第88話 垂れこめる暗雲 ②
骨董品店主マグスは言いようのない息苦しさのようなものを感じている。
別段、疲れが取れないとか肩が凝って仕方がないとか体調の異変に起因する息苦しさではない。
最近になって自分と店を取り巻く環境が変化しつつあり、その変化が心地よいものではない、と言うほうが表現として正確だろう。
ここは王都の大通りから路地を一本入ったところで営業している骨董品店であり、最近は秘密の商売が大当たりしたおかげで徐々に品ぞろえを強化しつつある。
秘密の商売とは曰く付きの品を得意客に見せて見料を取るものであり、秘密倶楽部めいた雰囲気が大いにウケて、本業をはるかにしのぐ勢いでマグスの財布を膨らませていた。
そのおかげで、何年も店の看板商品を務めていた妖刀はつい先日お役御免となった。他の怪しい品々も姿を消し、珍奇な贋作作りもやめた。
経営も順調、これだから古道具屋は信用ならない、と言われるような真似もしなくなっているのに、彼が息苦しさを感じる理由は裏稼業の仕入れが思うに任せないからだ。
彼の裏稼業、すなわち秘密書庫の目玉は発禁本である。この世には存在しないことになっている書籍の仕入れ先はある聖騎士であることは先に述べた。
取り締まる側が横流しで小遣いをかせぐのを手伝うという危険な仕入れ方法だが、お互いバレたらお終いという相互安全保障がはたらく形で長らく付き合いが続いていたのだ。
ところが先日、件の聖騎士から別れ話を切り出される形で仕入れ先を失うことになった。
その聖騎士はこの期に及んで怖気づいたのではない。配置転換と言えば聞こえがいいが、要するに地方都市や集落にある聖堂への左遷だった。
彼は、秘密は墓まで持っていくと言っていたし、それをマグスは疑っていない。
問題は新しい仕入れ先をどうするか、という一事に尽きる。
もちろん、面白いようにもうかる商売を捨てて真っ当な古道具屋に戻る選択肢もある。しかし、人はいったん手に入れたものをあきらめるのは難しい。それが金であれ新兵器であれ、いつの世も自分の命と天秤にかけてしまうものなのだ。
そんなことをマグスが考えながら開店作業をしているところに、エルザとラウルは本日の客第一号として現れた。
「いらっしゃいま……なんだエルザか」
「なんだ、とはご挨拶ね」
「たくさん買ってくれたら態度を改めてもいい。いや、改めさせていただきます」
どうやらエルザはこの店の常連ではあるが、冷やかし専門らしい。おそらく探検家としての経験と勘で素性の怪しい商品や贋作を見抜いて回避し、買うとしても価格交渉が厳しいのだろう。
由緒正しい商品を適正価格で買うのは何も悪いことではないが、古道具屋としては手強い客に違いない。
「そう言うけどね、おじさんとこの商品じゃ……あれ?……うん?」
「ふふん。どうしたね?」
「品ぞろえがおかしい……」
「おかしい、とはご挨拶だな?エルザ?」
これは一本取られた、と彼女は思った。以前に立ち寄った時と比べると品ぞろえが雲泥の差だ。どれも古色蒼然とはしているものの、大事に使われてきて手入れも行き届いている品を格安で並べている一角と、希少価値を見込んだ高価格帯路線の品がきちんと分けられている。
従来のような玉石混交のがらくた市ではなくなっていたのだ。クラーフ商会のダブスがほれ込んだのは現在の品ぞろえだ。間違っても旧来の埃だけは一丁前のゴミではない。
「いや、参った。おじさんの言うとおりだ。見違えたよ」
「だろう?」
「私はいろいろ見せてもらうから、連れの相手を頼んでいい?」
「いいとも。えーと?」
