第92話 垂れこめる暗雲 ⑥
さて、満腹になったところで、先ほどの胸糞悪さもいくらか緩和されたラウルだが、ハキムによれば食後のお茶は招待主と雑談をする必要があるらしかった。
豆を炒って煮出した茶は苦いが香ばしい芳香を漂わせるもので、これもサーラーンの特産品であり、人気の嗜好品なのだが、ラウルは話題選びに必死で味わう余裕がない。
するとハキムが横から、別に珍しい話をしたり笑わせたりする必要はないんですよ、と助け舟を出してくれたので、ラウルは先日の納品について話すことにした。
これから結婚することになる女性の守り刀について、姿かたちから装飾について浅く語っただけなのだが、これに年頃の娘を持つナジーブが食いついて大いに盛り上がる。
彼は小柄な身体を乗り出すようにして聞き、いくつか質問もした。
「どの国でも嫁入り支度は大変なものだ。ファラーシャの時はいくらかかるやら……」
「はぁ」(ファラーシャちゃん!)
「どうしようもないお転婆でしてな。目を離すと男みたいな格好で外に出よる」
「……」(男装美少女!)
「いやはや、客人に詮無いことを申しましたな」
「いえいえ」(もっと聞きたいっス!)
顔もまともに見たことがない娘相手に興奮するラウルを知ってか知らずか、ナジーブが始めたお返しの雑談は商売に関するものだった。
エストからエルザとラウルが王都に持ち込んだ魔法素材が値段を上乗せさせて売られ、今度はサーラーンに移動しつつある状況を商品の動きだけに注目すれば、国中を行ったり来たりしているようで、その様子のほうがラウルには面白かった。
詳しく聞けば大型魔石を仕入れ損なっているが、これは値段の折り合いがつかなかったか、他の人に売れたのだろう、という推測をした。
実はサーラーンにおけるお付き合いや交渉ごとの際には雑談が思いのほか重要である。話すことが無ければお天気の話題でも旅の苦労でも何でもいいが、これを無視して本題に入ろうとすると露骨に嫌な顔をされることも珍しくない、というハキムの解説を聞いたラウルは改めて異国の風習に感じ入った。
その商売の内容はハキムからも聞かされていたのだが、クラーフ本店の担当がアルベルトとわかって、彼相手では気の毒なことになったのでは、とラウルは予想をする。
(あの人は……ふっかけたんだろうな)
彼の予想にたがわず、アルベルトは遠来の客をもてなす心に欠けていた、とナジーブは婉曲的に不満を口にする。なにも値段のことだけではない。アルメキアで大きい取引をさばけるところが他にあると思うならどうぞご自由に、という態度が透けて見えて辟易した、というところらしい。
なにもアルベルトは私腹を肥やしているわけではない、とラウルは信じている。出世と店の利益を追求するあまり、ちょっと目が上を向いているだけだ、とも思っていた。
彼が店の利益を優先するのは当然のことであり、組織人の姿勢としては何ら文句をつけられるようなことはない。昇進や歩合に釣られて懸命に働く姿を非難する筋合いもない。
しかし、こうして彼の態度を不快に思う人の意見を聞くと、アルベルトのやり様が醜悪に見えてしまうのは若いラウルには致し方のないことであった。
「まったく、あのアルメキア人は手強かった。我が商会の儲けを皿のように薄くしただけではない。私の髪の毛まで薄くしてしまうような勢いだった」
ナジーブはそう言ってターバンの上から頭を二、三度叩いて隊商員を笑わせたが、ラウルは冗談を真剣に受け止めている。
(アルメキアに住んでる人みんなの印象を悪くしないといいけど)
これはラウル一人が心配したところで何とかなるような問題ではないが、彼の正直な感想である。
しかし、ここでラウルはひとつの可能性に気付く。
アルメキア人の名誉回復と、ナジーブの帰郷に持たせる土産を同時に満足させる手法を思い付いたのだ。
「それは難儀な事でした。ナジーブさん」
「労いの言葉に、ありがとう、と言おう」
「この後エストにはお立ち寄りに?」
「一泊する予定である」
単純に日没から早朝までの時間を安全な場所で過ごすだけのエスト滞在のようだが、ラウルの計画にはそれで十分だった。
「ぜひクラーフのエスト支店をお訪ねいただきたいのです」
「なぜだ?本店にはない出物が支店にはあるのかね?」
「大物はありませんが、蜘蛛型魔獣の魔法素材が大量入荷しています」
「な、なんと!?お客人はどうしてそのことを?いったい如何なるわけで?」
突如として発生した商機にナジーブは慌てて質問を繰り出す。
ラウルは努めてゆっくりと、魔獣騒ぎがあって鎮圧されたこと、結果として大量の魔法素材が村にもたらされたこと、情報源は掃討作戦に末端ながら参加した自分であることを告げてナジーブを落ち着かせた。
「それなら間違いはない。エストに商用は無かったが、本日中か明日の朝にでもお邪魔するとしよう。ハキム!荷馬車の空きを調べろ」
