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第95話 垂れこめる暗雲 ⑨


 そこからは楽しい雑談になった。

 奴隷事情を語ることによって生じた暗い雰囲気をハキムが少しでも薄めようと必死になったからであり、その気持ちをラウルが察したからである。 

 それに、ハキムの語り口が軽妙だったのもあるが、ラウルが将来お邪魔しそうにないサーラーンの観光案内は聞いているだけでも楽しかった。

 なかでも、ウルケシュには都市内を走る馬車があると言うから驚きだった。


「そんなに広いんですか?」

「平屋や背の低い建物が多いですが、とにかく横に広い」


 ハキムは手を一杯に広げて力説するが、どうやら誇張ではないらしい。


「こちらの王都みたいに丘の上に街を積み上げて、まだそのうえに背の高い建物を建てるなんてとんでもない話ですよ」

「宗教上の理由ですか?」

「いえいえ、単純に暑いからです。サーラーンであの高さに住んだら、お天道様に近すぎるんですよ。そうじゃなくても日よけの布を広げて、木陰や水辺の涼しさを上手に取り入れないと夏は厳しいんじゃないでしょうか」


 これもエストにいたのでは分からない話である。おおむね温暖な気候のアルメキアでは太陽は豊作の象徴でしかないからだ。


 話の合間に、ラウルは今回の旅で使用した金銭について報告をまとめるために買ったばかりの鉛筆と手控えを取り出した。

 大銀貨は崩すこともなかったので除外する。出かけるときには銀貨が十六枚と銅貨が少々だった。これにはヘリオット木材のお釣りが含まれている。

 往路の馬車賃が銀貨二枚、クラーフ本店で八枚、臥竜亭の朝食に大銅貨一枚、マグスの骨董品店で二枚、復路の馬車賃は無料だが首飾りに銀貨一枚を支払った。

 残り銀貨は三枚。銅貨が思っていたより少し多い気もするが、出かける前に正確な枚数を数えていなかったので、これは確認のしようがなかった。


 今回は臨時の出費だから領収書と引き換えに補充してもらえる性質のものではないが、無駄遣いと判定されないように購入した商品を並べて説明しなければ、とラウルは考えている。これからも納品や集金の仕事を任せてもらうためには信用第一、問題は貴石の首飾りを交際費として認めてもらえるかだった。

 

 さて、隊列は何事もなくエストに滑り込む。まだ明るい時間に何事もなく到着できたことを誰もが喜ぶ。夕食までにエストを見て回ることができるし、野盗に出くわさなかったからである。

 厩舎の馬車止めに車両を止めて、馬を厩務員に預けて世話を頼む。護衛と従僕は空き地で野営準備を開始し、交代で馬車を見張ることになる。


「ラウルさん、ここでおわかれです」

「お世話になりました、ハキムさん」


 握手をして別れたハキムは、はやくナジーブ様とお嬢様にお休みいただかなくては、と言い残して村内へ走る。主人の為に宿の空室を確認して押さえるための急ぎ足だ。

 ラウルもナジーブに別れの挨拶をする。


「同行させてくださったことに感謝します」

「うむ。不自由はなかったかな?」

「楽しい旅でした」

「それは何よりだ」

「お別れを言わねばなりません」

「また会うこともあろう」


 ラウルはエルザの届け物をクラーフ商会エスト支店に届ける仕事を請け負っているので、もし支店長に会えば訪問予定を知らせることをナジーブに申し出た。

 

「なんと、先触れもしてくれるのか」

「ついでですから」

「なんであれ、気遣いに感謝する」


 単純に、入れ違いにでもなったらつまらないだろう、というラウルの親切だったのだが、ナジーブは感激して両手で握手してきた。ラウルの手を握る強さに驚いてファラーシャとお近づきになるのを忘れかけたほどの喜びようである。


