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第87話 垂れこめる暗雲 ①


(……目覚めよ……ラウル……)

(うーん……誰?)

(……我が呼びかけに……答えるのだ……竜の子よ)

(リュウノコ?何だよ……誰なんだよ……)


 ラウルは夢を見ている。

 真っ暗ななかで声だけが響く妙な夢だ。声の主との距離は全く判別できない。頭に直接響いてくるような不思議な感覚である。


 その声が遠ざかるようにか細くなっていく。


(……目覚めよ……)

(待ってよ!ちょッ、熱ッ!)


 暗闇の中で声の主を引き留めようと手を差し出した瞬間、右手の甲に痛みを感じた。


 彼はフォークで刺されたことはあっても電撃魔法をくらった経験はまだない。電撃が流れたらたぶんこうだろうな、と思うような衝撃が右手に走り、心地よい眠りからたたき起こされた彼は思わず右手を確認した。

 ついでに、昨夜一向に大人しくなってくれなかった聞かん棒も確認するが異常はない。


(いてて……前にもこんなことあったな)

 しかし、手の甲にも平にも異常はない。


 ここは朝もやにつつまれる王都の臥竜亭にある特別室、寝台の上にはラウル一人でエルザの姿は見あたらないので、彼を起こしたのは彼女ではない。

 はたして彼女は風呂場から手ぬぐいを首に掛けた姿を現したが、手の裏表をためつすがめつしている彼に気が付いてたずねた。


「おっ、起きたね……どうしたの、ラウル君?」

「はぁ、えーと、夢のなかで誰かに呼ばれた気がして……」


 繰り返しになるが、彼は夢の内容を記憶するのが苦手だ。


「女の子?」(スケベ夢で手でもはたかれたかな?)

「男性の声だった……はず……?」


 これが彼の記憶の限界だった。


「とりあえあず、顔と口を洗っておいでよ」

「そうします」


 彼は緩慢な動作で寝台から這い出る。顔を洗って目をさませ、というのはもっともだ、とラウルは思ったが寝起きの身体はなかなか言うことを聞かない。

 二度寝したいとぐずる身体に鞭打って顔を洗い、房楊枝で歯を磨き終わった時には夢の内容など彼のなかからキレイに抜け落ちていた。


 彼が風呂場から出た時にはエルザは荷物を整理し始めていたので、ラウルも見習って出しっぱなしの絵本を背嚢にしまう。

 

 そこへエルザが包みを二つ取り出してきた。


「ラウル君の背嚢は空きがある?」

「そうですね……寝袋は外付けですし、まだ余裕があります」

「よしよし。おつかいをひとつ頼んでいいかな?」


 もともとエスト村へは一人で帰ることになりそうだ、とラウルは予想していた。気楽な一人旅を決め込んでいたのだが、新たな仕事が発生したとなれば緊張もする。


「承知しました」

「大丈夫大丈夫。そんなご大層な用事じゃないから」


 彼女は包みについて説明する。

 ひとつはエスト村クラーフ商会へ届ける。金貨の詰まった袋がひとつと手紙が二通だが、宛先はグスマン支店長と治癒師コリンもとい臨時職員マリンになっている。


(追加報酬の分配かな?)


 ラウルは丁重に包みを受け取り、背嚢に収めた。

 もうひとつはジーゲル夫妻あての手紙と金貨袋である。


「ウチですか?」

「そう。ご両親あてだからね、念のため」


 これはクルトとハンナへの親展であること、つまりラウルに手紙を見るな、という旨を彼女は念押ししているのだ。

 こう言われれば彼は彼女の命に従うのみである。


(父さんも母さんもお金は取ろうとしないんじゃないかな)


 言われた通りにおつかい任務を引き受けるつもりのラウルだが、その達成まではおぼつかないと思っている。


 先日の蜘蛛魔獣掃討作戦の際、ジーゲル夫妻は飛び入り参加だった。依頼主のブラウン男爵とも特に何の取り決めもせず坑道へ突入している。

 戦闘後は一杯飲んでさっさと自宅に引き上げてしまったから報酬の話自体が出ていない。棚上げになっているのかどうかも不明なのだが、それを両親が心配している様子がみじんもない。

 つまり、最初から報酬をあてこんでの作戦参加ではなかったのだ。

 