さっと一礼したハキムが駆け去っていく。
「さて、異国のお客人、貴殿には感謝の気持ちと金貨の袋を受け取っていただく資格がおありのようだ」
「せっかくですが、お気持ちだけいただいておきます」
これには周りにいた全員がどよめく。儲け話をあっさり披露してしまったことにも驚いたが、くれてやる、と言った金貨に手を付けないのはいったい何の冗談か、何か下心でもあるのか、それとも騙そうとしているのか全く判別がつかない。
はたしてナジーブの声が詰問調ではないが大きくなった。
「なぜだ!?」
「アルメキア人全てが守銭奴ではありません」
「気に障ったのか。では、あの店員は特別だったと訂正しよう」
「それに、これで遠来の客へのもてなしになろうかと思います」
これでナジーブをはじめとする隊商員たちの警戒が解けた。異国の土地で金銭を介さない関係構築ができてしまったことに困惑している様子も見られたが、総じて友好的な態度が大勢を占める。
「もてなしを遠慮なく受けよう。しかし、それでは私の気がすまん」
「では、お願いを聞いていただくのはどうでしょう?」
「金貨以外でか?そっちのほうが恐ろしいな」
ナジーブは身構えたが、ラウルの口調はのんびりしたものだった。
もしエスト支店で魔法素材が値崩れを起こしていても買い叩かないで欲しいこと、イロをつけろとは言わないが公正な取引をしてほしいことを願い出た。
「なんだ、願いの段はそれだけか?」
「ええ、まあ」(できればファラーシャちゃんとお話……)
「理由を聞いてもいいだろうか?」
「へっ、いや、グスマン支店長が友人の父親なんです」
「なんと!どこまでも義理堅い青年だな、お客人は!」
友達が路頭に迷うのは困る、というラウルの弁明はサーラーン人の心に刺さったようで、ナジーブから同意のうめき声があがる。
「うむ。わかった。先祖の墓にかけて誓おう」
「ありがとうございます」
「グスマン氏は公正な男なのだな?」
「それは確かです」
公正ゆえに本店勤務でないとしたら悲しいことです、とはラウルは言わなかった。これ以上よそ様の商売にケチを付けるわけにはいかない。
「しかし参ったな。お客人は何とも無欲だから礼のしようがない」
「でしたら、サーラーンで私が困ったことになったら助けてもらう、というのはどうでしょう?」
この申し出はナジーブを大いに喜ばせた。
ラウルの無欲ぶりが気にっただけでなく、その彼から頼りにされている、という感覚は誇り高い南国人を満足させるものだったのだ。
何かやらかしてアルメキアにいられなくなったらウルケシュで匿ってやる、とまで言い切る彼は豪気な叔父のようである。
やがて後片付けが始まり、ラウルは客車への招待を受けるが、さすがにこれは辞退した。いきなり親族扱いというのも変な話だし、狭い空間で隊商長の娘をねぶるような目つきで見るな、匂いも嗅ぐなという方がラウルには厳しいからである。
目を塞いで鼻もつまんだままでは何をしているのかと聞かれることは間違いない。その状態で聞かん棒の制御に失敗すれば、客人扱いが一転、どのような扱いになるかわかったものではない。
恐縮する体で客車を辞退し、再び荷馬車の客となったラウルはようやく落ち着き、ハキムが乗り込んできたので引っ張り上げてやる。
隊列の出発を告げる合図が聞こえるが、ハキムは何か恐ろしいものを見るような目でラウルを見ていた。
「いやあ、ラウルさんは謎ですな」
「そうですかね」
「異国の方なのにサーラーン人の心をあっという間につかんでしまわれた。おまけに無心無欲で、奴隷の庇い立てもなさるとなれば……」
「へんですか?」
「いえ、悪い意味ではなく、その、虹を見ているようです」
不思議な光景を見た、とハキムは言いたかったのだろう。
しかし、虹とは言いえて妙である。
旅の最初で聞いた話では鍛冶屋の見習いが王都へ納品に来たとのことだった。
話してみると必死で知識を吸収しようとする商会の手代のようでもあり、刃物を抜いた人間に立ち向かう度胸もある。これは鍛冶屋や商人が能くするところではない。
さらに、ちょっと教えただけでサーラーン人の気質を飲み込み、恩着せがましくないやり方で商会の番頭に貸しを作った手腕は熟練の外交官のようでもある。
虹を見た人間はしばらく空を見上げてしまうことが多い。
ハキムもラウルの中に虹を見て、しばらく見とれてしまったようである。
いつもご愛読ありがとうございます。
もう少し馬車に乗って、エストに着いた頃に天気が崩れ出すのでサブタイトル通りの展開になろうかと思います。むろん宗教対立や奴隷の扱いを見て嫌な気持ちになった、という意味も込めています。午前中もエルザ姉さんから本物の従僕はそんなもんじゃない、って言われてましたしね。
アルメキアにいる限りは奴隷とは無縁なのですが、そのことが原因で新たな問題になるのはこれまたずっと後の話です。
徃馬翻次郎でした。