第93話 垂れこめる暗雲 ⑦
サーラーン式の雑談と昼食の片付けが終わり、出発の号令がかかる。
ややあって、隊商の列はエストへの行進を再開した。
野盗団の待ち伏せを警戒して、時折護衛の騎兵が二騎一組で前方偵察に出かけるが、ラウルにしてみれば、こんな治安のいいところでまさか襲撃はあるまい、という気持ちだ。
決して油断しているわけではない。襲撃をどれほど手際よく実行できたとしても、平原の街道沿いという見通しの良い開けた場所では逃走が難しい。
たとえ一騎でも騎士団の駐屯地に駆け込まれたら、野盗団は万事休すだ。手間取っているとエストからも援軍が駆けつけて逃げられなくなる。騎兵はなくとも、衛兵隊の中から犬系亜人を抽出して変化させれば快速部隊が編成できる。
だからこそ、王都と騎士団駐屯地の間で襲撃事件が起こったなどという事が余計に信じられない。騎士団と聖騎士団双方の本部がある王都の駐屯兵力はエストとは比較にならないほど多いからだ。主力が完全な機動戦力であることは言うまでもない。
(まともな野盗ならこんなところで襲わないよ)
適切な野盗が存在するのかは不明だが、ラウルの感想こそ至極まともなものだ。
(野盗ではないとしたら……何だろう?)
はるばる他国から来た隊商を脅かし、地元民を殺して回っているだけでも気分が悪いのに、それが強盗目的の野盗団ではなく別の目的を持った暴力集団なのだとしたら、もはやラウルには理解不能である。
今までは単純に外界の恐怖と危険について認識を新たにしていたラウルだが、そこに得体の知れない不気味さのようなものが加わって、彼を沈んだ気分にさせた。
天候に例えれば、洗濯物を取り込んだ方がよさそうな羊雲が空を覆っている状況に近い。降雨直前の重苦しい雰囲気が似ている、とも言える。
その思考を中断させたのはハキムだった。
「あのう、ラウルさん……」
「は、はい?」
彼はまだ何かラウルに相談があるらしい。
「考え事を邪魔して相済みません。しかし、困りました」
「どうしました?」
「是が非でも何か受け取ってもらわないと、隊商長の面目が立ちません」
ラウルはナジーブの面子というものを甘く見ていた。
おそらくハキムはラウル説得任務を拝命したのだろう。しかし、ラウルが金貨袋を受け取らない様子を目撃している。つまり、彼は任務達成が覚束ないので困っているのだ。
まだ儲かったわけでもないし、エスト支店での商談にすらこぎつけていない。さらに言えば魔獣掃討作戦で身体を張ったのは冒険者部隊と衛兵隊であり、ちょっと事情を知っているだけの私が褒美をもらうのはどうですかね、とラウルは反論した。
内心では、またその話か、と思っているが顔に出さないあたり、なかなかどうしてラウルも商人が板についてきている。
ところがハキムも、それでは私が叱られてしまいます、といった具合で譲らないので、ラウルはもう一度知恵をしぼる必要に迫られた。
「わかりました。それなら、何かおたくの商品を買いましょう」
「ラウルさん?」
「それで値引きでもオマケでもしていただければ……」
「おお、受けて下さる!?」
「お互い商人ですからね。受けましょう」
「わかりました!どんどんどんどん値切って下さい。何だったらエストに着くまでずっとまけてさしあげます!」
そんな売り方があるのかい、とラウルは思わないでもなかったがハキムは真剣そのものだ。あるいはナジーブの命令を全うできそうなので喜んでいるのかもしれない。
とはいえ、サーラーンから運んできた荷物はほとんど売れてしまって残り少ない。そもそも彼らがアルメキアに持ち込んだ商品は鉱石や黒炭液のような地下資源に雑貨、装飾品に食料品である。ラウルもハキムの顔を立ててやるだけのつもりで買取を申し出たのであり、特に欲しい物があるわけではなかったのだ。
ハキムはそんなラウルの気持ちを知らずに荷物から宝石箱を取り出して広げ始めた。ラウルに飾り気が全くないのは見ればわかるから、ご家族か恋人に贈られてはいかが、といった感じで薦める。
一方のラウルは興味がない代わりに文句を言うつもりもなかったもだが、素人の彼から見ても、どうしても品揃えからは地味な感じを受けてしまう。
「大人しい意匠のものが多いですね」
