ダンジョンを真っすぐ伸ばしながら、何時間か前に進む。
…そろそろ疲労を隠せない。
「ダンジョンねこ。…まだ上は砂漠だろうか。何か確かめるすべはないか?」
「ひとまず見てみたら?」
『ダンジョン編集』ならば天井を消せるだろう。しかし今現在、どこを通っているのかがわからない。
「…今いる位置が、砂の中だったら困るな。上部の砂が全部流れ込んで来て、俺たちは潰されてしまう」
「なら、天井を透明にするといいよ」
「ふむ」
ダンジョンの壁は色も変えられるらしい。
ゴウと音を立てて、螺旋階段が伸びる。
軽く登って手を触れると、そのブロックの天井はガラスのように透き通った。
そこは、一面の星空が広がっていた。
都会の灯りに邪魔されない、美しく光る星々。
夜の澄んだ冷たい空気さえも、壁越しに伝わってくる気がした。
「…恒星か、銀河か。はたまた惑星か」
大きな月が浮かんでいる。
その引力でこの星の大気を安定させているのだろう。
天の川らしき星の帯はあるが、見覚えのある星座は全く見つからない。
「…異世界、なんだろうが…」
少し感傷的な気分になって、幸太郎は静かに階段を降りる。
透明な天井には少し砂がかかっている程度だ。
ダンジョンのブロックは、現在砂漠から少し盛り上がってしまっているらしい。
まあ、放っておけば風が砂で覆い隠してくれることだろう。
「そろそろ休憩にするか、ダンジョンねこ」
「腹が減ってるからなにか食べないと…」
階段を降りた幸太郎は、ダンジョン猫の様子がおかしい事に気づいた。
「…ダンジョンねこ?」
ダンジョンねこは眉根を寄せて、伸びた通路の向こうをじっと見ていた。
(フェレンゲルシュターデン現象かな)
名高きデマ現象の名を思いながら、幸太郎はダンジョンねこを気遣う。
「…どうかしたか?」
「ねぇ、コータロー」
ダンジョンねこは、通路のはるか向こうを見据えたまま、その事実を告げた。
「敵が来るよ」
「…なに?」
カタカタ、カタカタとダンジョンが振動している。
幸太郎はダンジョンねこが見ている方向を、じっと見つめる。
振動が徐々に大きくなっていくのを感じる。
そして幸太郎の耳に聞こえてきた、異音。
ォォォォォ……ォォォォォ……
かすかに聞こえる、うねりのような音。
幸太郎は直感する。
自然現象ではない。
巨大な、とてつもないなにかの、鳴き声だ。
幸太郎はメガネをクイ、と動かし、呆然とつぶやいだ。
「…おいおい…」
「ダンジョンねこ、逃げるぞ」
「いいけど」
ダンジョンねこは行き止まりと、真っすぐ伸びた通路の先を交互に見比べる。
「どう逃げるの?」
「逃げながら考える。行こう」
幸太郎は踵を返し、先に進む。
ボコン、と、ダンジョンが先に広がる。
ダンジョンねこは後ろをもう一度振り返り、幸太郎に言う。
「…見えたよ」
真っ直ぐで、暗がりのない不思議な通路。
そのはるか向こうに見えた何か。
そそにいるのは、通路いっぱいに広がった、蠢く大きな口だ。
「…走るぞ、ダンジョンねこ!」
「いいよ」
幸太郎たちは、ボコボコと道を切り開きながら、猛然と走り出した。