やっと出番が来たラウルはダブスの名刺を取り出して名乗る。
「プーマ様の従僕ラウルと言います」
マグスは名刺を受け取ると、
「なんだミドルトン爺さんの紹介か。店主のマグスだ」
と、彼も名乗って歓迎の意を示し、名刺を裏返して連絡事項を確認した。携帯用裁縫道具は状態のいいものが有り、絹の糸巻も短いものが見つかった。絹糸は外科用で、普段の縫物は木綿糸を使う。
「他には?」
「地図です」
「観光用、商用、大きな声で言えないが軍用もあるぜ?」
「ぐ、軍用?」
マグスは測量が正確で升目まで入った軍用地図について触れる。これがあれば、山や丘の向こうから攻撃魔法や攻城兵器の弾丸を飛ばせる、との説明だったが、そんな物騒なことに縁があるはずもないので、商用と観光用の物を見せてもらうことにした。
「観光用の地図はずいぶん大雑把ですね」
「大きい町や王都の位置がおおよそでわかる!……だけだな」
一方、商用の物は小さな集落や騎士団の駐屯地に加えて水場まで描き込こんである。ラウルはひとつ気になったことがあったので、マグスに聞いてみることにした。
「アルメキア以外の地図は?」
「うん。まあ、国によって事情があってな」
マグスの言う地図に関するお国事情は以下の通りだ。
東方諸島はどうかすると出来の良い地図を無料でくれることがある。ただし、各島の観光案内と言った方が正確で、船乗りさえしっかりしていれば必須という訳ではない。
南へ出かけるなら地図よりも方位を調べることができる魔法道具のほうが重要である。砂漠地帯では街道を離れること自体が危険であり、目印の少ない砂漠で迷子になった者はそう長くはもたない。
ムロックはそもそもアイアン・ブリッジの対岸にある集落以西の状況がつかめていない。行こうという者自体が少なく、隊商もそこから先に行こうとはしない。人や亜人がうろつくには過酷な環境、過去の戦争を忘れていない魔族も多く、あえて秘密のヴェールを引っぺがそうという挑戦者もほとんどいないのだ。
北のグリノスは地図を買おうとする余所者に対して厳しい。観光用の大雑把なものならともかく、詳細な地図を求めるだけで通報、間諜として拘留されかねない。
マグスは地図の取り扱いをタイモール大陸の風土を含めて説明して見せた。これにはラウルも思わず聞き入ってしまい、興味深い話に礼を言って商用の中古品を買うことにした。
マグスは土産物用の王都案内図をおまけにつける。
「方位用魔法道具と言うのは?」
「今は便利なのがあってな、魔力をちょいと流すと迷宮内でも作動する。冒険者の必需品。魔法の地図と合わせて使いたいね」
「魔力無しだと?」
「もう誰も使わなくなった奴があるな……待ってな」
やがてマグスが取り出したのは小さな棒状の木切れだった。片方の先端から針金が飛び出ているが、ラウルには使用方法がさっぱりわからない。
マグスは自分のカップに水を注いで木切れを静かに放り込んだ。
すると、水に浮かんだ木切れは自らの意思でもあるかのように向きを変えた。
「どうだ?」
「ひょっとして磁石ですか?」
「ご名答。そいつが木切れの中に仕込んであり、針金のあるほうが南ってわけだ」
木切れの水分を服の裾でぬぐいながら、静かな水面が無いと使えないぞ、とマグスは念押しする。揺れを無視して使える魔法道具にはかなわないので廃れてしまった商品だが、ラウルは掘り出し物に嬉しくなって店内を見回す。
「本もいっぱいありますね」
「なんだ兄さん、学者か?」
「従僕ですよ」
「職人の手に見えるんだがな」
ラウルはマグスの観察眼に舌を巻いたが、内緒ですよ、と仕草を交えて目くばせした。
