第六話 部活らしい部活動
部長が来てから一週間、再び部長の姿を見ることはなくて、
「あぁー、陸先輩来ませんねぇー」
柳さんが駄々をこねていた。
「部長は結構忙しいんです」
「進路とかですか?」
「それはちょっと分からないですけど」
正直こんなにも顔を出さないことは、今まであり得なかった。いくら受験生になってなったからといって、ここまで忙しくなるのは、不自然に思う。
「次に部長が来るときは、きっとお客さんを連れてきたときですよ」
「……あぁ、避難してくる人のことですね。早くだれか来ないかなあー」
避難してくる人は、みんな何かしらの事情を抱えていて部活動に行けない。そんな人はいないほうが良いに決まっている。世間だって、警察や消防が暇なほうがずっと平和なんだから。
「誰も来ないことが一番いいんですよ?」
「うっ、確かに……」
僕は、いつもみたいにグラウンドの空を漫然と眺める。
柳さんはといえば、やっぱりいつもみたいに、真っ白な紙に自分の世界を吐き出していて、
「はいっ! 出来ましたっ!」
「……」
僕が思ったことをちょろっというくらいで、特にそれっぽいことは何もしていない。
「迫力はあるんですけど、……その整合性みたいなのがもっとあったらいいと思います」
「……ほう」
柳さんが今描いていたのは、世界的に有名なゲームキャラクターの絵だ。
「こういうキャラ物を描くときは特に、影とかハイライトの位置を気を付けないと、少し違和感が残る絵になってしまいます」
「なるほど。じゃあどうすればいいんですか?」
「どうすればと言われても……」
そんなもの画力を上げるしか方法はない。
「何かいい方法、あるんですか!」
「あるにはありますけど……」
「やりますっ!」
「……」
やっぱりやるしかないか。
あれは準備室にあるはず。
「どこ行くんですか?」
「隣の準備室です。そこにあるので」
埃が舞う準備室。ぱっと見た感じでは、目当てのものはない。これは時間がかかりそうだ。
「柳さーん。探すの一緒に手伝ってもらえませんかー」
「えー? 何か言いましたー?」
こっちの声は聞こえてないのに、柳さんの声ははっきりと聞き取れるのは、声量の違いか。
「もう、何言ってるかの聞こえないので、来ちゃいましたよ」
「ああ、すみません。……あの、石膏像探すのを手伝ってほしいんです」
「石膏像ってあれですよね? あの髭のおじさん!」
そういって柳さんが指差したのは石膏像のモリエールだった。
「確かにあれも石膏像ですけど……。柳さんデッサン経験者ですか?」
「いえ全くっ! でも、中学の美術の時間に自分の手は描きましたっ!」
中学で描いたといっても、そんなに本格的なものじゃない。いきなり人物像はハードルが高すぎる。
「……何事も基本が大事だと思うので、基礎的なものから始めましょう」
「えぇー私、あのおじさんが描きたいですー」
「……」
「描きたいですー」
少し駄々をこね始めた柳さんは、その場足踏みで準備室のほこりをそこら中にまき散らした。
「あー分かりました。分かりました。これ描きましょう! 人物像!」
『やった』と顔に書いてある柳迎季乃は少し考えた後、
「先輩、怒ってます?」
それに対して、僕も少し考えた後に、
「……少し、怒ってます。でも別にいいです。描きたいもののほうが楽しいと思うので」
「ありがとうございますっ!」
柳さんはすたすた戻ってしまった。
「一緒に石膏像、運んでほしかったです」
そういう愚痴がこぼれてしまった。
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「……っ……よっ、ふぅー」
結構な重さだった。
「おぉー。なんかこっちで見ると、面白いですね。すごいロン毛だ!」
「この人はモリエールっていう人です。……初めてにしてはかなり難しいモチーフだと思います」
「そうなんですか? んー。というか、そもそもデッサンってどんなのなんですか? 先輩の言葉から察するに、ただ鉛筆で描くってわけじゃなさそうです」
勘が鋭い。
「そうですね。じゃあ……まず質問です。デッサンと写真の違いは何でしょうか」
「んー。なんだろう。やってることはほとんど変わらない気がしますけど。でも、何かあるってことですよね」
「正解言いますか?」
柳さんが慌てて手を前に突き出して振る。
「ちょっと待ってくださいっ! 時間を! 考える時間をください!」
そんなに重い意味で言ったんじゃないんだけどな……。
「別にそんなに重大な質問ってわけじゃないですよ」
「いや、ここは私に答えさせてくださいっ!」
彼女の眼は真剣そのもので、その瞳の奥には彼女のまっすぐさが透き通るように見えて、
「……じゃあその間、セッティングとかしてますね」
「はいっ! ありがとうございます!」
モリエールを床からさらに机の上まで上げ、斜めから見上げるくらいの位置に椅子を一つ置く。あとは鉛筆だ。
準備室に戻ると鉛筆はすぐに見つかった。菓子箱みたいな箱に長いのから短いのまでぎっしり。五十本はあるかもしれない。
「あとは、練り消しか……」
こればっかりは無いかもしれない。まあ消しゴムで代用出来るしいいか。
「柳さーん。何か分かりましたかー」
「はいっ! 分かりました! 多分ですけど、デッサンと写真のちが……」
その時、急に部室の扉が開いた。
出てきたのは部長だった。
「……お客さんですか?」
部長の表情はいまいち晴れなくて、
「ああ、客には間違いないんだが……」
「誰ですかっ! そこの美少女は!!」
僕の角度からは見えないけど、廊下に女子がいるらしい。
「今回の客は……俺の妹なんだ……!」
一瞬にしてデッサンどころではなくなってしまった。