 北門からエスト中心部に向かって歩きいると、駆け戻ってくるハキムに出会う。


「ハキムさん、宿は取れましたか?」

「ええ、『にれの木』です。急ぎますので、失礼!」


 楡の木ならラウルも名前だけは知っている。村一番の高級宿屋であり、クラーフ商会エスト支店からも近い。貴人の接遇にも使用されるので、蜜蜂亭のような気やすさはない。


 ハキムが何をそんなに急ぐのか分からなかったラウルだが、ふと天を仰ぎ見れば雲行きが大分怪しい。すぐに降り始めるわけではないと思われるが、彼は間違っても主人を濡らさないために急いでいるのだ。


(オレも急ごう。濡れる前に帰りたい)


 ラウルの荷物には買ったばかりの雨具も入っているが、小雨程度なら使用せずに帰りたい。理由は雨具の乾燥と手入れが面倒くさいからである。


 クラーフ商会の扉をくぐったラウルは店内を一瞥いちべつしたがリンは接客中で、マリンことコリンの姿は見当たらない。商品開発部に案内してもらっても良さそうなものだが、とりあえず手近にいた店員に声を掛けてみることにした途端、応接室の扉が開いてグスマンが姿を見せる。


 彼はラウルを目にした瞬間、おっ、と小さい驚きの声をあげたが、


「貴重なお時間をどうも。またのご用命をお待ちしております」


 と、応接室から続いて出てくる客に挨拶し、続いて、


「お見送りを頼むよ」


 と、ラウルが声を掛けそうになっていた店員に命じた。ラウルには指を小さく動かして応接室へ招じ入れ、先刻まで商談をしていたと思われる客には、今後ともごひいきに、と一声掛けてから自らも応接室へ入って扉を閉めた。


「なんて日だ。なんて客だ。今ので四組目だぞ……神よ、暴言をお許しください」

 

 グスマン支店長は愚痴を吐いた直後に神に許しを請うている。彼の神経を逆なでするような取引案件が立て続けにあったらしいが、閉めた扉に背中をもたれさせながら瞑目して悪態をつく彼をラウルは初めて見た。

 応接椅子におさまったラウルはその点に触れずに、事務的に用件を済ませることにした。

その間にグスマンが落ち着くのを待つ作戦である。


「ジーゲルの納品で王都へエルザさんと出かけまして、帰るときに彼女から手紙と荷物を預かりました」

「あ、ああ。それはご苦労さんだったね。王都……無事で帰って来れて何よりだ。道中、何事もなかったのかね?」


 手紙と包みを受け取りながらグスマンはラウルを労い、無事の帰還を祝う。王都とエストの間で発生した襲撃事件は彼の耳にも届いていたのだ。

 結局、野盗団の姿は影も形もなかったから良かったものの、状況が改善されなければ駅馬車にも護衛が付くようになるだろう。そうなれば従前の銀貨二枚で王都へ運んでもらえるとは思えない。

 運賃の値上げは商品や人間族の移動を窮屈なものにするだろう。クラーフ商会の運送事業にも影響があるはずだ。治安の悪化は物流を阻害するし、運賃値上げの影響はやがて下々の生活にまで及ぶ。


 野盗の出現にグスマンが敏感になるのは職務上当然であり、一方で娘の友人であるラウルの無事を喜ぶ気持ちに嘘はないのだ。


「ええ。おかげさまで、この通りです」


 ラウルはグスマンにそう言って答えるが、野盗に襲われなかったことを感謝するとともに、ある種の不安、不気味さのようなものをぬぐえないでいる。

 最近ちょっと物騒過ぎやしないか、という漠然とした感想である。

 推測の根拠も確たる証拠もない体感のごときものだが、王都で訪問した魔法学院や傭兵旅団の本部でも対立が生まれていて、大人の世界は大変だ、と感じ入ったばかりのラウルだからこその感想かも知れない。

 

 グスマンは自分あての手紙を開封して目を通していたが、内容が一服の清涼剤になったらしく、見るからに落ち着きを取り戻していた。


「この金貨袋はマリンあてのようだ。手紙と一緒に晩まで預かっておこう」


 彼はそう言って荷物をまとめて金庫にしまう。大聖堂の治癒師コリンのエストにおける変名が臨時職員マリンであることは先に述べたが、ラウルは彼の友として近況を聞いておかねばならない。