「いいねえ。秘密や内緒は大好きだ。ま、上手にやんな」
犯罪者でもない限り、マグスは訳あり人間大歓迎である。それは彼が裏稼業で訳あり商品を扱っているからなのだが、期せずしてラウルは彼に気に入られた。
「鍛冶関係の本は?」
「ああいうのはそもそも外に出ないと思う。口伝も多いしな」
これはマグスの言い分が正しい。秘伝書ともなればそれこそ彼の秘密書庫に並ぶだろう。
「料理の本はどうです?」
「台所にも興味があるのかい?多趣味だな」
これはマグスの見当が間違っている。ラウルはモテたい一心である。
「えーと『おいしい野草』に『孤独の美食』か……」
ラウルはマグスの許可を得て立ち読みしてみたが、野草を食べなければならないほど困ってもいないし、食べ歩きができるほど裕福でもない彼には今一つ波長が合わない。
それに、書籍の状態があまり良くないのだ。クラウス学院長がラウルに進呈した『まじゅうのひみつ』は美麗本と言ってよかったので、どうしても比べてしまう。
「どうした兄さん?」
「へっ?いや、ところどころ読めなかったり、頁が抜けてたり……」
「そりゃ、べっぴんさんを探すなら金貨を持って本屋へ行かなくちゃな」
難ありでも良いから譲ってくれ、という客はけっこういるんだよ、とマグスは言う。新品を指して別嬪さんと表現したのはいかにも彼らしい。
結局、ラウルは書籍購入を断念したが、そのかわりに紙が黄ばんだ手控えと小型の魔石ペンを買うことにする。ところがマグスはペンより短くなった鉛筆を勧めてくる。
「えんぴつ?」
「アルメキアにいるとわからないけどな、あっつい所だとインクがどうなるかわからんよ。低温でも高温でも書き味の変わらないのが鉛筆さ」
「へぇ」(蒸発?……まさかね)
温暖な気候に慣れきっているラウルは、そのまさかが実在することを知らない。魔石インクは低温だと粘り、高温だと蒸発して書く前から減ってしまうのだ。
しかし、初めて見るこの筆記用具に対してラウルはこう言わねばならない。
「でもお高いんでしょう?」
マグスには聞きなれた台詞だ。しかし、相手はダブスに紹介された客である。おまけに彼はラウルを気に入っているので、余計な駆け引きはしないことにした。
「いやいや中古品だし、もともとはその倍以上の長さがあったんだ。黒鉛の粉末と粘土で作った芯と木材の持ち手だからな。そんなにびっくりするような値段はしないよ」
マグスは、短くなって持ちにくくなった奴を執事やら女中やらが一山いくらで売りに来るから安く売れる、と言ってラウルを安心させた。先端は小刀で削って出すんだぜ、と指導しているところへ、店中見て回っていたエルザが戻ってくる。
「どう?いいものあった?」
「ええ。問題は……」(残りの銀貨は六枚だぞ)
「お値段よね」
二人に言われるまでもなく、マグスは算盤という東方風の計算道具を用いて軽快な音を立てながら勘定している。
携帯式裁縫道具、絹の糸巻、アルメキアの地図、指南木、筆記用具をクラーフ本店で買ったら大銀貨や物によっては金貨が必要だ。性能や品質だけではなく華美な装飾や貴金属の部品に金を払うことになるからであり、ダブスが中古品を勧めた理由はそこにある。
ラウルの所持金は虎の子の大銀貨が一枚と銀貨が六枚に銅貨が少々であるから、大銀貨を崩さないで持っておこうとすれば、帰りの馬車賃を計算にいれて、自由に使える金は銀貨四枚が上限である。
謎の計算道具は直ちに答えをはじき出す。
「端数はおまけで銀貨二枚だな」
「はい!?」(安い!……のか?)
