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第91話 垂れこめる暗雲 ⑤


 ラウルは他人の宗教を尊重する。

 彼はスケベの神以外を信じたことはないが、押し付けられない限りは他人の宗教観に立ち入ろうとはしない。

 彼は隊商員たちの邪魔にならないように一歩下がって祈りの様子を見守ることにした。 


 サーラーン人の祈りはカスバの大神殿に向かってひれ伏しながら祈りをささげる。

 彼らは太陽神を崇めており、サーラーン王国民の九割九分が太陽神徒である。御神体に相当する太陽神を祭った大神殿は各地から巡礼が訪れ、聖タイモール教会における大司教に相当する大導師が神の代弁者として信者を指導する。

 王国の要所にある神殿には導師がおり、下部組織として果たす役割はアルメキア各地の司教や司祭とよく似ている。


 村や都市のなかにいれば祈る方向は自ずと知れる。大神殿の方向は住民が皮膚感覚に近い精度で心得ているし、どこの道路標識でも首都の方向は必ず正しく表示されているから、大神殿の方向を間違えることはない。


 問題は、外交使節や隊商のようにサーラーンを遠く離れた土地へ出かけねばならない人たちの場合である。

 繰り返すようだが、祈る際には方角が極めて重要だから、祈る前の儀式として方角測定が厳かに行われるのだ。


(うわ、いくらするんだよアレ……)


 取り出された方角測定用の魔法道具を見たラウルがそう思うのも無理はない。

 化粧箱に入っているのは物品愛護の観点から良いとしても、方角を知るために必要とは思えない貴金属や宝石の装飾が甚だしい。

 

 ところが、その特注の魔法道具がうまく作動しないのだ。担当の従僕が必死で操作しているが魔力がうまく流れない。彼が滝のように汗を流しても方角を指し示す部品は微動だにしない。

 従僕が道具の外装を叩くと一瞬明滅して息を吹き返すのだが、魔力を流す回路が故障しているらしく、時間がいたずらに過ぎる。


(ざっくりで良いから南を向けばいいのに)


 ラウルの感想は結果から言えば大間違いであり、彼らの信仰心を甘く見ていた、と彼は痛感することになった。

 なんと、護衛の一人が激高して剣を抜いたのである。平謝りの従僕を蹴り転がして反りのついた湾刀を振り上げる。

 周りの人間は慌てて止めに入り、祈りを邪魔をしないように見ていたラウルもこれには驚いて制止する側に加わった。

 

「ちょっとやり過ぎじゃないですか!」

「黙れ異教徒め!客人と言えども容赦はせんぞ!」

「オレは聖タイモール教徒じゃありません」

「なんだと!?」

「強いて言うなら無神論者です」


 正確に言うならスケベの神以外は信じていないのだが、とにかくこれが荒ぶる護衛に効いた。どの神も信じていないのなら少なくとも異教徒ではない。

 ラウルは胸元をくつろげて護符も精霊の首飾りもないことを示す。


 ようやく護衛が大人しくなって従僕の処刑を中断したが、隊商長をはじめ数人でなだめすかしても彼の興奮は収まる様子を見せない。

 その間にラウルはハキムを捕まえて事情を聞いてみることにした。


「ハキムさん、これは一体……」

「ラウルさん、場をおさめていただいた礼を言わねばなりませんが、危ないところでしたよ。私にはあの手の言い争いに首を突っ込む勇気がありません」

「どういうことです?」

 

 ハキムの説明を要約すると次のようになる。

 サーラーン人のほとんどが信仰している宗教には大きくわけて二つの宗派がある。ひとつはガッチ派といわれる原理主義者の集団だ。戒律厳守、他の宗派や宗教に対して攻撃的、彼らの信ずるところを汚されたとなれば血を見るまで収まらないとも言われている。

 今一つはユール派といわれる幾分世俗的な集団である。戒律はできる範囲で守り、緊急時には祈りさえ省略してしまうことがある。他人の宗教観をどうこう言うことはなく、干渉してこない限りは異教徒にも寛容である。


「すると、怒っている人はガッチ派なんですね」

「そうです。ラウルさん、どうかお気を付けください。我が国では宗派の違いだけで喧嘩や人殺しの原因になりかねないのです」


 ハキムの忠告を感謝して受け入れたラウルだが、この場の問題が解決したわけではない。


「魔法道具の予備は?」

「ええ。街道を外れるわけじゃありませんから、あくまでも儀式用というやつでして」


 長い答えをまとめると、ない、とのことである。

 魔法道具自体はクラーフ商会エスト支店の工芸師が修理できるとしても、今、この場で何とかする必要があるのだ。


「真南さえわかればどうにかなりますか?」

「ラウルさん、ひょっとして何かお持ちなんですね?」

「お気に召すかどうかはわかりませんけど」


 ラウルはハキムにバケツ一杯の水を所望し、自分は荷馬車に戻って背嚢から指南木を取り出した。魔法不能者には魔法道具は扱えないが、指南木は魔力不要で故障もない。冒険に備えた買い物だったが、全く別の用途で役に立つ時が来たのだ。


 昼食の支度はできており香辛料の効いた香りがラウルの鼻腔をくすぐる。

(うう、腹減った……)