「ラウルさんのおっしゃる通り、派手な奴は王都で完売しました」
ハキムは指を鳴らして、一瞬で売れた、という仕草を見せるが、どれだけ売れようがアルメキア、とりわけ王都の富裕層が求める商品の嗜好には納得がいかなかった、と付け加えるのを忘れなかった。
いわゆる金ぴか、過剰装飾で値段も手ごろとは言えない商品が一番に売れたのだ。
「これなんか良いと思うんですけどね」
ハキムが取り出した品は革ひもに銀の金具、空のような色をした小さい貴石が付いていて、大人しさのなかにも清冽な印象を見る人に与える涼しげな逸品だった。
これが売れ残ったというが、ラウルはあえて理由を聞いてみる。
「何がいけなかったんです?」
「同じ首飾りにするとしても、もう何個か似た石を集めて、金の鎖と目立つ装飾の金具に変えたら……できれば他の小粒な石も使って、立体的な意匠に……」
「じゃらじゃらしませんか?」
「私もそう思います」
ハキムの言葉はクラーフの本店でのダメ出しを再現していたのだ、とラウルは気付いた。サーラーンの美的感覚で言えば、もとの石を台無しにしてまで買っていただかなくて結構、という考えがあり、その結果は売れ残り、というわけである。
「魔力を込めると、帯電してほんのり温かくなったりもします」
「へぇ」(何の意味があるんだ?)
「肩こりに効くなんて話もありますねえ」
肩こり、と聞いて思い浮かんだのは最近調べもので忙しいようだとグスマンがもらしていたリンのことである。
クラウス学院長も調べもので肩をこらしているのは間違いないが、何にも増して石の色が彼女にぴったり合うような気がした。
エルザに昔話を聞かせている最中に思ったことだが、何かと世話を焼くリンに対して酬いることがあまりにも少ない、と彼自身気にしてはいるのだ。
たまにハンナの作ったお持たせを届けはするが、彼自身が能動的に彼女を見舞ったり差し入れたりしたことはほとんどなかった。
これまでの埋め合わせになるかは分からないが、彼女に対して感謝の意を示す手助けにさせてもらおう、とラウルは決断する。
「じゃあ、これにします」
「お買い上げありがとうございます。化粧箱じゃありませんが、木箱もおつけします」
問題は値段だ。
三割引きか半額か、ハキムの言葉に甘えてわけのわからない値引きをしてもらうか、ちょっと待てよ、よく考えたら元値を知らないじゃないか、と考えたところで一瞬ラウルは青くなったが、ここまでくれば彼の提示を待つばかりである。
「えー、それでは銀貨を一枚頂戴します」
「へっ?」(聞き間違いかな?)
「値付けが適当すぎましたかね」
「いや、そうじゃなくて……九割引きですか?」
「おや、お目が高い!」
ハキムはラウルが当てずっぽうで出した値付けを褒めたが、実のところ通常販売価格は大銀貨一枚であり、謎値引きによって銀貨十五枚を引いた特別友情価格が実現したのだ。
一方、ラウルは自分が大安売りに値する仕事をしたのかどうか心配になる。
「ラウルさんはそれだけの仕事をなさった、と思いますよ」
「うーん……」
「私が保証します。魔法道具の故障騒ぎを放置していれば奴隷の処刑。押しとどめていればユール派とガッチ派に分かれて衝突。どちらにしても血を見るでしょう。そのどちらもさせなかったラウルさんはこちらで言う救世主ですよ」
つまり、この贈り物は指南木を貸し出して血なまぐさいもめごとを阻止した功績に対するものである、ということがはっきりした。エストでの商談がまとまれば、さらなる謝礼をナジーブは考えるかもしれないが、正直なところラウルは興味がない。金欲しさにエスト支店を紹介したわけではないし、金をもらえばもてなしの意味が薄れてしまうからだ。
一方のハキムは隊商長の命令を遂行できたことに安堵している。
たとえラウルの説得に失敗しても首をはねられることはないだろうが、おつかいも出来ないのか、となじられることは何としても避けたかったのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウルがはじめてリンに贈るプレゼントは値段も見た目も大人しめの光り物でした。
頑張れラウル!次のプレゼントは自分で稼ぐんだぞ!
徃馬翻次郎でした。