第四話 彼女の自問自答
意気揚々とした顔で柳さんがその場で立った。
「まず私の好きな食べ物はですね……」
「あの本当に別にいいですよ」
「甘いお菓子全般ですっ!」
普通だ。
「クッキーとかショートケーキとかー、パンケーキ! あと、チョコレートもいいですねっ。あ、でも果物とかも好きです! リンゴとかモモとか……」
「あー、分かりました分かりました」
どんだけ喋れば気が済むんだこの人は。
「あと好きな教科は、やっぱり音楽です! 私四歳の頃からピアノを習ってて、あ、あと中学の時は吹奏楽部でクラリネットを吹いてたんです」
「……」
そんなに音楽が好きなら、なんで吹奏楽部に入らなかったんだろう。うちの吹奏楽部はそこそこ有名なはず。
僕が訝しんでいると、柳さんはハッと何かに気づいたようで、
「教科といっても音楽は副科目みたいなものですよね。そうですねー、五教科の中だと……」
「……」
「数学が苦手ですっ!」
音楽一筋で生きてきたのか。でもそれなら、なおさらこの高校でこの部活に入る理由が分からない。絵はなんというか……確かにすごかったけど。
「えっと、三つ目の質問は何でしたっけ?」
「別に無理に答えなくても大丈夫です。そもそも訊いてないし」
「そうそう! 好きな人またはパートナーがいるのかって話ですねっ!」
柳さんは黙って少し考え込んだ。そしてその元気っぽい顔を少し曇らせて、
「中学のとき、彼氏がいました」
その顔は彼女らしくもない苦しそうな顔で、
「でも卒業したときに別れちゃいました」
この柳迎季乃、よくそんなプライベートなことを赤裸々に語れる。しかも、大して親しくもない僕に。
「……」
この気まずい空気。何を喋れば正解なのか。
「その人に好きな人が出来たそうなんです、それで」
まだ喋るのか。そんな詳細な情報全く興味ないし、むしろ聞いたらマイナスまである。
「……その出来た好きな人ってのは男の人だったんです」
ん? ちょっと待てよ。柳さんの元カレが好きになった人が男? それってつまり……
「彼、両性愛者だったんです。バイセクシャルっていうやつです」
「……」
柳さんが『パートナー』という言葉をあえて使っていた理由がなんとなく分かった。
「すみません。ほんとはこんなこと話すつもりじゃなかったんです。その……誰にも話したことなくて、親しい友達とか家族にも話したことなくて……聞いてて気持ちの良いものではなかったですよね。すみません……」
なんで僕に話したのか。
「『なんで僕に話したのか』って顔してますね。……その人の身の回りとかを何にも知らない人のほうが逆に話しやすいことってあると思うんです。私にとってのその人が先輩だったんです。迷惑な話だったと思いますけど……」
変だ。なぜか緊張と不安で汗が出てくる。頭の芯にうごめく黒い霧に包まれた何かが必死にそこを抜け出そうとする。
「なんか変な空気になっちゃいましたね。気を取り直して質問コーナー二回戦行っちゃいましょー!」
『自分から言っといてあれなんですけど、こういう空気苦手なんですよー』と、柳さんはオーバーに手を振り取り繕っている。
「…………質問です! 好きなアーティストは誰ですかっ?」
そんな一辺倒な質問も今は彼女の空元気に聞こえる。
「……好きなアーティスは特にいません。音楽をあまり聞かないので」
「そうなんですか。……ふっ。……ふぷ。あはははっ。先輩おかしいですよっ!?」
彼女にとっては、多分この空気のほうがいいんだと思う。
そして彼女がこんなに活力あふれる理由が少し分かった気がする。
「じゃ、じゃあ質問っ。次の行きますね!?」
そんな質問をあと十個くらいやって今日の部活は終わった。
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うすら寒い空。あまり星が見えないそれを眺めながら、帰るべき場所に帰る。
少し古臭いドアノブは素手で触るには少し冷たくて、学ランの袖口を使って中へ入った。
一つしかない部屋には当然誰もいなくて、相部屋というわけでもない。
「はぁ」
結局柳さんの質問に付き合っていたら、野球部の帰りと同じくらいになってしまった。
正直、毎日こんな調子だとやっていられない。何のためにあの部に入ったかも分からなくなってしまう。
(部長に連絡入れよう)
「入部希望の人がいるので明日来てもらえませんか、っと」
連絡を入れるのは少しずるい。だって部長はこんな連絡を受けたら、是が非でも予定を空けて、来てしまうから。それくらい部長はすごく忠実というか、うまく表現できないけど……堅いのかもしれない。
リュックを投げ捨てるようにおろすと、自然と一つの額縁に目が行った。
「?」
いつの間にか画びょうが取れて落ちていたみたいだ。
「……」
この部屋にあるたった一枚の絵。それはただ一つの僕の作品で、ただ一つの捨てられなかったもの。
これは僕にとってのただ一つの想いで、形見で、記憶で、戒めだ。
五年経った今でもその存在感は増すばかりで、ただのインテリアになってれば良いな思っていた頃が馬鹿らしくなってくる。
「くっ……」
一昔前だったら、唇をかんで後悔してたんだと思うけど、今は舌を噛み切って死んでしまいたいと、そう思うこともある。でもそれは、もういない人たちが最も望んでいないことだ、という思い込みだけで、とどまっている。
柳さんは不思議な人だ。いつも快晴みたいに元気なくせに、ふといきなり、僕の出したくても出せない事柄をいとも簡単に出してしまう。
僕は柳さんが恨めしいんだろうか。
いや、羨ましいんだ。嫉妬なんだ。あんなに自由に人間している姿がキラキラしていて、不快に感じる。
もう寝よう。
明日には部長も来る。きっと大丈夫だ――。