 それに、ブラウン男爵が何らかの形で両親への褒賞を出したとしても、有難く押し頂く二人の姿が彼には全く想像できない。

 要するに、引き受けた依頼が達成不可能になることも十分考えられるのだ。


 包みを受け取りながらもラウルはエルザをじっと見ている。


「君が悩むことじゃないよ。私とご両親の問題だからね」


 視線に気づいた彼女はそう言って彼に懸念を無視するよう説いた。無言のうちに懸念が伝わったことに彼は驚いたが、ジーゲル夫妻の性格は彼女も承知らしく、そのための手紙であるらしい。


「では、お預かり致します」

「うんうん……ところでさ、いつからそんな丁寧な物言いになったの?」

「家で口上の練習をしてからですかね。緊張するとつい……」 

「なんだか本当に商人みたいだね」

「従僕です」

「それはもう勘弁してよ」


 このやり取りを見る限り、番を断った件で尾を引いていないのは明らかだった。再び行商人姉弟となった二人は寝台を片付けながら忘れ物がないか確認している。


「荷物、鑑札、小銭入れ、全部持った?」

「準備できました」

「よし。じゃあ朝ごはんだ!」


 二人は特別室を引き払い、鍵をカウンターへ返しに行く。ブルーノ店長の姿は見えず、女性が代わりに店長を務めていた。


(奥さんかな?)


 これはラウルの推測通りであり、ブルーノは昼過ぎまで寝ている。夕方から明け方まではブルーノ、早朝から夕方までは内儀が店長を務めるのだ。


 エルザは朝食を注文した後、店主が広げる帳面から自分の手帳に何かを写し取っている。


(何だろう……ひょっとして例の依頼探しってやつかな?)


 この推測も正しい。

 彼女は酒場で取りまとめられている依頼の一覧を見ているのだ。

 手帳をたたむと彼女はラウルを座席へと誘導した。


「大銅貨を一枚出しておいてね」

「わかりました」


 テーブルの下に荷物を下ろし、朝食が出来上がるのを待つ。

 たいして待つでもなく、女主人と眠そうな目をした女給が手早く朝の膳を整えた。

 小さなパンが二個、ゆで卵、刻んだ野菜のスープ、柑橘系果汁と思われる黄色い液体が小さなカップに入っている。

 最後に水差しを置いた女給は大銅貨二枚を回収して去ってって行ったが、女主人はまだ用事があるらしい。


「今回は特別室のご利用ありがとうございました。いかがでしたか、ご感想のほどは?」


 エルザは、ええまあ、お値段以上の体験をさせてもらいました、とそつなく答えている。一方の女主人は夫と交代する時に、二人が出立する前にぜひとも聞いておいてくれ、と頼まれたことを明したので、ラウルは相手が女性なので気が引けたが、疑問に思っていたことをぶつけることにする。


「あの、奥さん、朝からスケベの話で申し訳ないんですが……」

「ちょっと、ラウル君?」

「かまいませんよ。宿屋なんですもの。エルザさんもお気になさらず」

「は、はあ」(いや、こっちが気まずいんだって)


 女主人は夫に負けず劣らず知識の吸収に貪欲らしい。初めて見る若い客と侮らず、改善点があるなら拝聴しよう、という態度である。


「実際、女給さんと遊ぶための部屋なんでしょうか?」

「と、おっしゃいますと?」


 ラウルは昨日考えていた特別室に関する考察を披露した。女主人は黙って聞いていたが、途中で帳面を取りにカウンターへ戻った。書き留めておいて主人に見せるためだ。


「本当は新婚さんや恋人のちょっとしたぜいたくなのかな、と思いまして」

「理由をおうかがいしても?」

「あまりにも行き届いています」


 昨日、クラーフ商会本店でラウルは結構な枚数の銀貨を消費して道具を購入している。連日の外食や資材購入などで財布を使うようになり、革防具を購入する時には金貨を手にした。

 ようやく身に付きはじめた彼の金銭感覚で言えば、通常宿泊料金にもう二枚銀貨を追加するだけで特別室、それも一杯飲ませてもらえるとなれば勘定が合わないのだ。計算の仕方は昨晩ブルーノ店長に聞いた。

 要するに値段に比して“お得”すぎるのだ。


 地方の小金持ちが好む小旅行や新婚旅行での王都訪問は最近増加しつつある。もし、その客がそこそこの値段で泊まれる特別室でお得感を味わえば、臥竜亭を常宿にするだけでなく、周りにも宣伝するだろう。

 一日限定一組という競争も手伝って、臥竜亭の特別室は必ず噂になる。


 ラウルはそこまで計算に入れていたわけではないが、謎のお得感と女給の制服に関する独自のスケベ理論から、特別室には何か別の思惑がある、強いて言うなら客寄せだ、と看破したのだ。


