イタリアの部分的統一
神聖ローマ帝国を名乗る以上、イタリアにもオーストリアは手を出さざるを得ないのです。
幾ら未来知識を持っていても、どうしようもないことがある。
それは、歴史、世界史の流れが変わったら、それこそバタフライ効果で、他のところにも思わぬ影響が出るということだ。
朕は、イタリア統一の動きについて、完全に舐めて考えており、危うく足元をすくわれるところだった。
クリミア戦争ではなかった、第一次世界大戦の真っ最中の1854年に史実と異なり、ガリバルディがシチリアで蜂起してくれたのだ。
考えてみれば当たり前だ、イタリア統一の最大の障害となるオーストリア軍の主力は、ウクライナ、ポーランドのカトリック教徒救援のために、第一次世界大戦で赴いている。
北イタリアのオーストリア領には、治安維持に必要な最低限と思われる兵力しか、朕は残しておらず、軍事的に空白地帯と言ってよい状況となったのだ。
とはいえ、北イタリアでいきなり蜂起しては、幾ら何でも火事場泥棒が過ぎて、第一次世界大戦に参戦中の欧州の諸大国から反発を買う、とガリバルディらは考えた。
だから、ガリバルディらは発想を少しずらした。
まずはシチリア島、更に南イタリアにイタリア共和国を建国し、足場を整えて、教皇領へ更に北イタリアへとイタリア統一を進めよう、と考えたのだ。
実際、当時、シチリア島を治めていた両シチリア王国は、首都ナポリを中心とした中央集権化を進めており、シチリア島内では、それに反発して王国に対する反感が強まっていた。
更に欧州の諸大国は、対ロシア戦争、第一次世界大戦の真っ最中で、シチリアからのイタリア統一問題に介入する余力はない。
こういった国際情勢も、シチリアでのガリバルディの蜂起の決断を促すことになった。
「大変です。ガリバルディがシチリアで蜂起しました」
その第一報を聞いた時、朕は頭を一瞬、抱え込んだ。
どう考えても向ける兵力が手元に無い。
それこそ無人の野を行くように、史実通りにイタリア統一が成功する可能性がある。
だが、未来人を舐めるな。
逆用してくれる。
さて、サルデーニャ王国は史実(?)通り、この第一次世界大戦で、英仏に味方することを考えていたらしいが、オーストリアにも味方することになることから、国粋派の反発から中立を保っていた。
朕は、ガリバルディの蜂起を受けて、サルデーニャ王国に対し、わざと頭を下げて中立維持を懇願した。
この様子を見て、サルデーニャ王国の一部が暴走してくれた。
ガリバルディの蜂起に積極的に協力することで、イタリアを統一しようと動き出したのだ。
この動きを掴み、朕は証拠を揃えて、英仏等にサルデーニャ王国が火事場泥棒を図り、結果的にロシアに味方して参戦した、と喚いた。
英仏はサルデーニャ王国の裏切りに激怒した。
更に、これまで朕が、中東欧にいるカトリック教徒や東方典礼カトリック教徒を積極的に保護する態度を執っていたことから、ローマ教皇庁もこのサルデーニャ王国の行動に激怒した。
更にローマ教皇庁の激怒は、世界のカトリック教徒に親オーストリアの空気を醸し出した。
こうして国際環境を整えた上で、朕はオーストリア軍主力をイタリア方面に向けた。
すると、スペイン等のカトリック系諸国から、義勇兵が駆けつける有様となり、武器弾薬等についても英仏から積極的に供給してくれるという事態が起きた。
かくして、ガリバルディの蜂起は一時的に南イタリアを制圧、サルデーニャ王国と協力して、ローマを南北から挟撃し、イタリア統一間近にまでは至ったものの、最終的に粉砕された。
1858年のパリ条約により、サルデーニャ王国はトスカーナ大公国等と合邦の上、オーストリア主導の下、北イタリア王国として統一され、朕は北イタリア王国の国王を兼ねることになった。
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なお、少なからず分かりにくいので、補足説明をすると。
この話の終わりの時点でイタリアは、北部はフランツヨーゼフ1世が統治する北イタリア王国、中部は教皇領、南部は両シチリア王国と3つの国の領土に完全に再編成されています。
(後、付言すれば、フランツヨーゼフ1世は、傍系で弱小ながらサルデーニャ王国の継承権を持っていたことから、北イタリア王国国王になっています)