「値段まで良心的になってる……」
ラウルは中古品の相場というものがわからないので戸惑っているが、エルザのつぶやきからは妥当な値付けであることうかがえる。
彼は一応彼女のほうをみたが、うなずきが返ってきたので支払いをすませる。
「よし!じゃあ、商品を包むから待ってくれ。布袋でいいよな?」
「お願いします」
「“お願い”って言葉が気に入ったね。小汚い包装しかできないのが悪いぐらいだ」
マグスはそう言って恐縮するが、荷掛け紐も荒縄だった。
仕入れる商品は充実してきたが、包装用品はまだ洗練されていないようである。もっとも、彼自身にそのあたりをいじるつもりはないらしい。
あくまでも、中身で勝負、ということだ。
購入の礼を述べるマグスとラウルは握手をする。
あくの強そうな人間だが、商品だけでなく情報や知識も一緒に売ろうとするマグスをラウルは好もしく思った。そのあたり、ダブスと通じるものがあったからである。
「おっと、店の札を渡すのを忘れてた」
「札?」
マグスが机の引き出しから取り出した紙はダブスの名刺によく似た小さな紙片である。
◇
買取!販売!
マグスの骨董品店
王都 下町 大通り 正門西入
マグス・シュミートがお出迎え
※出張査定致します
◇
マグスは紙片を裏返すと書き込まれている升目のひとつに新月のような印をつけてラウルに渡した。
「これは?」
「ひいきにしてくださるお得意様は大事にしなきゃ、だろ?」
「ええ」
「そのお月様が……できたら満月が一杯並ぶとだな……」
「ここで使った金貨の数ってことですか?」
ようやくラウルは合点がいく。
金貨が満月だとすれば、今回彼が使った金額は新月どころか糸月、正確に表現するならほぼ闇夜だろう。
彼がエルザのほうを向くと、
「新月が何個か。満月はないね」
という具合で、この店では彼女も上得意ではないことを明かしてくれた。
ラウルは単純に上客を管理するための方法と推測して、升目を一杯にしたらすごいオマケがもらえるのかも、と想像している。
しかし、マグスの思惑はもう少し複雑である。秘密の商売を披露してもいいか、その審査基準のひとつとして、表の商売で落としてくれた金額を参考にしているのだ。
むろん、一見の客で大枚をはたいてもいないラウルにその資格はまだない。
「エルザ、ちょっといいかい?」
「なんだい、おじさん。仕事?」
ラウルは受け取った商品包みを背嚢に収納しているうちに、エルザがマグスと話し込んでいる。
話が長引くと思ったのか、彼女は話をいったん打ち切ってラウルに別れを告げる。
「ラウル君、ごめんね。お姉さんはここまで。馬車に乗るまで見送りたかったけど」
「いえ、とんでもない。お世話になりました」
「すまんな、兄さん。ちょいと打ち合わせなんだ。馬車が出る厩舎はわかるかい?」
「来るときに停車したところですよね?」
厩舎が複数ある時点でエストとは大違いなわけだが、ラウルは王都の大きさを改めて知ることになったが、迷うような距離でもない。
マグスに別れをつげ、エルザには案内の礼と再会を約した暇乞いをする。
「いつになるかはわからないけど、必ず顔を出すからね」
「待ってます」
「宿題ちゃんとやっとくのよ」
「そ、そうでした」
剣技の前にまず体術、というわけでエストの自宅に戻れば自己鍛錬の日々が待っている。
家業の鍛冶を手伝う合間に修行するのだ。剣術のけいこ道具や飛び道具を製作する仕事も残っている。
要するに課題が山積みなのだ。
別れを惜しんで感傷的になっている暇もなかった。
いつもご愛読ありがとうございます。
オープニングの店に戻ってきましたね。ラウルは落とす金が少なすぎて秘密書庫へ入れてもらうことができませんでした。残念!
エルザとはしばしの別れ。いったん彼女は何でも屋に戻ります。
ラウルは軍用地図買っとけば良かったんですよ。後で役に立つから。
ところで、等高線の入った地図が本屋で買える我が国って大丈夫なのかな、と書いてて思いました。
徃馬翻次郎でした。