「マリンちゃんの仕事はどうですか?」

「まだ数日だがね。飲み込みも計算も早い。仕事を一通り覚えたら、一般職員として店頭に立っても十分やっていけるだろうが、本人が人目に触れるのを嫌がるだろうからな……」


 どうやらグスマンはコリンの事情を承知したうえで雇用しているらしい、と思われる言い方だが、ラウルはコリン本人がその事情とやらを話せる時が来るまで待つと決めているので、彼の近況を聞き、元気よく働いているのを確認するにとどめた。

 それよりも、ラウルが気になっているのは疲れ切っているグスマンの表情だ。


「グスマンさん、だいぶお疲れじゃないですか?」

「心配無用、と言いたいところだが……いささか粘り強い交渉相手だったな。お客様とお呼びするには少々尊大なところがあって……ゴホン!」


 グスマンの言葉を短くまとめれば、手荒く値切られて合意に至らなかった、ということになるのだが、やはりというか取引対象の商品は蜘蛛型魔獣由来の小粒魔石と魔法素材であった。

 どこからか大量入荷の情報が洩れ、値崩れの足元を見た買い叩きをしてひと儲けを企む商人たちが彼の心を削っていたのだ。

 それなら他の支店へ移動させて、何ならいっそのこと輸出してしまえばよい、というのはラウルでも思いつくことだが、現在はその商品移動が思うに任せない。

 その原因は野盗騒ぎだけではなかった。


「実は、このところ海賊の勢いが増していてな」


 グスマンの言葉は東方諸島との輸出入に影響があり、商品が未達となる場合も考慮しなければならないことを意味している。安全が確保できない場合は荷止め、つまり港町の倉庫で商品を眠らせるしかなくなる。

 商品を動かして手間賃をもらうのが商会の仕事であるなら、商品の動きが止まる滞貨が意味するところは明白である。

 アイアン・ブリッジへ輸送しても利益は出ない。ムロックへ売ろうにも彼らは魔石を売るほど持っている。

 北向きは野盗団、東方向きは海賊の危険。西向きは利益にならないとなれば、南へ向かうしかないわけだ。


 ところがサーラーン王国の商会を相手にした取引は一朝一夕ではいかない。

 

「人を観るのだ。選ぶと言ったほうが正しいかな」


 実際、クラーフ本店における取引も、先代の商会長が伝手をたどり紹介状を何枚も書いてもらって、ようやくハディード商会の長にたどり着いた経緯がある。

 それでも隣人に対する警戒を解いてしまってはいない。取引窓口を年数回の隊商に限定し、互いに貿易不均衡が生じないように配慮している繊細な関係だった。


 前にも述べたが、他国と比較してアルメキアは地下資源が少ない。

 エスト魔砂土のような例外はあるものの、複数の通商でなんとか必要分を確保し、各種産業に回している綱渡りのような状況が悲しい現実だ。 


 クラーフ本店のアルベルトは仕事熱心なあまり、取引開始当初の経緯を忘れたうえに現状認識もおろそかになっているわけだが、もしサーラーンと手切れになったら一部の産業は空転し、国家運営にまで影響を及ぼすだろう。

 サーラーンとの通商は繊細な均衡の上に成り立っているのだ。


 ところが、何人かの商人は縁戚を通じて個人的な販路を持っている。 

 小粒魔石と蜘蛛型魔獣由来の魔法素材の大量入荷の情報を入手した彼らは当然のように買い叩きに出た。最終的には独自の販路でサーラーンに持ち込むのだが、買い叩きに成功した場合は商品をしばらく寝かせて値段が上がるのを待つことまで画策していた。

 今朝からグスマンの精神を削っていたのは、その小規模事業主たちだったのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

やっとエストに戻ってきましたが、リンのパパはなにやらご心痛の模様。

みんなで頑張って魔獣討伐までは良かったのですが、ドロップアイテムを目いっぱい引き受けたので、期間を設けてセールをするにも値段がつかなくなってしまったのです。

私も一度、百貨店でサラダ菜一株10円を見たことがありますが、お得感を感じる前に作ってる人のことを考えて悲しくなってしまったことがあります。

徃馬翻次郎でした。

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