「まだお若いようにお見受けしますけど、批評家の方なのかしら?」

「ヒヒョウカ……」

「他人の商売や芸術に口出ししてお金をもらう職人さんのことだよ、ラウル君」

「はぁ」(そんないやらしい仕事があるのか……)


 女主人は皮肉抜きで単純に見事な分析だと言いたかったようだ。

 その一方で、エルザが言った批評家の解説は少し言葉が足りなかったので、ラウルが誤解してしまっている。口出しするだけではなく、同時に解決策や改善点を提案しない限り一文にもなりはしない。つまり、批評を仕事にする以上は批評する分野の専門家でなければならないのだ。

 

 宿屋の設計や経営に詳しいわけでもなく、女性経験も皆無のラウルが批評家めいた言葉をひねり出せたのは観察と独自理論によるものでしかなかったのだが、たまたま分析が的を得ていたらしく、女主人の興味を引いた。


「ひょっとしてご提案もいただけるのかしら?」


 批評家の仕事を無料でラウルにさせようとする当たり、女主人も抜け目がない。


「自分はプーマ様の従僕ですから、これ以上はご主人様の許可がないと……」


 とっさにラウルは偽装身分でかわす。


「あら?そうでしたの?そういえば宿帳にもそうありましたわね。すると昨晩は床で御休みに?」

「ええ、まあ」(何の話だ?)

「申しつけてくださればわら布団を出しましたのに」

「寝袋がありましたので」(ワラ?)


 何気なく偽装身分を使ってみたラウルなのだが、女主人の応答には何やら従僕の身の程を思い知らせる言葉が含まれていることに困惑している。

 ちなみに彼は直に床で寝るのも藁布団も未経験だ。 


 結局、エルザの許可を得る形でラウルは二つほど提案をした。

 ひとつは扉を入ってすぐに寝台が目に入るのではなく、衝立のようなものが欲しかったこと、もうひとつは布の少ない寝間着についてである。鳥系亜人のことを考えたら背中を開けた形状のものが必要では、というものである。


 貴重な提言を残さず書き取った女主人は二人に水筒を出すように促す。話の礼に水を入れ替えてくれるようだ。

 女主人が立ち去った後、エルザはラウルの批評家ぶりに感銘を受けたことを冗談半分に褒めて彼を赤面させた。背中を開けた寝間着とはどう考えてもリンを念頭に置いたとしか考えられないのだが、その話を蒸し返すのは止めにして着想のみを評価するにとどめる。  

 一方、ラウルはエルザに質問する。むろん従僕の件だ。


「エルザさん、従僕って召使って意味ですよね?」

「さっきの話?床とかなんとか?」

「そうです」(犬みたいな扱いに聞こえたんですが)


 エルザは冷めないうちに食べよう、と言ってラウルもそれに同意した。品数も分量もさして多くなかった朝食が済むと、現在アルメキア領内においては奴隷制度が廃止されているところから彼女は話を始める。

 鞭うたれて死ぬまで無給で働かされる存在は、国の制度上存在しないことになっているが、貧富や社会的身分の差は厳然として存在し、ほんの一握りの貴族が支配者層として君臨している状況に変化はない。

 

「本当は、こうやって同じテーブルでご飯食べてるのもありえないよね」

「ええ……」

「主人の残飯を床で食べる、って聞いても驚かないけど」

「……」(本当かよ)


 支配者たちは従僕に給金はやっても対等の人間らしい扱いまではしない。常に主人から一歩、一段下がった従属関係を強いる。そうすることで自分たちの尊厳を維持している、ということもできるのだ。


「ラウル君、もしかして“従僕”が気に入っちゃったの?」

「実は……そうなんです」

「そりゃまたどうして?」

「あれこれ聞かれないんで、ついつい便利になってしまって」

「それだったらさ、従僕らしい話のひとつもできないとねえ」


 少々手厳しいが、従僕を名乗るにしてはあまりにも底辺の暮らしを知らないよ、とエルザは指摘しているのだ。

 何の用心かは知らないが、身元を隠すなら批評家のほうがよっぽど偽装として適しているように思える。例えば、家業の知識を生かした刀剣専門の批評家なら簡単にボロは出まい、と彼女は付け加えた。

 もう王都ではエルザ=プーマの従僕で通すしかないが、もし他所の土地で身分を偽装する必要に迫られたら、よくよく考えてヌケのない設定を考えることだ、と締めくくる。


 エルザは密偵でもないし、その種の訓練を受けたこともないので初歩的な指導にとどまったが、できればラウルが本格的な偽装身分を使うような事態にならなければいいと思っていた。