 地面には絨毯が敷かれて従僕たちが座席をしつらえており、隊商長とその娘には日傘がさしかけられ、大きな座布団におさまっている。

 食べる準備は万端なのだが、祈るための方角を定めないことには始まらない。

 

 隊商員が見守るなか、ラウルはバケツの水面が穏やかになっているのを待っている。

 内心では、こんなくだらないことで血を流そうとするサーラーン人が信じられない、と憤っており、空腹がそれに拍車をかけているが、その感情は押し殺している。なにより、ハキムから忠告を受け取ったばかりだ。


 やっと静かになった水面に彼は指南木を浮かべる。おおよそ王都の方向が北でエストが南であることはわかっていたので、彼はあえて指南木を北に向けて水に浮かべる。 

 大勢がバケツをのぞきこむが、指南木がさっと反転して南を示す様子に小さいどよめきが起こる。

 指南木を知っている者もいたのだがが、使われなくなって久しい道具はかえって新鮮で皆の興味を引いたのだ。


 ただちにバケツ内の真南と地図が引き比べられてカスバの方向が判明し、一件落着となったが、肝心の祈りをささげる様子を見たラウルは複雑な思いをすることになる。

 隊商長はもちろんハキムや護衛達も絨毯の上で祈るが、従僕たちはむしろに膝をついている。


(お祈り道具まで身分差があるのか)


 文化の違い、社会制度の違いと言ってしまえばそれまでだが、見せられた光景はラウルにとって気分の良いものではなかった。

 

 やがて祈りが終わり、隊商長から礼を言われても気分は晴れない。荒ぶっていた護衛からは異教徒呼ばわりしたことの謝罪を受け、殺されかかっていた従僕からは泣いて感謝されたが、それでも言いようのない感覚がラウルを捕らえて放さなかった。

 一言で言えば胸糞悪いのだ。

 その心の動きをハキムは素早く察知してラウルに話しかける。


「ラウルさん、よく辛抱してくれました」

「ハキムさん……」

「おっしゃりたいことはたくさんおありでしょうが、客人として隊商長の席へご案内しないといけません。おしかりはのちほど馬車の中で頂戴するとして、今は招待を受けていただけませんか?」


 ラウルは承知して指南木を回収してからハキムに付き従ったが、自らの思慮不足を猛烈に反省し、後悔している。

 早くエストに帰りたい一心で隊商に混ぜてもらったが、異国や異教徒の人たちと行動を共にするとはこういうことなのだ、と思い知ったのだ。

 習慣も違えば使用人の扱いも違う。第一、サーラーンでは奴隷制度が認められているから、やらかした奴隷の命は塵芥ちりあくた同然である。

 

(さっきの従僕は奴隷か……)

 それなら先ほどの扱いも理解できる。納得はいかないが、それを口にすれば大変な非礼になりそうなことはハキムの言葉からも明らかだ。

 ラウルは食事の席でこの件について話を振られても気にしていない体を装うことにした。


 さて、隊商長のそばに着座したが、彼の娘は見当たらない。

 ラウルのスケベ視線は発動の機会すら与えられなかったわけだが、これは特に彼を意識したものではなく、サーラーン式食事では男女別なのだ。

 食事に限らず、サーラーンでは未婚の女性をじろじろ見るな触るなの厳しい掟があるから、無意識にではあるが、ラウルは掟破りを未然に回避したことになる。


「客人を巻き込んで騒ぎを起こすとは何とも恥ずかしい。無礼を詫びよう」

「とんでもないことです」

「さぞ驚かれたことだろう」

「いえ、私はここではよそ者ですから……お招きに感謝します」

「礼儀正しい異国の青年に感謝する。さ、遠慮なく食べてくれ」


 どうやらオレの受け答えはサーラーンの礼儀にのっとったものらしい、とラウルは安堵した。ハンナの速成礼儀講座はここでも有効のようである。

 横に座っているハキムをチラ見するとさかんに小さくうなずいているので、現地人にも合格点をもらえたようだと思った矢先、彼は食事の席に食器類がえらく少ないことに気付く。具体的には個人用のナイフやフォークが見当たらない。


 主菜は肉団子と野菜を香辛料たっぷりの汁で煮込んだもので、各自の取り皿にバターで炒めた飯が盛ってある。もしこれらを混ぜて汁っ気を絡めながら食べるのなら、ラウル的にはスプーンが欲しいところだった。

 ところが、ナジーブもハキムも右手だけでこね回した米とおかずを器用に口へ運んでいる。そこでラウルもやっとサーラーンが手食文化であることに気付いた。


「ラウルさん、さじをお持ちしましょうか?」

「いえ、せっかくなのでサーラーン式でいただきます」

「ほう、郷に入らば、ですかな?」


 ハキムの提案を断ったラウルをナジーブをはじめとした隊商員みんなが気に入ったようである。ラウルは指に味が付いていくような不思議な感覚を楽しんだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウル君は善意から人助けをしましたが、これで良かったのか悪かったのか。

現代日本の感覚では菩提寺が違うだけで喧嘩したりしませんから、サーラーン人のすること、とりわけ信仰心の篤い人のすることがさぞ異常に見えることでしょう。

狂信、分断、わかりやすい後々の火種です。

徃馬翻次郎でした。


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