表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/23

sLave the cat(ねこのどれい)

 スーツ姿の餌飼(えがい) 幸太郎(こうたろう)の前には、一匹の三毛猫がいた。

 三毛猫は、幸太郎に言った。



「ダンジョンねこだよ」


「きみはボクの(あるじ)、ダンジョンねこマスターになって」


「ボクに住み良いダンジョンを作る義務があるよ」



「義務か」



 幸太郎は光らせたメガネに指を当て、クイ、と上げた。



 ◇



 3メートル四方の密閉空間。



 通勤途中。混み合った電車の中。

 つり革につかまってウトウトし、ふと気づいた瞬間。

 幸太郎はすでにそこにいた。



 石造りの壁、天井。

 石畳が張り巡らされた床。

 それらの模様は規則性があり、人工物であることを感じさせる。


 発光体の存在はどこにもなかったが、部屋の中には暗闇を感じない。

 狭い部屋のすみずみまで、はっきりとよく見えた。



 これだけの異常事態にもかかわらず、幸太郎はなんだか馬鹿馬鹿しい気分になる。

 …三毛猫に話しかけられているのだ。

 幸太郎は気の抜けた表情で床に座り込み、よっこらせ、とあぐらをかいた。



 正直困る。



 幸太郎はそう思う。



 その身にまとうダークスーツにネクタイ。

 磨かれた革靴。

 ちょっとおしゃれなメガネ。

 いろいろなものが入った、革の手提げ鞄(ビジネスバッグ)

 ふところ(内ポケット)のスマートフォンも財布もカードケースも、全て無事だ。


 幸太郎は革の手提げ鞄を床に置き、しっかり剃った顎をさすって三毛猫と向かい合った。



「なあ、猫よ」


「ダンジョンねこだよ」



 三毛猫はすまし顔で、そこにちょこんと座っている。



「…ダンジョンねこ、俺に義務があるのはまあ、分かった」


「だがな、今はとにかくいろいろなことがわからない。たとえば、なぜ俺がここにいるのか」


「ボクが呼んだよ」


「…どうやって?」


「ダンジョンねこの魔法で呼んだよ。『マスター召喚』」


「マスターがいない時、便利な魔法だよ」


「便利な『魔法』か」



 幸太郎のメガネがギラリと光り、表情を隠す。



「…それは…便利だな?」


「うん」



(一見、ただの猫だが…。話が本当ならば、人の理を外れた不条理な存在)


(この猫は何故俺を呼んだ?…その目的が悪意にまみれた事柄ならば)


(…はてさて、俺はどうすればいい?)



 幸太郎はひりつくような緊張と、押し殺した警戒とともに、ゆっくりと猫に探りを入れる。



「…それで?お前はどうして、俺をマスターとして呼んだ?」


「この部屋を見て」



 三毛猫は小部屋を見回す。

 幸太郎も同じように見回す。




「狭いな」




 ただの小部屋。装飾も調度品もない。

 そしてすごく狭い。




「しかもなにもない」




「ここまでは頑張ったんだよ」




 三毛猫はフンスと自慢げに言う。

 そして小首をかしげた。




「でも、ボクにはどうもしっくりいかない」




「…そうか」



 全身から力が抜ける。

 幸太郎は目を伏してうつむいた。


 膨らんだ警戒と緊張が、ヘナヘナと穴の空いた風船のようになる。



「だからマスターを呼んだよ」


「…しっくりいかなかったか」


「そうだよ」



 三毛猫はよそ見をしながら言う。

 ふと気がついたかのように幸太郎に向き直り、話を続けた。



「だからマスターはボクの力を使って、ボクに住みよいダンジョンを作ってもらうよ」


「あと、ご飯も出してもらう」



 幸太郎は脱力したまま、困りきった顔で答える。



「…まあ、そうだな。ご飯は重要だ」


「重要だよ。でも他に多くは望まないよ」




 三毛猫は(おごそ)かに告げる。




「マスターはマスターで。好きにしてていい」


「ボクに構いすぎるのも困るし」


「ボクが構われたい時は構ってくれるといいよ」



 ◇



「…うーむ」



 幸太郎は整髪料でセットされた頭をぐしゃぐしゃと乱す。



「つまり俺は、ダンジョンねこによって異世界に呼ばれたんだな」


「うん」


「そして義務として、お前の住処を作る手伝いをしなければならない」


「ご飯もね」


「そうだな」



 答える三毛猫を見て、幸太郎は無表情になる。

 何かをこらえるように、ぶつぶつと呟きだした。



「…向こうで俺が(つちか)った、すべてのものを投げ出して。お前のためにダンジョンを作らねばならないだと?」


「仕事も、生活も。積んだスキルも、人との関係も」


「全部が全部…すべてがすべてだぞ…?」


「…それを全部、無理やり捨てさせられて、一方的にこんなおかしな事に巻き込まれて」


「小部屋で猫の世話をしろ、だと…?」



 小声でぶつぶつ(つぶや)く幸太郎を、三毛猫は不思議そうに眺める。

 耳をピクピクとさせて、三毛猫は聞いた。



「どうしたの?マスター」



 幸太郎の脳裏に、色々な想いが走馬灯のように駆け巡る。



 仕事で積んだ結果の数々。上司や同僚と培った関係。

 取引先や顧客。自分のために積んできたさまざまなもの。



 努力と忍耐。

 齟齬と解決。

 摩擦と割り切り。

 世界を住み良くするための哲学と自己研鑽。

 …やむにやまれぬ屈辱と、ささやかな反撃。



 その結果が、成果が。

 ()()にはたしかにあったのだ。



 それらはすべて、煙のように幸太郎の前から消えてしまった。




「クハハ…」




 幸太郎は、虚しく笑った。

 そしてあぐらを解いて膝をつく。



 漂う悲壮感。



 両手を床に付き、彼は力無くうなだれた。



 幸太郎は、万感の想いを込めて、言葉を絞り出した。




「こっちのほうが」


「ずっとずっとましじゃないかーーー!!」




 ダンジョンねこは大声にびっくりして、ブワと毛を逆立てる。

 何歩か後ろに駆け出して、おずおずと振り返った。



「…びっくりしたよ?」


「すまん」



 うなだれた顔を上げ、幸太郎は立ち上がった。



「…そりゃあそうだ。このほうがずっとずっと、ずっとマシだ」



 そして両手を広げ、不敵な表情で、空(天井)に向かってのたまう。

 支配者のポーズだ。



「世界よ。貴様が俺に押し付けた、すべての重荷を捨て去って、俺はこの先ずっと猫と(たわむ)れ生きることにするぞ」


「うらやましいか?」


「羨ましいだろう!」


「ククク…ハハハハ…クハハハハ!」



 三段笑いで哄笑する幸太郎を見上げ、三毛猫は疑問の声を上げた。



「…えー?」



 その声に我に返った幸太郎はピタリと笑いを止め、どっかと床に座り直し、あぐらをかく。



「やるよ。ダンジョンねこ。お前の奴隷(スレイブ)に俺はなる」


「…?」



 ちょこんと座り直したダンジョンねこは、コテンと首をかしげる。



「きみがマスターだよ?」


「そうだな」



 幸太郎は楽にあぐらをかき直し、ダンジョンねこにニヤリと笑いかけた。



「幸太郎だ。餌飼幸太郎(えがい こうたろう)


「よろしくな、ダンジョンねこ」



 ダンジョンねこは、いまだ不思議そうに、幸太郎に答えた。



「…?…よろしくね?コータロー」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