 例えばエスト村のコリンは故有って名前はおろか性別まで偽っているが、それも彼の安全を確保するためのものなのだ。


「そうだ。コリンの礼を言うのを忘れてたよ」

「コリン君?えーと、マリンちゃんでしたっけ」

「うん。すごく喜んでいたからさ。友達が一度に二人も出来たって」

「そう言えば、やたらはしゃいでましたね」


 突如としてエルザの表情が沈痛なものに変わったことにラウルは驚く。


「あいつは……コリンは……籠の鳥だったんだ」

「カゴノトリ」(ってどういうこと?)

「由緒ある貴族の家に生まれて、魔法学院生を数年、あとはずっと大聖堂。これが彼の知ってる世界全部さ」

「狭いってことですか?」

「おまけに自分で選んだものがひとつもない、ときた」


 魔法学院の実情を知った今のラウルならわかる。

 これは牢獄から牢獄へのはしごだ。

 魔法学院は外出すら難しく、大聖堂では規律と時間厳守の生活、幼少期以外は何のわがままも通らなかっただろう。


「そこへ現れて進路変更を強制したのが私というわけ」

「強制?」

「偶然知り合わなかったら、彼は今でも大聖堂で歌ってただろうね」


 すると二年前の神童失踪事件を手引きしたのはエルザだったのだ。事件について知っているハンナは“姿を消した”としか言わなかった。もしそれが誘拐ならエルザが日中の王都を大手を振って歩けるはずもない。

 すると、何らかの事情があって教会を脱会したところを、エルザが冒険者部隊へ誘った、ということになる。


「エスト南方の迷宮探索へ連れ出したのは、校長先生とロッテのための仕事だったけど、コリンを王都から遠ざける必要もあったんだ。その帰りにエスト第四番坑道の掃討作戦へ参加することになったのは偶然ね」


 何やら遠い昔のことに思えるが、魔獣騒ぎはついこの間のことなのだ。


「ジーゲルやクラーフの皆さんと知り合ったことで、コリンの世界は一気に広がったよ。それこそ籠から出た鳥さ」

「その籠って治癒師だからなんでしょうか?」

「そうだね。王様だって貴族だって腕のいい治癒師は身近にいてほしいでしょ?」

「その彼を連れ出しちゃって大丈夫なんですか?」


 ここでエルザは一息つく。柑橘果汁のカップに水差しから水を注ぐと一気に飲み干した。

ラウルも真似をして水を用意する。話の核心のような気がしたからだ。


「言えないのはそこなんだよ」


 それは良いが、とラウルは思う。生家や聖タイモール教会とはどうなった、いったいなにがあってエストくんだりまで、という疑問は尽きない。


「そのへんも含めてさ、できたらコリン本人が話すまでそっとしてあげてくれる?誓ってやましいところはない……けど……私からは言えない……」


 ラウルは承知した。

 おぼろげながら教会ともめたらしい事情が明らかになったからだ。それに、収入や社会的地位という点では比較にならない都落ちをあえて選択するという事は、きっと生半可な事情ではないのだろう。

 もともとエルザからは、コリンと友達になってやってくれ、と頼まれたのだから、友達が言いたくないのなら無理強いはしない、と彼は約束した。


 エルザの表情がようやく明るくなる。

もう彼のことで言えることはそんなにないけど、と言いながらもひとつだけ付け足した。


「リンちゃんの家庭教師とクラーフへの就職は、コリンが生まれて初めて自分で選んだ道なんだ」

「それであんなに楽しそうに……」

「目に入るもの何もかもが輝いて見えたんだと思うよ」


 そろそろいい時間だし行こうか、とエルザは立ち上がって荷物を背負い、ラウルも水を飲みほして後を追った。

 宿を引き払った二人はいったん大通りへ出て細い路地を裏通りへ入る。目的地はマグスの古道具屋、ラウルは王都における最後の買い物をする予定で、エルザの案内はここまでである。

 

 ようやく目を覚ましつつある王都の大通りは活気に満ち始めていた。


いつもご愛読ありがとうございます。

タイトルですが、怪しい雰囲気が立ち込めてくるのはお話の最後のほうです。途中までは、帰るまでが遠足です、みたいな話です。

さあ、銀貨は残り少ないぞラウル!大銀貨は使わないのか?お土産買うのを忘れているぞ!

徃馬翻次郎でした。

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